第1章:トウキョウ 2
助手席に昴、後部座席にアピスとラズ。3人の乗った車は高速をひたすらトウキョウ方面に向かって進んでいた。
はじめのうちは後ろのアピスとラズが二人で何やら話していたが、やがてその会話も途切れる。タイミングを見計らって昴は切り出した。
「復興は進んでるか?」
「残念ながら全く」
アピスは溜息混じりにそう言って疲れたようにシートに身を埋めた。自嘲じみた笑みを浮かべ、投げやりな様子で続ける。
「荒れ放題のやりたい放題よ」
アピス・ユピテル・コードウェル。
その名の示す通り、彼女はセレスティアのコードウェル君主国の王族であり、本来ならば第一王女となっているはずの人物だ。パウラ・ユピテル・コードウェルの娘である彼女は例の事件の後、この第8世界のフランスで生まれ、《鐘楼の殿》と呼ばれるセレスティアの教育施設で育ったのだが、1年ほど前に決意を固めて生き残った一族に呼びかけ、君主国の復興を先導した。そして現在も、復興は専門である他の一族に任せ、彼女はまだ残る一族達を探している。
20人はいるだろうと思われるコードウェルとその配偶者や子供のうち、集まったのはまだ半数にも満たない。中には、見つかったがセレスティアの事も知らずに育ち、完全に普通の人間になりきってしまっている者もいた。その分を考えると残る一族は片手で足りるほどだ。だがアピスは――コードウェルは、一番必要とする者を欠いていた。
「――兄様が、変えてくれればいいんだけど」
リオール・ユピテル・コードウェル。
アピスの兄であり、君主国の第一王子にあたる彼の消息が明らかになったのは、数週間前のことだった。
情報源は昴。リオールの顔は、以前ある名家の当主の葬儀で見かけたことがあり、1年ほど前から知っていたらしい。それ以来会うことはなかったが、先日恩師である大学教授の講演会に来ていたリオールに声をかけ、そのときに初めて名前を知って、彼は慌ててアピスに連絡を寄越したのである。
コードウェルの長、そして君主国の王にユピテル家の長子であるリオールを――それはコードウェル達が共通して願っていることだった。同じコードウェルという聖族でも、王家であるユピテル家は格別である。『ユピテル』という名の下に、世界を治めるため、彼等はより強いアースを使えるよう聖精霊に取り計らわれている。アピスの呼びかけに一族の一部が無条件に応じたのも、コードウェルの血が本能的にユピテル家に従うよう命じた部分が大きい。
君主国が伝統的に女性君主を認めていない以上、アピスがコードウェルの長になることは出来ない。王家唯一の男子であるリオールを欲して止まない一族は、昴の報告を飛び上がって喜んだ。リオールが然るべき教養と人格の持ち主であれば、彼を王に立て、君主国を復興する目処も立つ。
だが一方、彼等は同時に不安を抱えていた。彼もまた第8世界の人間になりきってしまっていたら――唯一の頼みの綱と言ってもいいリオールが駄目だとなると、君主国復興どころの話ではない。ユピテル家が途絶えることは、コードウェルの存亡にも関わってくる。
昴の話では彼は自分が何であるか、どういう生まれで、どうして今此処にいるのかということをしっかりと把握しているとのことだが、その『しっかり』というのがどのくらいなのか、具体的に彼は何処まで知っていて、セレスティアに戻る意思があるのかどうか、部外者である昴には判断しようがない。だからアピスも一抹の不安を覚え、早急にニホンで兄と直接会う手だてを整えたのだった。
「――しかし、一般人として育った人間がいきなり『王になれ』って言われたところで、出来るものなのか?」
「聖族っていうのはそういうものなんだ」
俺だったら無理だ、と呟く昴にラズは呆れたように答えた。彼もまた、聖精霊ガーゼルの血を引くベギン一族、そして、ベギン王国の第一王子である。
