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第1章:トウキョウ 10

 窓の外を見る。雨は止んでいたが、空はどんよりと曇っている。そういえば最近太陽を見ていない――と、昴は今更ながら気が付いた。

 代わり映えのしない空から視線を外し、次に彼が見たのは書斎の机で電話を耳に、何かを小声で話している父の姿だった。ラズ達が着くのを待っている間に彼は慌ただしく帰ってきて、昴だけを自分の書斎に呼んだ。本当は襲われた本人である昴が説明するのが望ましかったが、アピスに促されて、渋々父についてきたのだ。

 だが、彼は昴を呼んでおきながら、書斎に着いた途端に鳴った電話にかれこれ30分はかかりっきりである。外の様子はわからないが、ラズ達も流石に到着したのではないか。

 昴の苛立たしげな視線を受けて、父――佐伯晃一(さえきこういち)は苦笑しながら片手を上げた。謝っているつもりらしい。憮然とした表情で昴はそれを無視して、転がっていた週刊誌に視線を戻した。『世界連合の陰謀と脅威』――ニホンが無実だと信じて止まない国民は、世界連合をけなし始めている。

 それからまた10分ほどしただろうか。ようやく晃一が電話を切り、小さく溜息をついた。昴は顔を上げる。そこで初めて、父が妙に疲れた顔をしていることに気が付いた。


「悪かったな…」


「何かあったのか?」


 昴の質問に晃一は言葉に詰まる。言おうか言わまいか悩んでいるというよりは、言葉を選んでいるようだ。

 しかし結局良い言葉は見つからなかったのか、諦めたように晃一は力なく言った。


「……醍醐さんが行方不明なんだ」


 一瞬、誰のことかわからずに昴はきょとんとする。だが、本当に一瞬だった。理解すると同時に、彼は目を見開いて思わず立ち上がる。手にしていた週刊誌を放り投げて身を乗り出した。


「四院の当主が!?」


「昨日、秘書の一人と車で首相官邸に行く途中で連絡が途絶えたらしい」


 頭の中が真っ白になる。

 大事件だ。四院醍醐は歴代の四院の当主の中でもかなりの敏腕で、このご時世に海外とのパイプも広く持っているため、政財界への発言力が非常に強い。本来裏社会の人間でありながら表にも顔を出す珍しい人物であると同時に、裏社会だけでなく表社会でもニホンの政策決定に関する重要なポストにある人物である。

 それが、よりにもよって、武力制裁の危機に瀕するこの大事な時期にいなくなってしまったなんて。


「醍醐さんは連絡がとれなくなる直前に官邸に連絡を入れていた――世界連合に対して『下手に反論するな』と。それに、『連合の話が虚偽である証拠を手に入れた』とな」


「じゃあ連合の仕業とかか?武力制裁を阻まれたくなかったから…でも何故?」


「まだ全容が明らかになっていないから断言は出来ない。身代金の要求があるわけでもないしな。けど、その『証拠』とやらが、醍醐さん達と一緒になくなったことは確かだ」


 言い終わると、晃一はじっと昴を見つめた。その視線で、どのような結論を出すのか試されていると思った昴は、腕を組み、頭に浮かぶ考えをぶつぶつと呟く。


「……時期が時期だから、やっぱり連合の仕業だと思うが。それとも反四院派のテロか?けど何かがひっかかって――」


「違う、昴」


 唐突に、彼は昴の呟きを遮る。不意を突かれ、昴は訝しげに視線を上げて晃一を見た。


「父さん?」


「私が言いたいこと、わからないか?――となるとやっぱり、お前の中にはこういう選択肢はないのかな」


 晃一は深い溜息をつきながら立ち上がった。それを目で追う昴は、ふと、晃一の足下に段ボールの箱がいくつも転がっていることに気が付く。中には本や、書類が詰まったファイルとおぼしきもの、緩衝材に包まれた装飾品が丁寧にしまわれている。彼は回りを見回した。書斎の壁一面を埋め尽くす巨大な本棚は、下の方がすかすかだ。よくよく考えて見れば、目の前の机や、つい今まで昴が座っていた応接用のソファーの上に転がっている書類や本、雑誌は、この部屋の機能を奪っているではないか――こんなに散らかっていたら、書斎も書斎として使えない。此処は、晃一が仕事場として一番よく使っている部屋なのに。

 昴が一つ一つを確認して状況を理解していく様子を、晃一はただ黙って見守っていた。


「――どういうことだ?」


 やがて、昴は低く尋ねる。答えはわかりきっているが、尋ねずにはいられなかった。この様子からして、自分の意志とは関係なく、晃一はあることを決定してしまったようだ。

 予想通りの昴の反応に晃一はもう一度溜息をつく。


「見ての通り――引っ越そうと思ってる。キョウトの別邸にな」


「どうして!」


「わからないわけじゃないだろう?醍醐さんがいなくなった。ニホンを守るための『証拠』もなくなった。世界連合はもうすぐそこまで来ている――トウキョウが戦場になるまで、そう時間はかからない」


