第13話 断罪と完全破滅
「い、偉大なるオルデンブルク帝国皇帝陛下、そして……ロヴィーサ様」
玉座の前で、ヴェルダン国王は自らの王冠を足元に置き、床に額を擦り付けていた。
かつて大陸有数の文化大国として誇り高かった王の姿はそこにはなく、ただ己の命と国の存続を乞う、一人の老いぼれた敗者に過ぎなかった。
「退位を……お受けいたします。帝国の監督下で、評議会に国政を委ねます。ゆえに、どうか……」
「神殿の記録も評議会へ渡せ。処分を言い渡したあと、貴様自身も取り調べを受けてもらう」
ヴァルデマーの声に、国王が頭を下げた。
脇に控えた書記官が、停戦使の持参した条件書へ新たな一項を書き加える。
「我が愚息フロリアン、並びに偽聖女ジビュレ、そしてエーレンハイム伯爵夫妻の罪科に対し……裁定を下します」
「ち、父上……!? 何を仰るのです父上ぇっ!」
鼻血を滴らせたフロリアンが、血相を変えて叫んだ。
「私はヴェルダンの唯一の正統なる後継者ですぞ! 王族を裁くなど、我が王家の名誉が――」
「黙れ、この親不孝者が!!」
国王の怒声が広間に響き渡る。
「お前が己の欲望のためにロヴィーサ嬢を虐待し、その功績を奪い、あまつさえ敵国へ売り飛ばしたせいで、我が国は滅亡の淵に立たされたのだ! これ以上の恥を晒すな、この国賊めが!」
書記官が読み上げた処分案に帝国側の確認が済むと、国王はその羊皮紙を受け取り、声を張り上げた。
「――主犯、元王太子フロリアン! 貴様の王族籍を今この瞬間をもって永久に剥奪し、平民へと落とす! さらに、北方の最果て――死の鉛鉱山へ永久流刑に処し、一生涯、手枷と足枷を嵌めて泥水を啜り、石を掘り続ける強制労働を命ずる!!」
「な……っ!? 鉱山……!? 嘘だ、嘘だろぉぉっ!?」
フロリアンは絶望のあまり白目を剥き、その場で失禁した。
絨毯に染みが広がった。近くにいた貴族が、あからさまに顔を背けた。
「嫌だ! 俺は王太子だ! 礼服を着て、ワインを飲んで、民に崇められるはずの男なんだ! 鉱山なんて汚い場所で死ぬのは嫌だぁぁっ! ロヴィーサ、助けてくれ! お前が口添えしてくれれば――」
「お黙りなさい」
私の冷たい一言に、フロリアンの顎がガクンと止まった。
「十年、あなたは私を地下の泥水の中に閉じ込めました。今度はあなたが、太陽の光も届かない鉱山の底で、一生を終える番です。……とても公平な処遇だと思いますけれど?」
「ひ、ひぃぃぃっ……!」
フロリアンは肩の間に頭を埋め、奇声を上げながら、衛兵たちによって引きずられていった。
かつて私を冷酷に見下ろしたあの男は、今や恐怖で顔をぐしゃぐしゃにし、床に汚れた水溜りを残して消え去った。
そして――。
柱の陰で蹲っていたジビュレへと、国王の冷酷な視線が向けられる。
「次いで、共犯たるジビュレ・フォン・エーレンハイム! 貴様を『聖女』の座から永久に追放し、神殿の名誉を著しく汚した大罪人として処遇する! ――貴様には、ロヴィーサ嬢が十年間耐え抜いた大神殿の地下牢へ、一生涯の幽閉を命ずる! 神殿の復旧に従事し、虚偽の奇跡で得た財はすべて返納せよ!」
「い、いやぁぁぁっ!?」
ジビュレが甲高い悲鳴を上げ、爛れた顔を激しく左右に振った。
「嫌よ、あんなカビ臭い地下室なんて! 毒泥が吹き出しているのよ!? あんな場所に入ったら、わたくしの肌が……わたくしの顔が腐り落ちてしまうわぁっ!」
「妹に押し付けていた毒だ! これからは貴様が――」
「同じことはできませんわ」
国王が口をつぐんだ。
私は、ジビュレが十年前にも聞いたはずのことを、もう一度告げた。
「姉に瘴気を吸わせても、死ぬだけです。地下に残った汚泥は、道具で掻き出して密閉槽へ移す。帝国の工兵が、その準備をしています。姉には、その作業を」
大結界を止めた今なら、新たな瘴気は流れ込まない。残った汚泥だけなら、防具と道具を使って運び出せる。
貯留槽の掃除は、何度も頼んだ。私に押し込めさせておく方が安く済むからと、先延ばしにされ続けた仕事だった。
