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スーサイド・カンパニーへようこそ(1)

「ご愁傷様です。今際の際へようこそ」


 アリスは夏の夜に香るラベンダーと同じくらい湿っぽい声色で客人に話しかけた。

 目の周りを赤く晒し亜麻色の髪をくしゃりと乱れさせた若い女性の客人は、顔に絶望の二文字を貼り付けて立っていた。

 大きな目がふらふらと店内を漂いどこにも定まらない。


 アリスは「あのう」と客人の顔を下からのぞき込んだ。

 乾燥した艶のない唇が震えている。


「死ななきゃいけなくて」


「承知いたしました。どのような死に方がよいですか? ご希望はありますか?」


「飛び降りようと思ったの。でもできなくて」


「飛び降りですか」


 アリスはうーんと言って顎に手を当てた。


「お勧めしませんね。損傷が激しいんです。25メートルくらいの高さでも骨が関節を無視して折れて肉から剥き出しになりますし、脳味噌も飛び散りますよ」


 客人の顔は益々青白くなり、これ以上白くなれば透明になってしまうのではないかと危惧するほどだった。


 アリスは慌てて「綺麗な死に方が良いですよね?」と尋ねた。


「これとか若い女性に人気ですわ。スズランの毒を100倍に濃縮したエキスです。お気に入りの紅茶に一滴垂らしてくださるだけで大丈夫ですわ。ああ、花といえば、このエンジェルトランペットという天国に行けそうなお花の香水もお勧めです。瓶も凝っていて、ほら、天使がトランペットを吹いています。顔にひと吹きしていただければいいですわ。ああ、本当に香水として使わないでくださいね。周りの人に害が」


 客人は大きな目からぽろぽろと涙を落とし、「選べないわ。選びたくない。疲れたの」と言った。

 アリスは選択がとてもエネルギーを使うことだということをやっと思い出して、この人は命令されるのを望んでいるのだなと考えた。

 かと言って自死を指示するのは法に触れるので、良い塩梅を探らなければならない。

 こんなとき、ノアールならうまくやるんだろうなと頭の片隅に真っ黒い影が落ちる。

 しかしアリスはその影を振り払った。


「疲れたんですね。何か大変なことがありましたの?」


「恋人と喧嘩したの」


 客人がすんと鼻を啜る。


「彼が、お前なんか死ねばいいって言ったの」


「まあひどい。それは死にたくなりますね。その恋人、何様なんでしょう? こんな綺麗な人がこの世を去るなんて世界の損失なのに。この世から美が一つ失われる責任をどう取るんでしょうか?」


 アリスの憤慨する様子を、客人は不思議そうに眺めていた。キャッシャーの後ろに立っていたこの店の店長が態とらしい咳払いをしたあと、「リストカット用のカッター、期間限定セール中です!」と叫んだ。

 アリスは我に帰って、手に持ったエンジェルトランペットの香水を客人の手に持たせる。


「わかりますか? 一吹きするだけです」


「わかったわ。ありがとう。褒めてくれて」


「本当に綺麗なんですもの。女優かと思いました」


 客人は目元を拭って笑った。


「やっぱり死ぬのやめようかな? 世界の損失だし」


「それが良いですわ。今夜は少し寒いです。これを」


 アリスは客人に毛布をふわりと羽織らせた。


「家に帰って温かいお風呂に入って、ふかふかのベッドに入って寝てください。貴女に冷たいアスファルトは似合いません。夜道に気をつけて。月を見ないで帰って。また『死』に誘われたら大変ですわ。今夜は嫌になるくらい満月なので」


 客人が店のドアの向こうに消え去るのを確認すると、ふぅと肩を下ろした。ひと段落したのも束の間、キャッシャーの向こう側で人影が苛々と動いていた。


「メアリ=アン、ちょっと」


「店長、すみません」


 アリスがおずおずと頭を下げる。


「わかってる。貴女の素直さは。でも、もう10件目。新人だから最初は失敗するでしょう。でも貴女は」


 店長と呼ばれた女性は、額にかかる赤い髪を掻き上げて口を窄めた。店長ーーキャロルは、店長養成課程で学んだ「新人教育」の授業内容を思い出していた。

『どんなことがあっても、感情に任せて怒ってはいけない。怒ることと叱ることは違うこと。』これは子供の躾の授業内容だっただろうか。

 しかしどちらにしても同じことだ。


「メアリ=アン、貴女はあのお客様に自殺道具を提供しなければならなかったのに、あろうことか『生きる希望』を提供してしまった。その過程を振り返りましょう。……いえ、もう疲れたから、そうね」


 キャロルは我慢の限界だと言うように息を吐き出した。


「単刀直入に言うと貴女、向いてないわね」


 アリスは血の気の引いた顔で「すみません。でも、続けたいんです。続けさせてください!」と言った。


 ドンドン!