「アピスは!?あいつはリオールが見つかるまでは絶対に此処を離れねぇぞ。どうするつもりだよ!」


「トウキョウに残ると言うならばこの家をやるつもりだし、避難するならキョウトでも受け入れるさ。彼女達は戦争のプロなんだろう?自分の安全くらい自分で守れるだろうから、残ると言っても止めはしない――だが、お前は違う。ただの無力な人間だ」


 昴は唇を噛み締め、晃一を睨んだ。彼の言うことは最もだ。正しいこともよくわかる。昴が残ったところでアピスの役に立つわけでもない。だが――アピスを危険な場所に残して自分だけ逃げるなど、出来るわけがないではないか。


「……俺はアピスについていくからな」


「昴!」


「当然だろ。リオールのことを知らせたのは俺だ。この危険な時期に、アピスをこの国に引き込んだ原因は俺にある」


 すっ、と晃一は目を細めた。眉間に皺がよる。息子が言うことを聞かないことへの苛立ち、もどかしさが募る。だが同時にわかっているのだ。昴がもう子供ではないことは。強い意志と歴とした理由があって彼が出した結論に、自分が口出しする権利などないことは。

 それでも、言わずにはいられない。


「…彼女はきっと避難するように言うだろう」


「だから何だ。アピスの言うことを俺が聞かなきゃならねぇ理由もないだろ」


「俺達の気持ちを考えろ!」


 何かが、晃一の中で切れた。

 唐突に怒鳴り声を上げた晃一に圧倒され、昴も流石に言葉を失う。彼が普段穏やかな人間であるが故に、余計に迫力があった。

 晃一は顔をしかめ、切実な声で懇願するように訴える。


「お前は昔からそうだ――頑張り過ぎだ。負けず嫌いなのはわかるが、いい加減限度を知ってもいいんじゃないか?昔は凪君やアピスちゃんがお前を守るためにいてくれたからまだ良かった。だが今回は違う。あの子ははあの子でやるべきことで精一杯なんだ。万一お前に何かあったら――」


 最後の言葉は口の中に消えていった。晃一はうつむく。その肩が、怒りではなく不安に震えていた。ろくな言葉が浮かばない。これでは、押し付けがましいエゴの域を出ない。実際エゴであることに変わりはないのだが――ああ、唯一無二の息子にかける自分達の愛情を、彼に理解させることはできないのだろうか。

 そんな震える父の身体を見ながら、昴は全く動くことができなかった。いつだって強く逞しく佐伯家を支えてきた晃一だ。晃一との間には色々と埋められない溝があったが、溝の向こうからもそれは確認出来たことで、昴も認めていたことだった――それが、こんなに弱々しく脅えた姿を見ることになろうとは、そんなことが、どうして昴に予想できただろう。

 思わず手を伸ばしかけて、彼は愕然とした。伸ばした手も空で止まる。


 ――この人は、こんなに小さかっただろうか。


 ぎゅ、と昴は手を握り締めた。迷いなく、中途半端に止まった腕は下ろした。


「――それでも俺はアピスと行く」


 僅かに、晃一が顔を上げる。だが昴の目を見るには到らずに、彼は再びうつ向いてしまう。

 昴は晃一に背を向けた。


「アピスには俺から言う」


 それだけ言い残すと、もう話すことは何もないと言わんばかりに、さっさと彼は書斎から立ち去る。

 ぱたん、と静かな音を立てて部屋の扉が閉まると、晃一はようやく顔を上げた。

 沈黙する扉。

 見つめる晃一の目はどこなく寂しげだ。

 もう何度目になるだろうか。溜息をついて、晃一は床に転がる段ボールを乗り越えた。昴がそう言っても、この家の主として、一度、今後のことをアピスと話合わなくてはならない。

 扉に手をかける。


 ―――プルルルル…


 瞬間、部屋に鳴り響いた音。彼は振り返った。机の上で、置き忘れた携帯が鳴り続ける。

 無視しようかと思った。

 携帯に着いたランプは仕事先からであることを知らせるものだ。電話を取れば、また長時間の拘束は免れない。


 それでも。


 ――やはり、晃一は深く溜息をついた。

 どれだけ無視しようと電話は鳴り続けるし、どれだけ溜息をつこうと問題が解決するまで逃げ出すことは出来ないのだ。

 晃一は扉から手を離した。


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