第1章:トウキョウ 11
部屋の扉が叩かれたのは、夕食を食べる間もなく、受けてはかけるという電話の処理が一通り終わって暫くしたときだった。
疲労は限界に達し、晃一の意識はまどろんでいた。これほど気力と体力を費やしても、成果は殆どあがらない。四院醍醐は見つからないし、連合を止める手段も全く浮かばなかった。事態は刻一刻と悪化していく――ニホンの表社会を取り仕切る『七名家』の頂点たる佐伯家の当主であっても、出来ることといえば、国民や企業に大きな混乱が広がらないよう情報の統制をとることと、『八旧家』から事態の進展を告げる電話がかかってくるのを待つこと、ただそれだけだ。
ノックの音に覚醒し、入室を許可しようと口を開く。だが、ふと視界に入った部屋の散乱具合を見て、彼は仕方なく立ち上がった。
扉を開く。
返事もなく扉が開いたことに驚いたのか、そこには虚を突かれたような顔をしてアピスが一人で立っていた。
「あ――話を、昴から聞きました」
アピスは直ぐ様我に返り、しっかりとした眼差しで晃一を見上げる。
「…でも、様子がおかしかったので」
詳しい話を聞きに来たのだろう。昴のことだから、世界情勢の説明をし、一方的にアピス達に付き従うことを宣言してさっさと自分の部屋に戻ってしまった可能性が高い。
晃一は書斎の中を振り返った。ソファーの上にはまだ雑誌や本が転がっている。それだけならばまだ良いが、机の上や本棚、床――見苦しいところは多々存在する。
視線を戻すと、扉の隙間から中が見えたのか、アピスが苦笑していた。
つられて晃一も苦笑し返す。
「1階の応接室で待っていてくれるか。勝手に入って構わないから。直ぐに行く」
「わかりました」
書斎のことにはあえて何も触れず、アピスはにこやかな笑顔で返事をすると、応接室へと先に向かっていった。
それを見送り、扉を閉めると、昴は机の前まで戻る。
そこに置いてある携帯電話を手に取ると、今度はしっかりと電源を切った。
「やはり無理だったか」
ラズはそう溢しながら高級そうな椅子に座り、机の上に乗ったパソコンを立ち上げた。納得はいかないが、今の対話で今後の方針は大体決まった。今のうちに王国に連絡を入れなくてはならない。
ラズに続いて部屋に入った千秋は、応接用と思われるソファーに腰を下ろす。
「『どうして?』って、即答だったからなー…やっぱ帰るわけねーよな…」
昴の話を聞いたとき、アピスはラズ達が予想していたほど驚きはしなかった。てっきりリオールのことしか見えていないのかと思っていたが、そこは流石にアピスとだけあって、来る前にこの国の情勢はぬかりなく確認していたらしい。
状況を飲み込むとアピスの判断は早かった。先の一件もあり、迷いなくリオールを見つけ出すことを彼女は最優先事項として挙げ、直ぐ様千秋にいくつか指示を与えた。そして自分はラズと今ある情報を確認すると、犯人を特定すべくさっさと部屋に籠ってしまったのだ。今頃は、昨日指示して国から送らせたデータベースと情報を部屋で照らし合わせているだろう。
その中で、千秋はラズに言われた通り、それとなくアピスに避難するよう勧めたのだが――まあ、結果は言うまでもない。
額に手をやり天井を仰いだ千秋は視線だけをラズに向け、尋ねた。
「お前はどうすんだ、ラズ?この国にもう用はないんだろ?」
「……これから父上に許可を貰わないとならないが、残るつもりだ。お前一人にアピスを任せるわけにもいかないしな」
反論しようと口を開くが、結局千秋は何も言えなかった。こと『守る』ということになれば、千秋がいくら優秀な騎士であり術士であっても、ラズに敵うことはない。
絶対防御の神の力――封印術は、ベギンの専売特許である。
ああ、とやけくそに叫んで千秋は今後は手足をソファーに放り出す。ラズはちらりと視線を上げてそれを見たが、呆れたような顔をしただけで何も言わなかった。
「どうすりゃいいんだ…」
「とにかく、お前の場合、まずはアピスの言われた通りに動くことだな。無茶苦茶だが、彼女もノープランで話しているわけじゃないだろう。何か策があるはずだ。ここは彼女を信用して、大人しく従おう」
「まあアピスの言うことに合わせてりゃ確かだけどな…」
無謀でも天才。《鐘楼の殿》が誇る聡明な指揮官でもある。事実、彼女はコードウェル再興に着手してからここまで、臨時に編成した国軍を指揮して最小限の被害で国内の数々の紛争を止めてもいる。本人は変わらない国内の争いと己れの無力さを嘆いているが、決して彼女が無力なのではない。
ただ、彼女の努力を、争う民の狂気が上回っているだけのこと。
千秋は苦虫を噛み潰したような顔で唸る。
「……けど、本気で俺達だけでやるつもりかよ…」
コードウェル国内の人員をこれ以上割けないのはわかっている。だが、だからといってベギンに援助を求めるかとなると、それを避けたい気持ち良くわかる。今のベギン国王の狡猾さと今後の外交関係考えると、借りは作らないに超したことはない。本国のイヴァーノフはここ数ヶ月どうしてか連絡が全く取れない状況だし、端から『傍観者』であるミストラルが手助けをしてくれるわけがない。
だが、だからといっても無茶がある。アピスがどう思っているかはわからないが、これは言うなれば『国主救出』任務。身に押し掛かる緊張と責任は半端ない。しかも、相手は聖族である可能性が高い。