 革靴が乾いた床板を二回跳ねる。心臓を打ちつけるような音にアリスは首をすくめた。


「我がスーサイド・カンパニーの崇高なる目標は?」


 キャロルが毒薬瓶が綺麗に陳列された棚を眺めながらため息をつく。


「この世界では、60秒に一人が、自殺をしています。私がこうやって店長に解雇されそうになっている間にも、数人が命を絶っています。私がこっそりと昼食の即席麺をふやかしている間にも、およそ4.5人が、“生”の重圧に耐え切れず、楽になりたいと願って自らの命の燈を吹き消しています。一人の自殺者に対して、20人が自殺未遂をしています。自殺の成功率は決して高くありません。死に損ねて、病院のベッドで意識のないまま管に繋がれ続けなきゃいけないこともあります。死に切れなくて、結局生きることを選択し、生き地獄を味わうことだってある。死ぬことって簡単じゃない。死を望む人に、確実な死を。それが我が社の崇高なる目標です」


 アリスは骨の髄まで染み込ませ、不本意にも最早体の一部になってしまった文章をすらすらと暗唱した。

「よろしい」


 アリスが、キャロルが腕を組んで偉そうに頷くのを『店長のこの動作、何度見ても女学校の校長先生に似てるわ』と感心して口を開けながら見ていると「その間抜けな顔を止めなさい!」と怒鳴られたのですぐに口と目を閉じた。


 キャロルは胸ポケットから懐中時計を取り出して顔を顰めた。

 アリスはキャロルの後ろにある、およそ100年前から存在しているのではないかと思われるほどの古びた大時計を見た。

 ホ短調の悲壮感漂うオルゴールの調べが、真夜中の始まりとこの店の営業の終わりを告げる。1日の終わりと、今日の始まりと、絶え間なく休むことなく続く労働の連続がこの生活の全てだと気づいたのはいつからだろうか? 

 ゆっくり休んでねって皆それぞれ言い合っているけれど、休む暇なんてないわ、深呼吸をする暇もないわ、苦しいわ、だって家に帰って寝たら、次の瞬間にはもう『次』だわ。

『ゆっくり休んでね』って、七夕の短冊に書くお願い事みたいに切ない挨拶、夜空に輝く星に早く見つけてほしい。

 他力本願、自己解決できない、それほどにもう私たちにはどうしようもない事態になっている。

 次、次、つぎつぎつぎつぎと、それが『生きる』こと。

 何をしていても何をしなくても、時間は絶え間なく一定に刻々と過ぎてゆく。

 ーー私がいてもいなくても、世界は人々の喧騒を抱いてまわって行くのだ。


 ドンドン!


 店長が鞭を打つように床を鳴らす。


「閉店準備! 表の看板をクローズに! そしてドアの灯りを消して!」


「はい、店長」


 アリスは言われた通りに看板をひっくり返し、壁にあるスイッチを押して入り口の明かりが消えたことを確認した。


 売り上げの確認、商品の在庫の確認と仕入れ、埃を払う簡単な掃除、そして一番大事なのは、今日商品を購入した人の個人情報、これを確実に本社に届けなければならない。万が一にも購入した人間がリピーターにならないように。

 この『仕事』に失敗は許されない。

 どこよりもブラック企業だわとアリスは目を擦った。

 この店舗の営業時間は夕方の4時から深夜の12時で、出勤は開店の一時間前、退店はどんなに遅くとも深夜1時だ。

 残業はほぼなし、土日は休み、福利厚生はあって産休育休介護休、生理休暇も取得できる。1ヶ月に一回のしつこいくらいの部外委託カウンセラーによるメンタルヘルスチェック、セクハラパワハラガイドブックを1人一部頒布されて、アンケートには2ヶ月に一回答えなければならない(『あなたはパワハラセクハラを受けたことがありますか? 又は、社員が受けているのを見たことがありますか?』)。

部下を一人でも持つ社員は、後輩教育の仕方を必ず本社に学びに行く。

 アリスは胸元からアンケートを取り出してなんの躊躇いもなく今あったことを多少の誇張を交えてドラマチックに書いた。

 そして封筒に入れて赤褐色の蝋を垂らし、丁寧に本社の刻印を押した。仕上げに再度羽のペンを美しく走らせる。


「スーサイドカンパニー本社 人事部」


 一週間後、アリスは別の店舗に飛ばされた。件の本人は栄転だと誇らしげであった。



<つづく>


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