第1章:トウキョウ 3
トウキョウ郊外に、知る人ぞ知る高級住宅街がある。一代二代で発展した程度ではそこに加われない、所謂名家と呼ばれるような家々が立ち並ぶ街。
その中の一つ――小山一つという膨大な敷地の中、八旧家のトップという威厳と貫禄を存分に見せ付ける古めかしい洋館があった。
駐車場に、黒い車が停まっている。玄関のポーチに、その運転手がずぶ濡れになって駆け込んだ。そこにいた男性からタオルを受け取ると、彼は頭を下げ、身体を一通りふく。
男性に案内され、運転手は恐縮しながら洋館の中に入っていった。
四院邸の応接室。
連絡を受けた彼等は、行き先を佐伯邸から四院邸に切り替えた。相手も混乱しているらしく、電話では詳細がわからなかったからだ。
「―――すまない。父は朝から出ているんだ。連絡がつかなかった」
現れたのは、吸い込まれそうな黒の髪と瞳を持つ青年だった。歳はラズとそう変わらないだろう。ややきつい印象はあるが、十分に整った顔立ちをしている。
彼は、四院百夜と名乗った。四院家の一人息子で、跡取りである。昴がリオールを知ったのは、彼を初めて見かけた葬儀で百夜と一緒にいたからであり、百夜自身とは、幼い頃から何度か会ったことのある顔見知りだった。今回、アピスとリオールを引き合わせるに際しても、はじめ渋っていたリオールを説得して貰っていたのだ。
昴に電話をかけてきたのも百夜だった。電話では混乱しているようだったが、昴達が到着するまでの間に事態を把握したらしい。
彼は額に手をやり、心底疲れきった表情で説明を始めた。
「――気付いたのは今朝だ。朝、いつまでも食堂に来ないから家政婦が起こしにいったら、部屋はもぬけの空だった。財布も携帯も残っている。とりあえず屋敷内を探して、外も少し探させたが…」
全く姿が見えない、と唸るように百夜は言う。 アピスは呆然とし、言葉も返せない。百夜が言っていることを理解しているのかも怪しい。
それを見たラズが代わりに口を開く。
「何か書き置きのようなものはありましたか?逆に、なくなったものとかは?」
「ない。本当に全部そのまま、いつも通りだ。ただ、リオールの姿だけがなかった」
「……さらわれた…のか?」
昴の呟きは、ラズも百夜も真っ先に考えたことだった。財布と携帯が残されているというのが一番の理由だ。自ら出ていったとしたら、小学生の家出ではないのだから、よもやそんな愚かなミスはしないだろう。
だとすれば、犯人は20年前のあの事件の黒幕に違いない。彼等の予想通り、やはりリオールは事件の真相を多少なりとも知っていて、犯人はそれがアピスに漏れるのを恐れたのだろうか。
しかし、それならば、連れ去るよりも――
「……連れ去るよりも、その場で殺した方が早くないか?」
残酷だとは思いつつも、一つの可能性をラズは口にした。隣に座るアピスの肩がぴくりと揺れる。昴は咎めるようにラズを見るが、彼はあえてそれを無視して続けた。
「部屋には暴れた跡もなかったんだろう?殺した跡も勿論なかった。20年前の事件の惨状ことを考えると、相手はわざわざ現場を綺麗に戻して帰るような奴には思えないが」
「だから、連れ去ったんだろ?」
「抵抗もさせずに?」
間髪入れずに反論するラズに、昴は不快そうに眉をひそめる。この辺りになると、彼もラズの言おうとしているもう一つの可能性に気付いていた。だが、それは言わせてはならない――ちらりと、未だうつ向いたままでいるアピスを見て、昴は唇を噛み締める。
「抵抗…出来なかったとしたら」
「……まあ、その可能性も十分有り得る。現に携帯と財布は残っているわけだし――だが、だからといって抵抗しなかった可能性を捨てて良いわけじゃない」
昴の視線が厳しくなるが、やはりラズは無視をした。
「―――逃げたのかもしれない」
アピスがはっ、と顔を上げ、ラズを見る。目をこの上なく見開き、僅かに開いた口からひゅ、と息をのむ音がした。
ラズはアピスを見ないようにして、自分を睨みつける昴に向かって言う。
「リオールはセレスティアに帰る気があるかという問いに、はっきりとした答えを寄越さなかった――そう言ったのはお前だろう?」
昴は言葉に詰まる。確かに、アピスに頼まれてリオールに色々と話を聞いていた際、彼がセレスティアに帰る、とはっきり言うことはなかった。その質問をちらつかせればひょいとかわし、別の話題に移す。だからアピスがわざわざニホンにその意思を確認しに来たのだ。
「アピスに会うことにも、消極的だった。もしかしたら、無理矢理でも言いくるめられて戻されるかと思ったんじゃないか?」
「そんな…」
思わず呟いたアピスの声に絶望が混じる。そんな、相手の意思を無視するようなことは絶対しない。だから彼女は今までだって、聖族であることを忘れた一族に復興を手伝うよう言ったことはなかった。確かに彼に関しては、こうして直接はっきりと意思を確認しようとするなど、少しがっついた部分もあったかもしれない。でもそれは、他の聖族とは違いリオールは絶対に必要な人材であったから――それに、アピスにとって、彼は唯一の家族だから。