正直、吐きそうだ――そう言って、千秋はがくりとうなだれた。
パソコンに打ち込む手を止め、ラズは画面をじっと見つめる。王国に送る暗号文だ。抜かりが確認する。調査の結果、また、調査続行のためのニホン滞在期間の無期限延長を申請する文書――かなり、事実とは異なっている。だが仕方がない。アピスの立場もある。千秋だけでなく、ラズも実父の狡猾さは認識していた。今後コードウェルがベギンと対等な関係を築けるようにするためにも、ここはアピスの助けをするために残るというより、王命のためと言った方が妥当だろう――まあ、バレバレだとは思うが。
思わずラズは苦笑した。国より、仕事より、彼女を優先する自分がいる。私情に流されるようなタイプではないのだが、それでも彼女には惹き付けられずにはいられない。
それも彼女の特性だろう。
カリスマと言うのだろうか。
確認を終え、送信する。これは一度ロシアのイヴァーノフに送られた後、そこからセレスティアに送られる。
送信が完了したことを告げるアナウンスが出ると、ラズは再びパソコンをいじりだした。
「……とりあえず、俺の私兵を1人呼ぶ。来る時、ついでにお前が頼まれてた資料も持って来てやる」
「私兵…って……」
「シャビ・ジンナーだ」
千秋の顔がさっ、と青ざめる。その反応を視界の隅に捉えたラズは、はじめは不可解な表情をしていたが、すぐにその理由に思い当たったようだ。ああ、と言いつつ頷く。
「そういえば前にボロクソに言われてたな」
「…まじ苦手なんすけど、あいつ……」
「生真面目な上にプライドが高いからな。その分、仕事は完璧にこなす――まあ、あの時は、あいつも悪かったが」
千秋とそのシャビが初めて会ったのは2ヶ月ほど前だろうか。
『騎士』という制度のない王国において、権力者は大抵、2、3人の『私兵』というものを抱えている。『騎士』の役割の中心は主人の剣となり盾となることであるが、『私兵』の役割は主人の手足となることであり、故にラズの使者として、アピスに用件を伝えにシャビは君主国にやって来たのだった。
そのときのことを思い出し、千秋の表情は更に沈む。
「あの後厳しく言っておいたから大丈夫だろう。悪いが、他の私兵は今別の用事を頼んであるんだ」
「わかったよ…」
ラズは協力する側の人間だ。協力される千秋に強く反発する権利はない。げんなりしつつも、渋々千秋は了承した。
「……だけど、資料集めるのに時間かからないか?同盟に申請しても、簡単に出てくるとは思えないし…」
千秋がアピスから頼まれた指示の一つで、真っ先にやるよう言われたもの――それが、20年前のコードウェルの事件後、同盟が聖族相手に実施した事情聴取の記録の資料を集めることだった。
今回のリオールの件は、まだ推測段階とはいえ、聖族が聖族を襲うというあまりに特殊なケースである。そして、そう遠くない過去にたった1度だけ、同様に聖族が聖族――しかもコードウェルだ――を襲ったのではないかと言われる未解決の事件があるとなれば、関連性を疑わずにはいられない。アピスは端から20年前の事件との関連性を疑っていたのだから、尚更だ。
だが、記録は神聖大陸同盟という独立機関が握っている。セレスティア唯一の独立機関とだけあってプライドの高い彼等が、いくら聖族の要求とはいえ、そうほいほいと応じるとは思えない。千秋は正攻法は諦めて、同盟のデータベースにハッキングをかけるつもりでいたが、それも《殿》で専門教育を受けた千秋だから成せる技だ。《殿》出身ですらないシャビには到底出来ないだろう。
「問題ない」
しかし、ラズは即答した。
訝しむ千秋に、彼は何ともないように言う。
「俺が持っている。封印してあるが、王宮の俺の部屋にあるからな。持って来させるだけだ」
「何で!?」
身を乗り出して驚く千秋を一瞥して、ラズはパソコンに視線を戻す。それ以上答えようとはしなかった。
仕方なく、千秋も僅かに浮いた腰を下ろす。だがその顔は納得がいかず、酷く不機嫌なものだった。
「……また王命かよ。仕方ねーけど。でも、王命ってことはあの狸じじぃの命令だろ?」
「心配しなくとも、コードウェルには何の害もない。完全な復興がいつになるかわからない君主国なんかに父上は興味を持ってはいらっしゃらないさ」
侮辱している、何より、復興を主導しているアピスを――かっ、と頭に血が昇った千秋だったが、罵倒が口を飛び出す寸前で思い止まった。ラズは国王の胸の内を的確に当てて代弁しただけ。彼の本心ではない。
そして、ベギン国王――ラザフォード13世とは、そういう男だ。
怒りを紛らわすようにどかっ、とソファーに身を投げ出した千秋を見て、ラズも苦笑する。
だが、その表情もパソコンに戻った途端一変し、彼は真剣な顔で画面を見つめていた。
映し出されているのは、この数ヶ月間の、ある人物の行動をまとめたもの。
先程から、ずっと頭に引っかかっていることがあった。
彼が見るのは、一ヶ月前の記録。
そこにずらりとならんだ『四院』の文字。
考え過ぎかもしれないが、これは少し、調べた方が良いかもしれない――そう思いながら、彼はそっとをパソコンを閉じた。




