第1章:トウキョウ 12
応接室で向き合って座ると、アピスに聞かれるまま、晃一は昴とのやりとりを彼女に話した。昴が執着する彼女から避難するよう言われる他に、彼が意志を変えることはないように思えたからだ。ただ、話しているうちにやる瀬なさともどかしさがこみあげてきて、最後にはとうとう彼は頭を抱え、まだ自分の子供ほどの歳の小娘に愚痴るように呟いた。
「どうして――どうして、どうにもならないんだ」
昴のことも、戦争のことも。
映画に出てくるヒーローではない。世界を敵に戦う勇気も力も彼にはない。それどころか、一番身近なところの――最も大切なはずの息子一人さえ、満足に守れそうにない。
覚悟はしていたはずだった。ニホンがおかしくなったか、はたまた世界がおかしくなったか――少なくとも彼は、後者だと信じている――とにかく、世界と自分達にすれ違いが生じ始めた3年前。そして、こじれた世界との関係を立て直そうと、『七名家』の頂点として奮闘したこの3年間。
この戦争が避けられないと悟った、1年前。
ヒーローにはならないと、自分で自分に誓った。
最優先は自分の命。そして、守れる最小範囲の命。
だが、実際間の当たりににしてみると――随分と勝手が違ってくる。
無駄だとわかっていても、あがかずにはいられない。戦争なんか嫌だ、怖いのだ――避ける道を、がむしゃらに探してしまう。出来るだけ多くの命を救えないかと、欲が出る。
そのくせ、実際には息子にすら手が回らない。
全てが空回り、残るのは虚しさと疲労ばかり。無駄なのに無駄なのに――ああ、今もまだ、道を探ろうとする自分がいる。
晃一は深く溜息をつくと、顔を上げてアピスを見た。流石にいつまでもうなだれているわけにはいかない。昴だけは――助けなくてはならないのだから。
一方、アピスは複雑そうな表情で晃一から視線を反らす。
「私にどうにか出来れば良いんですけど……セレスティアが他の世界に下手に干渉することが、却って不均衡の原因になってしまうかもしれないので」
『最上界』セレスティア。
その地の均衡は他の世界に普く広がり、その地の不均衡もまた他の世界に普く広がる。
全ての世界を左右するその地が絶対不可侵であると同時に、その地にとって、簡単に影響を及ぼしうる他の世界もまた絶対不可侵。
本来ならばセレスティアは他に干渉をしない孤高の世界であり、下界からは目を反らし、ただ己れを律し続けることだけが求められる。その原則を破ることを許される唯一の存在が、世界をも越える神の術を得たコードウェルであり、コードウェルの許可がなければ、聖族といえど他の世界に訪れることは許されない。
すなわち、アピスと凪、昴の関係も――アピスがコードウェルとして《殿》の教師に凪の勧誘を許可し、凪に昴をセレスティアに呼ぶことを許可しなければ、始まらなかったのだ。
沈んだ顔をするアピスに、晃一は静かに首を横に振った。
「君が沈む必要なんてない。これは私達の事情だから。君は君の事情で動けば良い――だが、昴は私達の側の人間なんだ」
ソファに深く身を沈め、晃一は遠い目をして言う。
「――彼は、それをわかっていないようだ」
「私もそう思います」
アピスは素直に賛成の意を示し、顔をしかめて晃一と自分の間にあるテーブルの上に視線を落とす。
「昴はこちらに関わり過ぎてる。セレスティアに関わった他の世界の人間の良い話はあまり聞きません。戻れなくなる前にセレスティアを断ち切って欲しかった――だから2年間、私は…」
その先の言葉をアピスは飲み込む。そこまで勢いで言ってしまったのか、残ったのは気まずい沈黙だった。
晃一は2年間に昴と別れた理由の断片を始めて耳にし、少し驚いたが、彼女の意を汲んでそれ以上追及はしなかった。何より、終わった付き合いの話に今更親がどうこう口出しするものではない。
「…それを聞いて安心したよ――情けないが、私ではもうどうにもならないから、君に昴を止めてもらいたいんだ」
「でも――止めようとしたんです、私も。けど、無視されて…」
勿論、避難せずに自分達についていくと言った昴をアピスはそのとき一旦止めた。何を言っているのかと、なじりもした――だが昴は結局聞く耳を持たず、何も言わずに自分の部屋に引き下がってしまったのだ。
だからアピスは晃一のところに来た。
晃一は姿勢を正し、アピスの目を見る。その真剣な眼差しに、彼女は言葉を失った。
「君なら出来ると思うよ。昴の心に響く声を、君は持っているから――頼む、昴を救ってくれ」
救う――アピスは口の中でその言葉を反芻した。彼女にはあまりに縁のない言葉は、新鮮な響きを持って彼女の心を打つ。
しかし、数秒、思慮するような間を挟むと、彼女は唇を噛んで、息を吸った――が、その瞬間、晃一の視線がふと右にずれる。言葉を発するタイミングを逸し、更につられるようにアピスも視線をそちらに移すと、今は使われていない暖炉の上に並ぶいくつかの写真立てが目に入った。
「…私が忙しいせいで」
晃一は照れるように、だがどことなく誇らしげに口を開いた。