信じていた。同じ血を持つ彼なら、君主国の悲惨な現状を聞けば、身体がざわめくはずだと。
それが、王家の血だから。
雨の音が、静かな屋敷に響く。
「―――それは、ないと思うが」
やり取りの合間をぬって、ぽつりとそう溢したのは百夜だった。
昴もラズも、アピスも少し驚いて彼を見る。ソファーに身を沈めた彼は、顔をしかめ、口元に手をやる。何かを言おうか言わまいか、悩んでいるようだった。
十数秒ほどの間があっただろうか。やがて、彼は深く溜息をつき、軽く天井を仰いだ後、悪い、と誰に言うわけでもなく呟いてから、3人に言った。
「……あいつが川島を置いて、自分から消えることはないと思う」
「カワシマ?」
聞いたことのない名前だった。ラズとアピスは昴を見るが、昴も首を横に振る。
それを見た百夜は、本当に知らないのか、とぼやくと、早口に付け加えた。
「川島美琴。リオールの高校の同級生で婚約者――腹に子供がいる」
唖然として、誰も何も言えなかった。
もたらされた情報は、あまりに衝撃的だった。
はじめこそ言い澱んでいた百夜だったが、そこまで言ってしまえばふっきれたのか、次から次へと言葉を続ける。
「――多分、帰るとか帰らないとかいう問題ではっきりしなかったのはそのせいだ。本人は、昴と会う前からずっとセレスティアのことを言っていた。いてもたってもいられないみたいだった。だが、付き合っていた川島に子供が出来て、下手に動けなくなったんだろう。川島は普通の人間で――リオールのことは何も知らない」
「私に会いたがらなかったのは…」
「会わせる顔がないと言っていた。血はセレスティアに戻れと騒ぐのに、川島を置いてはいけないという個人の意思はもっと強い――個人の問題も解決出来ないのに、人の上に立って人を率いることなど出来るものか、と」
アピスは衝撃にうちひしがれていた。頭の中に、怒濤のように問掛けが流れ込む。兄は本当に戻ってくるのだろうか、戻ってきたとしてもそれで良いのだろうか、兄の子は間違いなく強いコードウェルの血を引いているというのに――神の血を、セレスティアではない世界に野放しにしておいて良いのだろうか。
本当に、君主国復興どころの話ではなくなってしまった。
「では、貴方は」
ようやく衝撃から回復したラズが、まだ戸惑いの残る揺れた声で百夜に尋ねる。
「リオールはさらわれたと思うわけですね?」
「ああ。不審者は見付かっていないが――相手は俺達の敵うような奴らではないらしいし」
投げ遣りな口調でそう言った百夜はソファーに身を預け、足を組む。彼の目の前には机をはさんでアピスが青い顔をして座っている。
じっとその様子を見つめていたかと思うと、彼は唐突に口を開いた。
「―――アピス、だったか」
名前を呼ばれたことに驚き、彼女は顔を上げる。百夜は表情の読めない顔で彼女を観察していたかと思うと、またしても唐突に呟いた。
「――なるほど、似ているな。色だけじゃないのか」
は?――と、アピスは思わず聞き返しそうになる。誰と比較しているのだろうか。アピス自身は髪も瞳も父譲りの色で顔も父似だが、先日写真で見た兄は柔らかい金色の髪に金色の瞳という、母譲りの色を持った男だった。そして、顔も、男でありながら母に似て、中性的な美しい顔立ちをしている。
父に会ったことがあるのだろうか――そう思い、アピスは尋ねようと口を開いた。だが百夜は彼女にその間を与えなかった。
「リオールは決断を下すことを渋っていただけで、貴方には会いたがっていた」
アピスは表情を引き締める。
目の前にいる男が、兄に重なって見えた。
「こんなことになってしまったが――拒絶しないでやってくれ。
受け入れてやってくれ。
それで、出来ることなら――あいつにとって一番良い道を、探してやってくれないか」
目の見開く。
百夜は本気でリオールを心配しているようだ。ただの居候と、居候先の息子という関係でしかないと思っていたが――二人は、良い友人だったのだろう。
胸が痛む。リオールの世界がそこにはあった。アピスが《鐘楼の殿》という世界で19年を過ごしてきたように、彼は20年をこの世界を過ごしてきたのだ。アピスはあの世界に留まる理由がなくなってしまったから君主国に戻るしかなかったが、リオールにはまだ十分この世界に留まる理由が存在する。
それに逆らってまで、彼をセレスティアに戻す必要があるのかどうか。
それは、兄にとって幸せなことのか。
だが――頭に浮かぶのは、希望に満ちた表情で、彼女を送り出した同族達。
百夜の眼力に圧されるようにしてアピスはとりあえず頷いたが、何が正しい道なのかわからなくなっていた。
客観的な判断が、出来なくなっていた。