「牢へ戻るのは、毎日の仕事を終えてから。今度は誰かに代わってもらうこともできません」
「ロヴィーサ……! ロヴィーサぁぁっ!」
ジビュレは床を這い、縛られた手をもがかせながら、私の足元へ近づこうとした。
かつての傲慢な態度は跡形もなく消え去り、涙で化粧の落ちた顔を上げ、叫ぶ。
「助けて! 実の妹でしょ!? お菓子だって二人で分けたじゃない! お姉様が悪かったわ、謝るから! わたくしの顔を治して! 帝国へ連れて行って、お召し使いでいいから側に置いてぇぇっ!」
二人で分けた。
その言葉を聞いた瞬間、私の口元から、ふっと冷たい笑みが零れた。
「お菓子、ですか。……そうですね、ジビュレ」
私はしゃがみ込み、ジビュレの目の高さに顔を合わせた。
至近距離で見つめ合う。
姉が一瞬、笑おうとした。昔のお菓子を持ち出せば、私も笑い返すとでも思ったのだろう。
「十年間、美味しいところだけを全部食べて、汚い毒だけを私に押し付けておいて……あのお菓子一つで、帳消しにできると思うのですか?」
「ひ……」
「身代わりは、もうおしまいです。これからはあなたが、神殿に残した汚れを片づけて、ヴェルダンの民のために働きなさい。……誇り高き『奇跡の聖女様』なのでしょう?」
「いや……いやぁぁぁっ!! 悪魔! あんた悪魔よぉぉっ!!」
ジビュレの絶叫が広間に木霊する中、帝国軍の衛兵たちが彼女の両腕を荒々しく掴み、神殿の地下牢へ移すため、広間の外へ引きずっていった。
靴で踏みとどまろうとした跡だけが、床の埃に残された。
「そして――エーレンハイム伯爵夫妻」
私の視線が、部屋の隅で震えていた実の両親に向けられる。
「あ、ああ……ロヴィーサ、どうか慈悲を……!」
伯爵夫妻が手をついて泣き崩れるのを、ヴァルデマーが一歩前に出て遮った。
皇帝の抜身の大剣が、伯爵の鼻先数寸のところで冷たい光を放つ。
「貴様らに慈悲などという言葉を使う資格はない。……エーレンハイム伯爵家は本日をもって取り潰し、全財産を没収する。屋敷も、領地も、貴金属も接収する。被害を受けた街と畑の復旧、それから帝国への賠償に充てる」
「そ、そんな……! 着の身着のままで放り出されたら、私たちはどうやって生きていけば……!」
「野垂れ死ねば良かろう」
ヴァルデマーは吐き捨てるように言い放った。
「実の娘を十年間暗闇に放り込んで贅沢を貪っていた豚どもが、今さら人の親面をするな。……二度と我が妃の前にその面を見せるな。次に視界に入った瞬間、貴様らの首をこの剣で撥ね飛ばす」
「ひぃぃぃぃっ!」
伯爵と母は悲鳴を上げて抱き合い、財産も爵位も失った平民として、王宮から追い立てられていった。
正門の外には、事情の公表を待つ人々が集まっていた。伯爵夫妻は侍従に助けを求めたが、もう従う者はいなかった。
静寂が、謁見の間に戻ってきた。
かつて私を踏みにじり、嘲笑い、身代わりの雑巾として使い潰した者たちは――誰一人として、私に命じる地位を持たなくなった。
「……終わったな、ロヴィーサ」
横から、ヴァルデマーの温かい手が私の肩を抱き寄せた。
見上げれば、この獰猛な皇帝は、私だけに向けられた穏やかな笑みを浮かべていた。
「はい、陛下。……すべて、終わりました」
手袋の中で、指を曲げてみた。まだ少し痺れている。
終わったと言えば何もかも消えるわけではない。それでも、今夜あの地下へ戻らなくてよいことは、もう確かだった。
「帰るぞ、我が帝国へ。……残る仕事は工兵と評議会に任せろ。お前が地下へ戻る必要はない」
「はい。……私の帰る場所は、あなたの隣です」
私が微笑んで頷くと、ヴァルデマーは満足そうに目を細め、私の腰を引き寄せて、その場に平伏するヴェルダンの群臣たちの前で、堂々と私の額に熱い口づけを落とした。
あの国のために生きる暮らしへは、もう戻らない。
数日後、貯留槽の封鎖を工兵へ引き継ぎ、私たちは北へ発った。
街道の警備と復旧を担う部隊が王都に残る。馬車の窓越しに、手を振るバルツァー将軍が見えた。私は会釈を返した。
隣に座るヴァルデマーが、私の膝へ毛皮を掛け直した。




