第1章:トウキョウ 6
《鐘楼の殿》でいうところの『課題』とは、結局傭兵業のことだった。
かの機関の資金源は、創設者の遺した莫大な遺産の他、優秀な術士の貸出しによる報酬が主である。貸し出す術士の所属する教室――術士のレベルで分けられている――ごとに金額は一定で、貸出した術士が死んだら死んだで賠償金として莫大な金を請求するため、収入は常に安定していた。
傭兵に出ることで生徒も現場でしか学べないものを学ぶのだから、あながち『課題』という呼び方は間違いではない。だが、達成出来るかどうかは全く考慮されていない『課題』だ。実際、『課題』に出て帰ってくる生徒は3人に1人――半分をきっている。
これが、《鐘楼の殿》の修業率を10%台に下げている原因の一つなのは言うまでもない。
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天暦2094年
セレスティア
旧コードウェル君主国
血と灰、そして火薬の臭いが鼻につく。
アピスは不愉快そうに顔をしかめ、足を踏み出した。足元にある障害物を乗り越える――だが、乗り越えても乗り越えても途絶えることはない。灰塵により一寸先も見えない状態だが、アピスはつまずくこともなく前に進む。
灰色一色の視界に金色の影が浮かんだのは、歩き続けて5分ほどした頃だろうか。
彼女は安堵の息をつき、声をひそめて彼の名を呼んだ。
「―――凪…凪…」
「ああ、アピス…?」
更に一つ障害を乗り越えると、彼の顔が鮮明になる。声は疲れきっていたが、表情はいつもの通り、こちらがほっとするような笑顔を浮かべていた。
灰を被った金髪が鈍く光る。先程の爆発のとき、彼も近くにいたようだ。
「怪我はない?」
「ない。でも、任務は失敗した」
言うまでもないか、と肩をすくめながら彼は地面を見回した。アピスが今まで乗り越えてきたもの――全て、爆発によって倒れた死体である。
この爆発の阻止が、今回の任務の最大のキーになるはずだった。
平和と各国の利害調節のため、セレスティアには神聖大陸同盟という機関が存在する。君主国の内紛を重く見る同盟は、これまでも同盟軍を介入させて内紛を止めようと試みてきたが、君主国の科学技術の前にことごとく失敗に終わっていた。
今回、ようやく限界を悟り、彼等は《鐘楼の殿》に停戦へ持ち込めないかと相談を持ちかけてきた。そしてそれを聞いた《殿》がアピスと凪の二人に『課題』として君主国の停戦誘導の任務を与えたのである。
爆発は、現在君主国の政権を争う派閥の中で最大の勢力によるものだった。彼等の攻撃を阻止すれば、新たな勢力が台頭してきたと思って、どの派閥も一旦様子見のために争いを控えるようになるだろう。そうしたら後は話し合いの専門家である同盟に任せれば良い。《殿》の人間である二人に望まれているのはあくまで武力介入による一時的な停戦のみ。人々が狂気を静めて理性的になれば、同盟にもやりようはいくらでも出てくる。
それが、アピスと凪の立てたプランだった。
「被害は?」
「半径5kmくらいには抑えたわ」
凪が爆撃を阻止し、万一失敗したとき被害を最小限に止めるのがアピスの役割だった。フォルテは視線を介して全てを無に還す能力を持つ。その対象は、爆発のエネルギーという抽象的なものとて例外ではない。本来なら半径20kmは下らない被害を、アピスは5kmの上空で待ち構えフォルテを召喚し、それより外側に広がるはずだったエネルギーを消し去った――ただ一つ難点をいえば、『全て』を消し去る能力だから、5km地点にあった家や人、それらも全て消えてしまうのは避けられない。
きり、と心臓が痛み、アピスは胸を抑えた。先程から繰り返し訪れる胸の痛み。彼女の中のコードウェルの血が、己れの民を殺した事実を咎めている。
「――不毛な戦いだよな」
不意に、凪が呟いた。
アピスは胸を抑えつつ凪を見る。彼は珍しく、眉をひそめ、眉間にしわをよせ、足元に転がる死体を見下ろしていた。
「こんなに人が死んで、国が荒廃しても――得られるものは何もないんだろ?」
「そう…ね。聖族以外が国を治めることは出来ないし」
そう、セレスティアの国を聖族以外が治めることは不可能である。何故なら、世界の秩序を司るのは聖族、そして聖精霊だからだ。無秩序を秩序に戻すのに必要なのは、同盟の介入というより、同盟であれ何であれ、聖族が介入すること――それも、ゼウスの決めたこの世界の絶対的真理の一つである。
だが民は、まだその事実に気付いていない。
終わることのない戦いを――終わるはずのない戦いを続けている。
アピスは凪に倣って足元を見下ろした。ここまでは、なるべく見ないようにしていた。死体は見慣れている。もっと悲惨な光景も、幾度となく目にしてきた――だが、どうしてか、今は胸が痛むから。
いつの間にか足元からアピスに視線を戻していた凪が、静かに呟いた。
「……それも、コードウェルの血がさせるのか?」
すうっと凪の手が伸び、アピスの頬を撫でる。冷たい手の感触に、アピスは驚いて首をすくめた。
離れていく薄汚れた凪の手に、水の跡。
アピスは止まることを知らずに溢れる涙を拭いながら呟いた。
「……助けなきゃ、って」
「ん?」
「全身が、そう訴えてる。でも、それが自分の意思だかどうかなんて…」
わからないのだ。
混同している。コードウェルとしての本能と、自分の意思が。アピスは首を横に振った。自分の意思のわけがない。傭兵として、あるいは軍の指揮官として、今まで散々人を殺しておいて、助ける?偽善もいいところだ。だが、コードウェルの本能だと考えるのも甚だ恐ろしい話だった。
