第1章:トウキョウ 1
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天暦2096年9月
ニホン
「―――ここが、ニホン」
彼女は飛行機の窓に顔を押付けんばかりに引っ付いて、旋回する機体の下、世界有数の経済大国の首都を眺めていたかと思うと唐突にそう呟いた。歳は19。漆黒の艶やかな黒髪の、はっと目を引くような美人である。
隣に座って新聞を広げていた男は彼女の声に気が付き顔を上げた。こちらは褐色の肌に濃紺の髪と金色の瞳を持つ、端正な顔立ちの青年だった。彼女より歳はいくらか上だろう。彼もまた、彼女につられるようにして窓の外に目をやる。彼がこの国を訪れるのはこれで5回目で、特に新鮮な景色には思えないが、今回が初めての訪問になる彼女には十分に興味をひかれるものなのだろう。
彼女はまた黙り込んでじっと外を眺めていたが、ややすると再び口を開いた。
「――ここが、凪の生まれた国なのね」
青年はその言葉に軽く目を瞑った。頭に浮かぶのは輝くような笑顔を浮かべる少年の顔。思えば、彼はいつも笑顔だった。楽しいとき、嬉しいときは勿論、困ったとき、悲しいときだって笑っていたのだからどうしようもない。だがその笑顔に彼自身はよく救われた――特に、負の感情が付きまとう戦場では。
少しの思慮の後、彼が瞼を上げると彼女は窓から彼に視線を移していた。禍禍しい程の真紅色の瞳に飲み込まれそうな錯覚を覚えつつ、彼は優しく彼女に微笑む。彼女の不安が少しでも和らげば良いとは思うが、彼に出来ることはこうして側にいることくらいしかない。これから彼女がしようとしていることは彼女の――正確には彼女の一族の、彼女の国の問題であって、他国の人間である彼に入る余地はないのだから。
「……ありがとう、ラズ」
彼が励まそうと思ったのが分かったのか、彼女は彼――ラザフォード・ルウ・ベギンに微笑み返した。ラズは何となく手を伸ばし、彼女の頭を撫でる。長い付き合いで出来てしまった癖だった。昔はよく、こうして彼女を本当の妹のように可愛がっていたものだ。彼女も満更ではない様子でくすぐったそうに身をすくめる。見た目は妖艶な美女と言っても差し支えないが、このように時折見せる甘えたような仕草は彼女を歳よりも若く見せることもある。つくづく不思議な子だ。
頭を撫でられるがままになっていた彼女はまたしても唐突に黙り込み、重い空気を纏いだす。それに気付いたラズが手を止めると、彼女は飛行機の音に消されそうな程小さな声で呟いた。
「――兄様、会えるかしら」
さく、とラズの胸に言葉が突き刺さる。
そう、どんなにこの子を可愛いがろうと、どんなにこの子を愛していようと彼は彼女の兄にはなれない。
彼女には、血の繋がった兄がきちんと存在する。
悲劇が彼女達を――彼女達の国を襲ったのは今から20年前――彼女が生まれる前のこと。全てが壊れたその日の記憶は僅かながらラズにも残っている。当時は何が起きたのか具体的なことは全くわからなかったが、その詳細はこれまでの人生でもう数え切れないほど教えられてきた。
歴史が変わったその日、何がどうなってそんなことになったのか、正確に知る者は誰もいない。
――ただ、いつもと同じ夜が明けたら、王朝が一つ滅んでいたのである。
セレスティアを支配する四国の中でも、コードウェル君主国は機械大国と呼ばれ、突出した軍事力を誇る国である。過去にはその軍事力をもって他国を侵略したりもしていたが、平和になった当世では宝の持ち腐れもいいところであった。しかし、君主国は何かに脅えるように軍事力の増大を図り、『軍縮』という言葉を撥ね除け続けていた。
『強き国コードウェル』
コードウェルの民は人々はそう信じて疑わなかったし、他国の民もまたそう思い、君主国をそう呼んでいた。君主国の抱える大規模な軍隊に批判する声はあったが、天地がひっくり返っても君主国に戦争を仕掛けたり、君主国を正そうとする国は他になかった――だから、その事件は誰にとっても予期せぬことだった。
天暦2076年12月
夜が明けて朝が来て――その時には、全てが終わっていた。
当時コードウェル城に暮らしていた、王族14名を含む総勢500人を超える人間が、一夜にして血の海に倒れたのである。
原因は全くわからない。
夜が明けてから話を知った他国の聖族が駆け付けたとき、既に城は沈黙していた。遺体の判別をつけると、命からがら逃げ出した王族が数名いたことがわかったが、彼等の消息は全くわからなかった。本来聖族はアースにより深層意識が繋がり、互いに互いの存在や位置を知らせることが出来る。だが逃げ出した王族達は、故意に己れのアースを抑制して誰にも所在を分からないようにして身を隠した。
