スーサイド・カンパニーへようこそ(9)
「つまり、一年間主人の側を離れておきながら、あのメイドの成果はゼロだったと?」
太陽のように眩い豊かなブロンドヘアをくるくると人差し指に巻きつけて、少女はソファにどさりと腰を下ろした。髪の毛を触るのは、苛々したときの彼女の癖で、ブランシュはそれを好ましく思っていなかった。人前でーー特に女性が自らの髪を弄るのは、品性に欠ける行為だと母親や周りの大人たちに教えられていたからだ。彼女の行動の一つ一つはブランシュにとって優雅さに欠けていて、それら一つ一つが彼の神経に触れた。
ブランシュは彼女と極力関わるのを避けていたが、今日という日は仕方がなかった。
生理的に受け付けないとは彼女のことで、育ちが、国が、文化が違うんだなあとブランシュは思い込むことにした。
「正確には八ヶ月だね」
「どうでもいい」
彼女ーーゾフィーは脚を組み直してため息をついた。
「自ら囮役を買って出るとは今どき珍しい主人思いのメイドだと感心したのに、やはりアイツはダメだ。信念みたいなものを感じない」
「信念がない子は『アルバス』に所属しませんよ」
ブランシュが淡々というと、「そうか? お前に無理に合わせているようにしか見えないが」とゾフィーが反論する。ブランシュが涼しげに笑ってかわすのを見て、ゾフィーは不快そうに眉を顰めた。
「当初の目的は、『スーサイド・カンパニー』高級幹部ノアールの確保、他の名の割れた高級幹部ウェンズデーとキースの能力の把握、最高責任者の居場所の特定……」
「そんなには求められていなかった筈ですが」
ブランシュは穏やかに答えたつもりだったが、不快感を隠しきれず顔が強張っていた。
「あのなあ、お前の一年前の失態を挽回するために自ら潜入計画を申し出てきた時は私は本当に感動したんだぞ、ブランシュ。なのにどうだ……何か一つでも物事が進んだか? よもやあの女が『スーサイド・カンパニー』に在籍中自殺道具を一つも売らなかったことが不幸中の幸いだなどと呆けたことを言うのではないよな? そんなことは無論当然だ。自殺に関与するなど高潔な組織『アルバス』にあってはならない。停滞は衰退と同じだ……全くもって不愉快だ……」
ゾフィーが己との会話を不愉快に感じているのなら、それはブランシュとて同じなので全くこの会話は不毛なことだった。ブランシュは余りの阿呆らしさに無言で席を立った。ブランシュが部屋を出る前に、ゾフィーは彼を呼び止めるように「今回の件でジェーン様は大変お怒りだ」と声を荒げた。
「ジェーン様はこんなことで心をお傷めになどなりませんよ」
ブランシュはお前とは全く品位が違うのだと言うかのように、誰が見ても頬を染めるような完璧な笑みを浮かべ優雅に会釈をし、音を立てず丁寧にドアを閉めた。一番憤っているのはお前だろう。人の名前を使って他人を責め立てるなんて卑怯者の三流、否四流がすることだ、やはりあの女が心の底から嫌いだ――ブランシュは先ほど作った笑顔とは打って変わり、他人を蔑む軽蔑の表情を露わにした。扉の外で待っていたアリスが後ろから慌ててブランシュを追いかける。
「あの、やはり、ゾフィー様はお怒りでしたよね?」
ブランシュは平生の柔らかい表情で「お怒りかお怒りじゃなかったかと訊かれると、お怒りだったね。でも僕はゾフィーが怒っていないところを見たことがない」と言った。「あの人は僕たちの存在が疎ましいんだよ。どんな結果を持ち帰ったとしても邪険に扱っただろうね」
「申し訳ありません。わたくしがなんの成果も得られなかったばかりに」
アリスがしゅんと肩を落とす。
「なんの成果も?」
ブランシュが立ち止まる。「そんなことないだろう。確かにノアール達の情報が得られなかったとはいえ……やはり現場に立ってわかったことは沢山ある。例えば……」
ブランシュが再び歩き出したので、アリスは再度彼の後に続いた。
「ノアールの能力は、店長クラスの人間にははっきりと知らされていない。噂止まりだ。勿論他の特別高級幹部の詳細も、だ。……ノアールの希死念慮を惹起する能力が乗り移った商品があることもわかった。店員がその商品を見ても正気でいられるのはあの制服のお陰……君が制服を持ち帰ってくれたのは相当の成果だよ。他にも数えきれない。全部君のお陰だ。アリス。『アルバス』の人間は口先ばかりで実際の行動は殆どしない。ゾフィーは、寧ろ僕の報告書を読んで悔しがった筈だ」
アリスは称賛の言葉を浴びせられ、気恥ずかしさに俯いて口元を緩めた。ブランシュは朗らかな声でアリスを励ます。
「早くお姉様のところに行こう。ずっとアリスのことを心配していたんだよ」
市街地から少し離れた自然豊かで静かな場所に、ブランシュの姉、シャルロットは住んでいた。白い壁に藍色の屋根のシンプルな外観、大きさも月並みで特筆するほどのことはないのだが、家の面積の約2倍ある彼女の神聖な庭は、ブランシュとアリスにとって世界中の何処よりも寛げる癒やしの場所だった。
「お久しぶりねぇアリス。元気だった? もう本当に、ずっと心配していたのよ」
シャルロットはアリスを一目見るなり、彼女を強く抱きしめて暫く離さなかった。
「本当に、なんてなんてなんて無茶なことをするの」
<つづく>