「家族3人で撮った写真はそこにあるもので全てなんだ。この歳になると、もう一緒に撮るのは不自然だし――昔の内にもっと撮っておけば良かったと、最近特に思う」
アピスは不思議そうに晃一を見る。その目は、まるで知らないことを教えられる子供のように純粋で、濁りがない。
「だが同時に、忙しさも全てこのためのもの――この写真の3人を守るためのものなんだと思うと、それはそれで間違ってはいなかったと思っている。結局、根本にあるのは」
立ち上がり、暖炉に歩み寄ると彼は写真立ての一つを手に取った。
「――大切なものを守りたい。
そんな、単純な願望だけなんだな」
この国を救いたいと思うのも、昴を救いたいと思うのも、変わらない。
この国を救いたいと思うにしたって、その理由は、元を辿れば昴や妻に行き着くのだから。
晃一は思うのだ。
自分は映画のヒーローではない。
だが、家族の中ではヒーローなのだ。
助け、支えの中心にならなくてはならないのだ、と。
優しげな目で写真を見つめ、柔らかな表情で笑う晃一。
そんな彼の姿を、アピスは目を細め、どこか――悲しげな表情で、ただじっと見つめていた。
青年はシンジュク駅周辺を歩いていた。すっかり街の若者に溶け込んだその姿は、とてもこの国を脅かす壮大な計画の加担者には見えない。
彼と『あの方』は今、これから起こるだろう大混乱をより効果的に仕立て上げるため、綿密な計画を練って世界連合に送ろうとしているところだ。データにして送信すると、また何処の誰とも知れない者にハッキングされる恐れがあるため、今度は直接渡しに行くらしい――そのためには、『あの方』の能力が不可欠だ。
リオールに接触したのは青年である。リオールがハッカーの正体だと見込んでのことだったが、結局、それは見当外れだった。顔を見られた以上その場で殺そうともしたが、犯人を知っている様子だったので仕方なく連れ帰り――リオールを引き連れた自分を見たときの彼の表情を思い出し、青年はうんざりした――勿論リオールが犯人を吐くことはないが、『あの方』の指示で今まで生き長らえているわけである。
そして、同様に『あの方』の指示で昴を襲ったのもまた青年である。彼はこういったことには全くといって良いほど向いていないので、専ら青年に仕事が回ってくる。『あの方』といえど、そのハッカーの特定には困難を極めているようだ。最近になると、とうとう手当たり次第で容疑者を潰していこうとしはじめた。お陰で青年はとんでもない損害を被ったものだ。
あの歴史的大事件の黒幕とだけあって、どれだけ面白いことをしてくれるのかとわくわくしていたが、やることは意外に地味で普通。彼等につき従ってもう4年になるが、青年はそろそろ飽き始めていた。
歩き続けてもうどのくらい経つだろう。尾行されている可能性も排除出来ず、回り道を繰り返していたせいでシンジュク御苑に着いた時には待ち合わせの時間を既に過ぎていた。入口で少し立ち止まり、何気ない仕草で辺りを探ってみる――つけられているとしたら精霊だが、その気配はない。
青年は入場券を買い、中に入る。さて、ここから待ち合わせ場所までまた少し歩かなくてはならないが、時間に厳しい待ち人を怒らせないようにするためには何と言えば良いだろうか――青年はかけるべき言葉を探すため、考えをめぐらせる。
「――ブラック」
そのとき、右の方から青年の名を呼ぶ声が聞こえた。
聞き慣れた女性の声に、おや、と思って青年は振り返る。そこにあるベンチに浅く腰掛け、惜しげもなく長い足を組んで投げ出し、彼女は呑剣な眼差しで青年を睨んでいる。一瞬、青年は彼女が誰だか判別がつかなかった。何故なら、今は綺麗に肩の上で切り揃えられた艶やかな黒髪は、以前会ったときはまだ背中辺りまであったからだ。黒いスーツを身に纏った彼女は、まるで映画に出てくるエージェントのようだ。
目立たないように、と場所まで指定してきたのは彼女の方なのに、なんともこの場に不釣り合いな姿に青年は思わず苦笑する。昔からそうだ。彼女は、しっかりしているようで何処か抜けている。
「――髪切ったの、姉さん?」
「ああ、コレ?あんたに頼まれてた件、調べてたら、あのイカレ科学者に会ってね……ちょっと切られたから、思いっきって切ったの。それより遅いじゃない。もう10分も過ぎてるわよ。待ちくたびれて入口まで来ちゃったじゃない」
相変わらずの姉の態度に笑いながら青年は謝る。彼女はふてくされてはいたが、青年がこれまでの人生で学んだ通り、謝られれば満足なのか特にそれ以上責めることはなかった。
そうこうしているうちに、不遜な態度で御苑の入口に居座る異国顔の女の姿を回りが気にかけはじめる。
このまま入口にいたのでは目立つから、歩きながら話そうか――そう青年が提案すると、彼女は頷き、一人ですたすたと先に歩いて行ってしまった。
立ち上がった彼女はヒールのせいもあって青年より少し背が高い。いつも通り、それを若干恨めしく思いながら、慌てて青年は彼女の後についていった。




