第2話
駐車場に車を止め、僕らはカフェのある場所へ向かった。
燕の言っていたカフェは、錦糸町駅の北口から少し入った路地にあった。看板は小さく、よく知らないと見逃してしまいそうなお店だった。
「本当にここで合ってるの?」
「入ってみればわかるよ」
中に入ると、確かに外観からは想像できない空間が広がっていた。古い倉庫を改装したような天井の高い店内で、間接照明が温かく床を照らしている。
そして僕らは窓側の席に通された。
「いい雰囲気じゃん」と、燕は満足そうな顔をして言う。
メニューを見ながら、僕は少し息をついた。希のことも、兄さんのことも、この店の中ではどこか遠くなっていく感じがした。
「七海は、何にする?」
「僕はとりあえずアイスコーヒーお願い」
やがて、店員さんが僕らのもとへやってきた。
「いらっしゃいませ。ご注文お伺いいたします」
そう言って店員さんは、エプロンのポケットから注文用紙を取り出す。
僕らは注文をしてから商品が届くまで、他愛のない話をしていた。
「どれにしようかな〜、迷っちゃう」と燕は言いながら、メニューのページを行ったり来たりしている。
そのままの状態で2分くらいが経過して、燕がメニューのあるページを見せながら店員さんに伝える。
「じゃあアイスコーヒーとアイスティーと……あ、このパフェにします!」
そう言って指さしていたのは、明らかに1人用とは思えない超巨大なパフェだった。
「ちょ…こんなバカでかいパフェ頼んで、食べ切れるの?」
「何言ってるの七海。これは君とシェアするために食べるんだよ」
「え、僕も…?」
「そうだよ」
燕はニコリと笑う。僕はその笑顔になぜか戦慄した。
ここで駄々をこねても断れないだろうし、何よりその笑顔に何か裏がありそうだと思ったからだ。
「わかったよ…食べるよ。あ、あとガトーショコラ1つお願いします」
一通り注文を終え、店員さんは一瞬少し引き攣った顔を見せてから、「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていった。
注文を終えてからは、しばらく他愛ない話をしていた。それにしても燕は相変わらずよく喋る。
僕はそれに相槌を打ちながら、この人は昔からこうだったっけと思う。……いや、昔はもっと静かだった。
今の燕は別人みたいだ。でもどこかに昔の燕がいる気もする。
どこかというのが、僕にはまだわからない。
「ねえ七海」
「何?」
「うちの希ちゃんは、最近どうなの?」
僕は少し、体勢を変えた。
「どうって…?」
「変わったこととかないのかなーって」
変わったこと。変わったこと。……変わったこと、か。
今日のことを、僕は話すべきか一瞬迷った。でも燕は希の姉だ。
話したところで別に変な空気にはならない。
「今日さ、希に呼び出されて部活の予定聞かれたんだよね。兄さんの」
僕は自嘲気味に言って、視線を少し斜め右に移した。
「……そっか」
何やら少し間があったが、燕の声色はさっきと同じだった。
「希ちゃんって、そういうところあるんだよね。ちょっと回り道をする、っていうか…」
「回り道、っていうか恥ずかしいんじゃない?直接聞くの緊張するって言ってたし」
「……七海はさ、そう言われてどう思った?」
どう思った?どう思った、か…
僕は脳内コンピューターで計算してみた。スパコン並の速さで僕の頭に1つの結論が浮かんできた。
「まあ、別にかな。特に何とも思わなかった」
燕は黙っていた。
「まあ兄さんのことだし。いつものこと」
燕はそれを聞いて小さく笑った。どんな笑いかは、僕にはよくわからなかった。
すると、突拍子もなく燕がこんなことを言ってきた。
「ねえ七海。ちょっとスマホ貸してくれない?」
「は?なんでよ」
「いいから」
「いいからって、何するの?」
「ちょっと整理してあげる」
有無を言わさない口調だった。でも僕は渡さなかった。
「整理って何を。自分のスマホでやってよ」
「七海のをやってあげるって言ってんの」
「いらないから」
「貸して」
「嫌だって」
燕は少し間を置いてから、僕の目をまっすぐ見た。こういう時の燕の目は、笑っていない。
「貸して」
3度目だった。
僕は結局、渡してしまった。自分でも理由がよくわからなかった。
燕は渡されるや否や、LINEを開いて登録されている連絡先を1つ1つ確認していった。
「この『Riku』っていうのは?」
「……」
「ちょっと。聞いてるんだけど?」
