スーサイド・カンパニーへようこそ(4)
アリスは狼狽えて咄嗟にかぶりを振った。本当はメイド服の完璧な着こなしは自負しているーーそれだけは、フローラや他の社員の追随を許さない筈だった。
『何をしているんですか?』顔が火照るのを誤魔化そうと質問をする。フローラは分厚い冊子の一頁に、フラミンゴの羽ペンを走らせているところだった。
「『ペルスネージュ店』の顧客リストよ。つまりこの地区全体の住民の個人情報リスト。更新しているの。この前『ペルスネージュ病院』で大きな売り上げがあったのよ。安楽死希望者が続出してね。その波がなぜ来たのかが分かれば、次の売り上げにつながると思ってね」
出勤なんて、最悪開店時間の午後4時に間に合えば良いのだ。現にそういう店長もいた。品出し、売り上げの計上と本部への報告、商品の発注などの準備を前日の短い時間にささっと済ませてしまい、清掃は客の入りの少ない時間帯に行う。絶対に時間外労働をしたくないという強い意志で、もし仕事が時間内に終わらなくても「明日やろう」と言って退店する。明日やろうは馬鹿野郎、と自分を皮肉ってもいた。でも仕事をしていないわけではなく、むしろ効率的に、無駄と思われる作業は一つもなく最小の労力で仕事をこなしていた。あの店長は今も元気で働いているだろうか。趣味のバーベキューのしすぎで燻されていないと良いが。あの人は真冬の寒さの中でも上下半袖でバーベキューをすると言っていた。今日もやっていたのだろうか……。
窓の外には、色なんて一つもない。冬の空は非常なほどに冷たくて暗い。こんな寒い夜にコートも与えられず放り出されてしまったら、ほんの数分で生きる希望を失ってしまう。
ーー『スーサイド・カンパニー』の売り上げが1番多いのは、冬だ。
「御愁傷様です。今際の際へようこそ」
髪と肩に雪を乗せて震えながら入ってきた少女を見て、アリスは涙を流しそうになった。少女は店内を見渡すと毒薬の並んだショーケースを見つけて、ふらふらと今にも倒れそうな足取りでアリスに近づいた。
「大丈夫ですか?」
アリスは腰に手を回して少女を抱き留めた。服越しに触ってもわかるほどに冷え切っている。少女は小さな唇を震わせて「毒をください」と呟いた。
「まず温かいものでも」
アリスは暖炉の前に椅子を用意して少女を座らせると、髪と肩についた雪を払って毛布で包んだ。ホットココアと、フローラに貰ったカップケーキを差し出して微笑む。少女は訝しげな顔でアリスを見上げた。
「毒ではありませんので安心してください」
アリスがそういうと、少女は恐る恐るマグカップにくちづけた。ずずっと音を立ててすすった後、また小さくすすり、今度はかたかたと震えて泣き出した。
「ありがとうございます」
「滅相もございません」
アリスは膝を折って少女の手を握った。
「外は寒かったでしょう」
少女は唇を噛み締めた唇の隙間から息を漏らした後、大声を上げて赤ん坊のように泣いた。店中に少女の嗚咽が響き渡る。アリスは彼女の頭をそっと抱き寄せて、氷の付着した髪をゆっくりと撫でた。溶けた氷の水がアリスの二の腕を伝って落ちていく。少女が泣き止むまで、アリスはその手を止めなかった。
「もしよろしければ何故泣いているのか聞いても?」
少女がすんと鼻を啜る。
「仕事で失敗しちゃって……。とても大きなミスなの。もう辞めたい……。最初から事務仕事なんて向いてなかった……」
「やりたい仕事ではなかったのですか?」
「うん。全然。受かったのがたまたまこの仕事なだけ」
「好きなことを仕事にできたら1番理想なのでしょうけどね」
「……お姉さんはずっとこの仕事?」
「私は生まれた時からずっと給仕です」
アリスはスカートを広げて頭を下げた。「向いてるとか向いてないとか考えたこともないですわ」
少女は疑念を抱いた。ーーこの仕事って世襲制なんだろうか?
「毒がいいです。苦しまなくてもいいの。眠るように死ねたら……」
朝起きたら、全部全部なかったことになっていればいいのに。悪いことは全部、夢の中の出来事なら良かったのに。
お願いします。朝起きたらいつも通りの朝を迎えられますように……。
悪夢という単語が生まれた世界では、現実はそんなに残酷ではなかったのだろうか? 生まれてこの方、精神を苛むような悪夢なんて見たことない。悪魔に攫われて酷い方法で殺される夢を見たことがある。それでも、所詮は夢だ。トラウマになって身体を蝕むほどではない。現実に起きたことの方が余程脳の裏側に貼り付いて離れない。取り返せない失敗、失った人、間違えた選択、それが『今』となって全方位から襲いかかっている。全部『過去』じゃない、間違いなく『今』だ。
今この瞬間が全てだった。
だから、今、消えてなくなりたいのだ。
『未来』のことなんて、考えていられる余裕はーー彼女にはない。
彼女にとっての最善は、彼女が決めることだ。
「眠るように死ぬといえば、こんなのがありますわ」
アリスは毒の小瓶が陳列されている棚の、一番仰々しく飾られている林檎の形をした小瓶を取り出した。
<つづく>