「本能として、民の信頼を集め、人を率いる能力を持つ」
「……信頼って本能で集まるものなのか?」
「民もまた、自分達の国の君主を信頼するよう本能で悟ってるのよ。ゼウスがそう創ったんだもの」
平然とそう答える彼等に昴は顔をしかめた。バックミラー越しに後ろを見る。アピスは鏡に映った彼の不愉快そうな顔をみて、苦笑した。
「――つまらない世界よね。全部神様の手の中で転がされているだけなのよ」
昴は一層顔をしかめて、ふいと視線を反らした。馬鹿ばかしい、何が神だ――思わずそう吐き捨てそうになり、自制した。彼の尺度でセレスティアを考えてはならない。昴は神を信じていないが、アピス達にとって、神とは信じる以前に確かに存在するものなのだ。その違いを無視して一方的にこちらの考えを押し付けたところで、励ましにも解決にもなりはしない。寧ろ、二人の気分を害するだけだ。
ただ、沸々と沸き上がる怒りはどうしようもなかった。ぎゅっと握り締めた手に力を込めて彼は窓に押し付ける。彼自身もまた、セレスティアの人間ではないがその神とやらに翻弄されてると実感せずにはいられなかった。アピスがこんなに悲しそうな顔ををしても、どうすることも出来ない。
昴の機嫌を損ねてしまったアピスは取り繕う言葉も見付からず、じっと押し黙ってしまった。ちらりと鏡に映ったその姿を見て彼の苛立ちは更に増す――もう少し気のきいたことは言えなかったのか?自分もまた、彼女を悲しませてばっかりだ。
窓の外にはいつの間にか雲が広がり、強い圧迫感を感じた。まるで、自分を責めているようだ。
「――価値観の違いを嘆いても仕方がないだろう、今更」
軽い溜息と共に重い沈黙を破ったのはラズだった。
そう、今更だ。価値観が違うことは2年前に二人とも十分に理解したはずだ。その結界、埋めようのない溝が出来て、彼等は互いに距離をおくことを決意したのだから。
それでもアピスはうつ向き、昴は頑に視線を窓の外に反らし続ける。2年もあれば多少は変わるかと思ったが、そう話は上手くいかないようだ。アピスはもう2年前のことには囚われていないと言っていたが、この様子を見るにまだ十分囚われているようだし、昴も昴で吹っ切れていないように見える。きっと、頭の中では2年前に交した似たようなやり取りが思い浮かんでいることだろう。
最早これは話題を変えるしかない――そう判断したラズは、身を乗り出して昴に言った。
「それで、リオールのことだが」
無視するわけにもいかず、昴は不機嫌な顔のままバックミラーを見る。目があい、彼が会話に乗ったことを確認すると、ラズは少し浮かした腰を下ろした。
「四院家にいると聞いた。けどまさか、事件直後からずっと四院にいたわけじゃないだろう?その前のことは聞いてないのか?」
四院家――ニホンには、2000年近く前の時代から存在し、血統を途切れさせることなく続く八つの家がある。四院家は『八旧家』と呼ばれるその家々の一つで、その中でも突出した歴史を持ち、現代では裏でニホンを牛耳っている、最も権威のある家であると言っても過言ではない。
そして、現在リオールが世話になっている家である。
四院家は長い歴史の中でセレスティアの存在を知り、第8世界とセレスティアの利害を調節する役割も担っている。だから、逃げ先としては全く不思議ではない――が、もしはじめから四院家に逃げていたのなら、リオールの存在はもっと早くに明らかになっていたはずだ。現に1年前、第8世界にいるコードウェルを探すために、アピスはまず四院家を当たったのだから。
「…叔母の世話になっていたそうだ。ニホンに来たのは高校生のときとか言ってたか?去年その叔母が亡くなって、その後は四院家に世話になるよう言われていたらしい」
「叔母っていうと…」
「クリスティーヌ様でしょうね。亡くなったのも去年だし」