「僕の友達だよ」
燕は「ふーん」とだけ言って、また画面をスクロールし始めた。
「じゃあ、『彰人』、『すぐる』、『Anji』、『いぶき』は?」
「全員僕の友達。どうしたの?急にそんなの確認し出して」
僕の問いに答えることはなく、またスクロールに戻ってしまった。
「『一之瀬蔵人』は…あの蔵人か」などと独り言も言いながら、ずっと画面をスクロールしていた。
しばらく待って、やっとスマホが帰ってきた。LINEを確認してみると、70人くらいいたのが今は40人ほどしかいなかった。
内訳として、両親、兄さん、燕、そして小中高の男友達の名前しかなかった。母親と燕以外、綺麗さっぱり女性の名前が消えてなくなっていた。希の名前すらなかった。
「え、希の連絡先も消したの?」
「消したよ?」
あまりにあっさり言われて僕は驚いたし、少し怖かった。
「どうしてそんなことしたの…?」
聞いてみたが、燕は黙ったままだった。黙っているうちに、僕の頼んだアイスコーヒーとガトーショコラ、アイスティーが届いてしまった。
アイスティーを一口飲んでから、燕はやっと口を開いた。
「いや〜、喉が渇くと喋れなくなるね」
「話すり替えないでよ。なんでこんなことしたの?って」
「スマホも重くなっちゃうし、やっぱり整理は大事じゃん?」
「いや答えになってないし。ちゃんと理由を説明してよ」
燕はちゃんと理由を説明してくれずに、またアイスティーを口に含んだ。怒るべきなのかもしれないのに、なぜかそれが出てこなかった。
アイスティーに睡眠薬でも混ぜてやりたい、とふと思ったが、すぐにやめた。
「ねぇ、これから希に用がある時どうすればいいの。結構困るんだけど?」
「私を通して連絡すればいいじゃん」
「なんでそんな検閲みたいなやり方しないといけないんだよ。一々面倒じゃん」
「何、私に話せないようなことを話してるの?」
「別にそういうわけじゃないけどさ…」
言い争っているところに、燕の頼んだ超巨大なパフェがトレイに乗せられてやってきた。メニュー表の写真通り、しっかり巨大なパフェだった。
燕はすぐに持っていたバッグから自分のスマホを取り出した。そして写真を撮り始めた。
パフェ、パフェと自分を何枚か撮ってから、僕の方へカメラを向けてきた。僕は咄嗟に手で顔を隠した。
「七海も入ってよ」
「いやだ」
「いいから」
「SNSにあげるんでしょ?いやだ」
「私のアカウントだし、大丈夫でしょ」
「燕のアカウントフォロワー多いじゃん。不特定多数に僕の顔が晒されるのはちょっと無理。」
「無理じゃないよ」
「無理なものは無理」
燕はテーブルにスマホを置いて、指を僕の前に置いた。
恐る恐る目を見ると、その目が笑っていなかった。さっきとは違う。もっと深いところから来ている何かだった。
「岩本七海。入りなさい」
「……はい、分かりました」
僕は成す術なく、フレームに収まるしかなかった。先程とは打って変わって、今回は素直に従った。
なんでだろう、と思ったが、今は考えるのをやめた。
そして燕は、満足そうに写真を確認してから、その写真をSNSに上げた。僕は自分が見知らぬ人のタイムラインに流れていくことを考えて、なんとなく少し居心地が悪かった。
パフェを二人でスプーンで突きながら、また他愛ない話をした。燕の大学の話、サークルの話。僕は相槌を打ちながら聞いていた。燕の話は聞いていて退屈しない。それは昔から変わっていない。
そしてまた急に、燕が口を開く。
「あーんしてあげようか?」
僕は正直言って断りたかった。だが、こんな無茶振りも今日はもうこれで3回目だ。
僕は大人しく口を開けた。燕は満足そうにスプーンを差し出した。この人は本当に、人を従わせることに慣れている。
帰り際、駐車場へ戻ろうとした時、燕が僕に声をかけてきた。
「七海何してるの?」
「何って、帰るんじゃないの?」
「何言ってるんだい七海。夜はまだまだこれからじゃないか」
僕は嫌な予感がしてスマホの時計を見てみる。現在時刻は17時20分、このまま帰るのは21時を過ぎるのが確定した瞬間だった。
「さあさあ、行きましょうか七海くん」
そう言って僕の腕を引っ張って、南口にあるパルコの方へ歩いていった。
引かれるまま歩きながら、今日の僕の行動を思い返したが、考えるだけで頭が痛くなってきた。
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