スーサイド・カンパニーへようこそ(2)
ペルスネージュ通り13番地にある『ペルスネージュ支店』、それが次にアリスが配属された店だった。
その名の通り、道路の両脇の花壇には長い冬を耐え忍んだペルスネージュ(待雪草)が頭を垂れて咲き並んでいる。
夜になれば月明かりがぼんやりと落ちて、まるで絞首刑の亡霊が足元で蠢いているかのような気味の悪い光景になるのだろうなとアリスは身震いした。
黒いテールコートと黒いベストの中には首元まで詰まったオフホワイトのシャツ、頭には自分の頭と同じくらいの大きさのシルクハットを被った男性が数人、今にも『クビ』になりそうな表情でぶらぶらと歩いている。
制服でもないはずなのに何故みんな同じような服装を着ているのだろう。
ペルスネージュとサラリーマンの悪夢の掛け合わせの大通りを右に抜けてひと気のない小道に入ると、おとぎ話に出てくるような可愛らしい外観の建物が並んでいた。
その突き当たりに、これまたおとぎ話に出てきそうな白いレンガ壁と青い三角屋根の小さな建物が現れた。
ドアについた鉄格子のように冷たい黒い取っ手を引く。
取っ手の下に小さくペルスネージュの花が描かれている。
「ご愁傷様です。今際の際へようこそ」
スーサイドショップには看板がない。
それでも死にたくなれば必ず辿り着けるようになっている。
まるで魔法にかけられた黄金のレンガ道のように、必ず辿り着ける。
店の奥からひょっこりと人が顔を出す。
「お客様じゃなかった。今日から配属になった子ね。メアリ=アン?」
フラミンゴの羽のような桃色の、麗しい豊満な巻き髪がぴょこんと跳ねる。睫毛ももれなく桃色、こちらは本当に羽そのものに見えた。
「初めまして。メアリ=アンと申します。北バイパス店から参りました」
アリスが深々としたおじきから顔を上げると、女性は何も言わずに目をぱちぱちと開閉した。
瞬きするたびに、長い睫毛で風でも起きていそうだなとアリスは思った。
ポケットからガーゼを広げて実験してみたい。
「あ、北バイパス店の前はラベンダーブルー店にいました」
アリスが急いで付け加える。
「知っているわよ。経歴を見たわ」
ピンクの髪の女性が嫋やかな声で言う。
「初めまして。ここの店長のフローラよ」
ーーなんともまあ、スーサイドカンパニーに似つかわしくない芳しい花の香りと、上品さと穏やかさだろう。
まるで花園に咲くスイートピーのように可憐で、春風のように軽やかな声をしている。
フローラは優美な動作で右手に持っていた桃色の羽ペンをテーブルに置いて、奥から椅子を出すと、フローラの横に椅子を置いた。
「座って。突然だけど自己紹介をお願いしていいかしら?」
フローラは、今まで会った社員の誰とも明らかに違っていた。アリスはおずおずとした動作でテーブルの上に鞄を置いた。
この鞄はスーサイドカンパニーの社員全員に支給されるものの一つだ。
外見は皆同じ黒皮のトランクだが、中の布の色は自由に選ぶことができ、アリスのは爽やかなミントグリーンである。個人のための、謂わば特注品であった。腕の立つ職人が一点一点、美しい形の木箱に艶のある鴉色の牛革を貼り、黄土色の糸で一針一針寸分狂わず真っ直ぐに縫った一級品で、市場で同じレベルのものを買おうと思えばサラリーマンの平均給料3カ月分を余裕で超えるだろう。アリスは椅子に軽く腰掛けて「ええと」と狼狽えた。
「好きなこととかあるかしら? 私はね、カップケーキを焼くのが得意なの。バタークリームたっぷりのね」
フローラが手の指を組んで頬の横に添える。指先の爪も自然なピンク色で、フローラが指を動かすたびに桜の花が綻ぶように見えた。
「詩を作るのが好きです」
アリスはフローラの挙動から目を逸らすことができなかった。
「詩を? 素敵ね。どんな詩を作るの?」
「丁度昨日読んだ作りたてのものがあります」
「もしかして聞かせてもらえたりできる?」
「勿論」
アリスは椅子から立ち上がって目を瞑り、頭の中から昨日読んだ詩を引っ張り出した。
誰かが仕組んだ悪意の落とし穴につまづき嘲笑を浴びる
休日出勤のための職場の合鍵と
人工甘味料満点の栄養ドリンクをポケットから取り出して一気に飲み干す
時間に追われて時計を手放せないウサギ達
週末は収拾のつかない滅茶苦茶会に出席
言いたいことだけ言って消えるのは上司のお家芸
ダブルチェックしても白薔薇は咲くまで見つけられず
トランプの数字みたいに右肩上がりのノルマを夢見ながら
いつクビになるか冷や冷やしてる
ここでは皆 狂ってる