いつの間にかアピスも顔を上げ、彼の話を聞いていた。いくら制御されていても、死ぬ間際はその制御も解けて一瞬だけアースが解放される。そして死と同時に霧散するため、その感覚を感知して同じ聖族ならば死を知ることが出来る。パウラの死はアピスを生んだ直後だったため流石に覚えていないが、確かに去年、復興の呼びかけをはじめて少しした頃、クリスティーヌのアースが霧散する感覚を捉え、それでアピスは彼女が亡くなったことを知ったのだ。
パウラが事件後1年で亡くなったため、今生き残っているコードウェルの多くはダイル、クリスティーヌ夫妻の手によって安全な場所に預けられた。だが、実際に二人に育てられた者はこれまで一人もいなかった。あの事件の真相がいつまでもわからない一因はそこにあるだろう。ダイルの消息は知れないが、昨年クリスティーヌが亡くなったと知ったとき、皆、事件の解明は諦めた。真実を知りうる最後の一人も、ついにいなくなってしまったように思われたからだ。
ラズが軽く目を見開き、アピスを見る。
「――思わぬ収穫だな。事件のこと、何か聞いているかもしれない」
「そうね。兄様も5歳だったんだし、何か覚えてないかしら……事件については何か聞いてない?」
「さあ。おぞましい、とくらいしか。話すのも嫌そうだったからな。聞くに聞けなかった」
いよいよ可能性が高まる。その様子だと、何も知らないということはなさそうだ。アピスは小さく拳を握り締めた。汗でじわりと滑る――今までぼんやりと曇っていた未来に、日の光が射してくるようだった。
空は一層暗くなり、やがて窓に水滴がついた。あ、と思うとすぐ、次から次へと雨粒がガラスを霞めだす。ワイパーが動きだし、激しい雨音がたちまち車内に響くようになる。
見えにくくなった視界に、運転手は目を細めた。
「急がなくても大丈夫ですよ。安全運転でお願いします」
「すみません。おかしいな。今日は晴れの予報だったんですが…」
運転手が焦っているのを雰囲気で感じとり、宥めるようにアピスが言うと、彼は不思議そうに首を傾げつつスピードを緩める。その横で昴は時計を見た。もうすぐ都内に入る。この雨では多少道も混むかもしれないが、1時間もあれば佐伯邸に着くだろう。
おそらく夕食を用意して帰りを待っているだろう家に、少し遅れるかもしれないと連絡を入れるべきだろうか――そう思って、昴が携帯を取り出したときだった。
ピピピピ――
あまりのタイミングの良さに、思わず携帯を取り落としそうになる。慌てて持ち直し、液晶に目をやった彼は眉をひそめた。
後ろから、アピスとラズの視線を感じつつ、彼は通話ボタンを押す。
「―――どうしました?」
静かな車内では携帯から僅かに漏れる音も聞き取ることが出来た。何を言っているかはわからないが、男の声だ。
「――は?」
他人の電話を盗み聞きする気もないアピスは、意識を窓の外に反らしていた。窮屈に立ち並ぶ建物にどんよりとした曇り空。もう先程上空から見たときのような感動は覚えなかった。近付けば近付くほど汚い面が見えてくるというのは、正にこのことだろう。
だから、昴が声を裏返してそう言っても、そのときは気にも留めなかった。隣のラズが少し驚いたように昴に視線を移したのを何となく目で追い、それからまた窓の外に視線を移す。
「――すみません、もう一度」
だが、昴が焦って電話口にそう言ったときには流石に気になり、アピスも彼を見た。電話の向こうの声が少し大きくなる。昴に言い聞かせるように言っているようだ。
そして、相手の言葉が途切れると、彼は唐突に後ろを振り向いた。鏡越しではなく、身体を出来るだけ捻り、直接アピスを見る。
突然のことに固まるアピスに、彼は、彼自身もよくわかっていないような、戸惑いの混ざる弱々しい声で言った。
「リオールが――いなくなったらしい」