逃げ出した王族は大人だけでも3人。
そして、ようやくその3人の所在が明らかになったのはつい最近のこと――その3人と共に逃げ出した当時の子供達、また、事件後に生まれた子供が君主国復興のために立ち上がり、集合したのがきっかけだった。
しかしその時、既に当時のことを鮮明に覚えている大人達は皆故人となってしまっていた。クリスティーヌ・ネプトゥヌス・コードウェル、パウラ・ユピテル・コードウェル、そしてクリスティーヌの夫であったダイル・ネプトゥヌス。3人とも死因は不明。そして3人とも、子供達には当時のことを何一つ語らず亡くなった。
謎は深まるばかりで一向に解決の兆しは見えない。統治する一族を失った君主国はあれ以来約20年に渡って無政府時代に突入し、始めこそ民主主義を掲げて建て直しを図っていたが、目指すべき国の理想が違う団体同士が衝突し、武力抗争にまで発展している。
最先端の技術を駆使して繰り広げられる内乱に他国は下手に介入することも出来ず、混沌とした時代が続いていた。
ナリタ空港の到着ロビー。
自動ドアが開き、一人の男が姿を現した。偶然横を通過した女性二人組は、彼の姿を見ると顔を寄せ合って互いに囁いた――凄い、きれーな人。
薄茶色の柔らかそうな髪と瞳、そしてこの国の人間にしてははっきりした顔立ちは、彼に異国の血が混ざっていると予想させる――国際化、世界統一が進んだ現代、民族の血は混ざりつつあるが、この国では未だにハーフやクォーターというのは珍しい。
彼は到着便を知らせる電光掲示板を見ると、目的地を確認してそちらに移動する。到着から少し時間が経っているせいか、ゲートには出てくる人の姿がちらほらと窺えた。彼は少し歩みを速める。そしてその後ろを追うスーツを着た男の姿があった。彼をここまで送ってきた、彼の家に仕える運転手だ。
目的のゲートに着く直前、彼はその姿を視界に捉えた。
「―――アピス!」
彼は少し声を張り上げる。
何事かと思った辺りの人間数人と、彼女が振り返る。彼女は視線の先に彼を見付けると、ぱあっと顔を輝かせた。持っていたスーツケースをその場に置き去り、一目散に彼に駆け寄る。 駆け寄る彼女――アピス・ユピテル・コードウェルを、佐伯昴は苦笑しながら抱き止めた。
「2年振り?会いたかった」
「そうだと思って俺がわざわざ自ら迎えに来てやったんだ。感謝しろよ?」
「相変わらずね」
アピスは苦笑し昴から離れる。そこでようやくスーツケースを置きっ放しにしてきたことに気付いたらしく、彼女は慌ててそちらに顔を向けた。ラズが、自分の分と彼女の分、二人分のスーツケースを引き摺ってこちらに歩み寄って来る。顔には、呆れの表情が浮かんでいる。
「確かにこの国は治安が良いが、空港はどんな人間が出入りしてるかわからないぞ」
「つい…ごめん。ありがとう」
アピスにスーツケースを渡すラズを見ながら昴は眉をひそめた。
「お前が来たのか?千秋は?」
「遅れて来る」
「地方に視察に出したら、手違いで予定通りの日に帰ってこれなくなっちゃったの。だから先に来たのよ」
そうか、と適当に相槌を打ちながら昴はアピスの荷物を受け取った。だが、自分で運ぶことはせず、運転手に車まで運ぶように伝える。運転手はラズの分も受け取り、先に車に戻っていった。
ゆっくりと、3人は歩きだす。
「昴に聞いたときは信じられなかったけど、ニホンって本当に未来都市みたいね。建物が隙間なくひしめきあってたわ。びっくりしちゃった」
「まぁ…それを未来都市と言うかは多いに疑問があるが」
「んー…ちょっと窮屈な感じはするけど、なんか発展してる感じじゃない?」
「そうか?」
昴とアピスの会話をラズは一歩下がったところから見守っていた。2年前、アピスが昴に別れ話をして以来の再会になる筈だが、特に気まずい雰囲気というわけでもなさそうだ。すっきりとした別れ方だったのと、二人のさばさばとした性格が要因かもしれない。
だが、話の途中でふと昴は言葉を止めた。アピスは不思議そうに彼を見上げる。昴は真剣な顔でアピスを見つめる。その表情にこれといって強い影がないことを確認すると、表情を崩して、ぽん、と彼女の頭を叩く。
「―――元気そうだな」
「?…元気だよ」
「立ち直ったみたいだな」
その言葉を聞いた瞬間、アピスは表情を強張らせる。それを見た昴が発言を後悔していると、彼女は苦笑、といった笑みを溢した。
「2年経ったし――今は、それどころじゃないから」
その言葉に嘘はないだろう。
彼女達の大切な友人を失って、もう2年も過ぎた――いつまでも過去に囚われている場合ではないし、特に今、彼女には個人的な感情に振り回されている余裕はない。
だが、拭いきれない悲しみをその表情から感じて、昴もラズも、胸が締め付けられるような思いがした。