自分の身体が、何者かに支配されているようで。
アピスは胸を抑える。動悸が激しい。身体が熱い。アースが乱れる――自分の中の何かが、現状を拒絶しているようにしか思えない症状だった。ああ、やっぱり、と、彼女は身体が訴えるまま、意識をやりそうになる。
「――俺の知ってるお前なら」
唐突に、こつん、と額が何かにぶつかった。
それが凪の肩だとわかるまで数秒かかる。視界に地面が入り、何か、足らしきものが――あったが、きちんと認識する前に今度は顔を身体に押し付けられ、視界が塞がれた。
凪が、ゆっくりと耳元で囁く。
「――正義感が強いお前だからな。そう言い出しても不思議じゃない」
「…でも、その正義感もコードウェルの血のせいかもしれないでしょ?」
不思議と、鼓動が落ち着いてくる。しかし消えぬ痛みにアピスは胸を抑え、続けた。
「何かに縛られてるような気がするの。どこかに引っ張られるような感じが――君主国に来ればわかるかと思って、この『課題』も受け入れた。それで悟ったわ」
きり、とまた胸が痛む。
「私、コードウェルに囚われてる」
心の中で思うのと口に出すのとでは大分違う。そう言葉にした瞬間、アピスは文字通り身体を震え上がらせた。
この地に着いてから、身体はここから離れたくないと主張していた。だからか、調子がなかなか上がらない――任務が成功すれば《殿》に戻らなくてはならないことを知っているせいか。故に、任務は凪が先導して行い、アピスはサポートに回っていたのだ。
凪は、何も言わなかった。二人の間を沈黙が支配する。
沈黙の合間をぬって、ようやく理性的になったアピスは遠くに響く銃声に気が付いた。あの爆発があってもなお生存者がいる。そして、戦っている。胸の痛みを無視して、アピスは凪を突き飛ばすようにして離れた。でなければ、いつまでもその肩にすがってしまいそうだった。
ここは、戦場なのに。
だが、離れるやいなや、ぐい、と力強く腕を掴んで引っ張られた。
「――わかんねー」
ぎょっとするアピスの目の前で、眉間にしわを寄せた凪が心底理解出来ない、と言わんばかりに顔をしかめて呟いた。
「ごたごた言って悩むくらいなら、助けてみればいいのに」
アピスは凪の言葉を疑った。彼は今、人の話を聞いていたのだろうか。
そういうことが言いたいんじゃない。アピスが問いかけたかったのは、もっと根本的なところのことなのに。
「それが本能だったとして、何がいけないんだ?人を救うことは悪いことじゃない。っていうか、結局はいずれ誰かが救わなきゃなんねぇんだし。逆らう必要なんかないんじゃね?」
はっ、とアピスは目を見開く。全くもって正論だ。囚われているとかいないとかではない。目の前に苦しんでいる人がいて、彼女にはそれを救えるだけの力がある――ならばそれは、人として当然の義務。
「アピスがやりたくないっていうなら話は別だけど、そういうわけでもないんだろ?」
にかっ、と彼はいつもの明るい笑みを浮かべる。
「俺は、そういうところも含めてお前を認めてるんだから。逆にその正義感がなければアピスはアピスじゃないと思うし。コードウェルであれ何であれ、『アピス・ユピテル』って人間がお前じゃん?」
ああ、と、彼を見上げながらアピスは思う。この言葉が欲しかったんだ。らしくもなく、自分を見失いかけていた。自分に求められるものかが何であるか考えているうちに、本能と意思の境がつかなくなっていた。何故って、皆、『私』を求めているわけではない。
期待がかけられているのは、『コードウェル一族』。
そして、『最強の闇術士』。
その肩書きに飲み込まれそうで――怖かった。実際、コードウェルには飲み込まれている。囚われている。
だが、コードウェルに囚われていて――それが何だというのだ。その高貴なる聖族の血を含めて、『アピス』という一人の人間が此処にいる。
少なくとも、彼はそう見てくれている。
アピスは静かに目を閉じる――彼には敵わない、本当に。
アピスは拳を握り締めた。それに気付いた凪が、腕を掴んでいた手を離す。
相変わらず涙は静かに彼女の頬を伝っているが、それを微塵も感じさせない強い眼差しが真っ直ぐに彼を見上げる。凪は、それを受けてにやりと笑った。
「ふっきれたな?」
「……ふっきった」
「よしきた。じゃあ一旦本部に戻ろう。計画、立て直すぞ」
ぽん、とアピスの頭を軽く叩き、彼は歩き出す。アピスはその後に続きながら考えた――彼女に出来ることを。
辺りは薄暗い。視界は狭く、先は全く見えない。
それでも、前に進む足が躊躇うことはなかった。
この時点でアピスの頭の中にあったプランは、精々この狂気をいかにして止めるか――その程度だっただろう。彼女が、一人の人間であると同時に自分はコードウェルであり、コードウェルとしてなすべき義務があるということを受け入れるようになるのはもう少し先のこと。だから、コードウェル一族を召集しよう、ましてや、君主国を自らの手で復興させようなどということは、欠片も考えていなかったはずだ。
そのせいもあって、プレッシャーは然程ではなかった。何より、彼女には自分は『最強の闇術士』だという自負があった。
そして、横には彼がいる。
2人合わせれば、怖いものなど存在しない。
だが、計画は頓挫した。
事態が一変するのは、この数時間後。
「――――アピス!」
鋭い声が、耳を貫く。
振り返ったアピスの視界に、赤色が飛び込んで来た。