目を開けると、鳩が豆鉄砲を食ったような表情のフローラと目があった。数秒後、フラミンゴの羽のような睫毛が大きく羽ばたいた。
「あっ、あーっと、なんだか不思議な詩ね?」
「そうなんです。労働に支配された人間の狂った世界観を表現してみました」
アリスはすとんと椅子に座った。
「ああ、成程」
フローラは目を泳がせながら、必死で二の句を探していた。
「メアリ=アン、貴女……ちょっと生きにくそうね?」
「そうですか? 初めて言われました」
アリスは思い当たる節がないと首を傾げた。生まれてこの方、特に『生』に疑問を持ったことはなかった。何のために生まれて、何のために生きるのか……等と考えたこともなかったのである。
「私、貴女のことちょっと勘違いしてたわ」
「勘違い?」
更に頭に疑問符が浮かんだ。
フローラが指をふわふわと漂わせる。
まるで魔法の粉でも撒いているかのような動作に、つい視線が誘導されてしまう。
「入社して半年も経たずに店を2つも移動させられるなんて、とんでもないモンスター新人だと思ったの。よっぽどこの会社が向いていないか、よっぽど人格に難が有るかよ。貴女、実店舗に配置されてから、商品の売り上げ実績がゼロなのよ。ご存知?」
「存じております」
アリスの記憶上、自ら客に勧めた商品が客に買われた記憶は一件もなかった。
しかし惜しかったことは何度かはあったはずだ。
「こういうのって本当に稀なことなの。普通はね、例え新人が売ってなかったとしても、店長が温情で、新人に売り上げをつけるものなの。普通はね」
フローラは最後の言葉を強調して言った。
「つまり貴女、嫌われてたんだと思う」
オブラートに包まず話すのは、今まで会った社員と変わらないなとアリスは思った。
「貴女、幹部に目をつけられてるわ」
アリスがぴくりと頬を動かす。
「幹部?」
「そう。ここ第3区の幹部に」
フローラが物憂げに眉をひそめた。第3区は、ここ『ペルスネージュ店』、『ラベンダーブルー店』、『北バイパス店』等が所属している地区だ。
第3区幹部には何度か会ったことがある。
神経質そうな眼鏡をかけた男だった。
「あと半年。あと半年以内に売り上げが1件でもないと貴女はクビになってしまうわ」
「クビになるとどうなるのですか?」
アリスがぐいと身を乗り出して訊いたので、フローラは思わずのけぞった。
「ど、どうなる?」
「入社式があったではありませんか。退社式はありますか?」
「退社式? もしノルマゼロで退社になるのなら、不名誉な退社だもの。式典はないわ。ああでも、人事は基本的に幹部から言い渡されるし、退社となると地区幹部以上の幹部から言い渡されるかも知れないわねぇ」
「その幹部は特別高級幹部だったりしますか?」
「ど、どうかしら?」
フローラが眉を顰める。
「特別高級幹部に会いたいの?」
アリスは少し躊躇して答えた。
「……会いたいです。会ってみたい」
「まあ、皆んなの憧れだものね。ほら、目が会っただけで人を自死に追い込んでいるのではと違うほどの接客スキルだそうよ」
フローラが首元をさらりと撫でながら気味が悪そうな顔をした。
「会ったことあります?」
「あるわよ。式典で何度か。最近は店長と幹部が集まる忘年会に顔を出していたわ」
フローラがそう言いながら大時計を見る。
「そろそろ開店するわ。お店の説明をするから奥に来てもらえる? まず控室を案内するわ」
控室に案内されたアリスは、部屋の隅にあるカーテンで仕切られたスペースでトランクケースを開けた。
中から丁寧にしまわれたスーサイドカンパニーの制服を取り出した。
全く光を反射しない重苦しい黒い布をたっぷりと使った長いスカートが広がる。
昨日の夜寝る間を惜しんでアイロンがけしたお陰で、トランクの中にしまっていても皺はほとんどついていなかった。
袖を通した後、上から白いエプロンを被って後ろで紐を結ぶ。死に給仕するメイドの完成だ。
まるで喪服のようなデザインは、過去に葬式に参列したときの記憶にアリスを引き摺り込んで気分を暗くさせる。
「冥土のメイドってわけ」
ふんと鼻を鳴らして記憶ごと笑い飛ばし、左胸に名札を刺す。
つけるものはこれだけでいい。
徽章も賞詞も持っていないのは用意が楽で寧ろ輝かしいことだ。
ーーそういえば、フローラの胸元には沢山の賞詞が着いていたなと思い出した。過去にお世話になった店長二人より段数が多かった。
あの桃色の中心に金の糸が縫われた賞詞は、『スーサイドカンパニー』の自殺道具を1000個以上販売した功績を表していた。
つまり、1000人もの尊い人間の命を死に追いやったということだった。
〈つづく〉




