表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かつて世界を一つにした『最強の敵』、次は『偽りの凡人』として支配する  作者: 路地裏の猫
第一章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/6

第四話 シャドウ・タイガー

 私が考えていた最適解を、その男――ザンは言い当てた。  

 先ほどまで恐怖に正気を失っていた彼から、これほど冷静な提案が出るとは想定外だ。


「できますか、クロムさん。……風魔法で、この霧を」


 ザンの瞳には、真っ直ぐな意志が宿っていた。


(クロム様。一度、この無礼者に制裁を。貴方様に向かって『風魔法が使えるか』などと……あまりに不遜です)


 脳内に響くニルの冷徹な声。

 私は並行思考を回し、ザンとニル、それぞれに言葉を返す。


「はい、使えます。ただ、これほどの広範囲を吹き飛ばせるかは……やってみないとわかりません」

『ニル、落ち着け。彼らは私たちが低ランクだと思っている。至極当然の疑問だ。……今は目を瞑れ』


 私の返答にザンの表情が明るくなり、逆にニルは不満げに目を伏せた。


「ちょっと、霧を晴らしてどうするのよ! まさか戦うなんて言わないでしょうね!」


 腕を組み、鋭い視線をザンに向けるミルフ。

 だが、ザンの答えは意外なものだった。


「……いや、今回は『戦う』のではなく『耐える』べきだと思う」


 奇遇だ。

 私と同意見だ。  

 今の彼らが勝利を欲すれば、間違いなく命を落とす。

 そして、今の私は彼らの前で派手に手を貸すわけにはいかない。  

 ここは「逃げるが勝ち」の場面だ。


「耐えるだぁ!? 黙って殺されるのを待てってのか? そんなの、俺はごめんだ!」


 負傷によるアドレナリンのせいか、ウィンが激昂し、話し合いに再び火がつく。  

 しかし、ザンは一歩も引かなかった。


「違うだろ、ウィン! アルディアは俺たちの故郷だ、守りたいのは当たり前だ! ……けど、それ以上に俺は、お前たちが死ぬところなんて見たくないんだよ!」


 普段は冷静なザンの声が震え、その瞳には涙さえ浮かんでいた。


「それに、ここにはクロムさんやニルさんもいる。部外者の彼らまで巻き込むつもりか?」


 その言葉に、ウィンは毒気を抜かれたように目を閉じた。

 数秒の沈黙の後、彼は力なく吐き捨てる。


「……ちっ。悪かったよ。お前の言う通りだ、ザン」


「分かってくれて助かる。……ミルフ、作戦の構築を頼めるか?」


「えっ、私!? でも、私の作戦のせいで二人が……」


 ミルフが怯えたように視線を落とす。  

 先ほどまでの彼女は、デッドラットの殲滅に固執するあまり、イレギュラーへの備えを欠いていた。

 だが、それは任務に忠実であった証拠でもある。

 何より、彼女はもう「あれ」の存在に気づいているはずだ。  

 今の彼女なら、全滅を避けるための最善手を導き出せるだろう。


「僕もミルフさんに任せます。先ほどのデッドラット戦で見せた采配は完璧でした。今回も頼りにしていますよ」


「クロムさんまで……。わかりました。少しだけ、時間を頂戴」


 彼女は瞳を閉じ、数分間、思考の海に沈んだ。  

 やがて顔を上げたその目には、絶望ではなく、明確な希望の光が宿っていた。


「鍵を握るのは、クロムさんとザン、貴方たちよ」


 真っ直ぐに私とザンを射抜く視線。

 その様子から察するに、概ね私の想像通りの結論に至ったようだ。


「……先ほどの霧の性質、そして動きを見て確信したわ。敵の正体は『シャドウ・タイガー』。間違いなくBランク以上に相当する魔物よ」


 彼女の読みは正しい。  

 シャドウ・タイガー――自らの魔力を霧へと変質させ、それに触れた生物の体温を探知する捕食者。

 霧自体を高密度の風の刃として放つ攻撃は、並の冒険者では回避すら困難だ。  

 奴に「目」は存在しない。

 霧こそが奴の器官なのだ。


 私やニルであれば魔力探知で位置を特定できるが、彼らにその術はない。

 霧を晴らして姿を晒させ、そこを叩く。定石セオリー通りの判断だ。


「奴は熱を探知するわ。だからクロムさんが霧を晴らした直後、ウィンはありったけの松明を投げ入れて。敵が熱源に気を取られている隙に、私が拘束魔法で動きを止める。ザン、ニルさんはその瞬間に全力で叩いて」


 ミルフは地面に描いた地図を指し示しながら、一気に言葉を繋ぐ。


「チャンスはわずか五秒。目的はあくまで時間を稼ぎ、耐え抜くこと。……仕留めきれなくても、失敗したら即座に引いて立て直すわよ。いいわね?」

 中々に悪くない作戦だ。

 絶望的な状況下で、全員の役割を瞬時に構築した彼女の才覚は認めるに値する。

 ――だが、一つだけ致命的な問題がある。


 彼女たちはまだ知らないのだ。  

 シャドウ・タイガーは、その名の通り実体を持たない影の獣。  

 たった一つの『核』――心臓以外への攻撃は、すべて虚しく空を切るという事実を。


『ニル。バレないように、奴の心臓コアを貫け』


(……よろしいのですか? 私がトドメを刺してしまっても)


『彼らは弱点を知らない可能性がある。この作戦の成功率は、せいぜい五割といったところだ』


 熟練のBランクパーティーが、死地でようやく完遂できるレベルの作戦。  

 Dランクの彼らには少々荷が重い。

 ……もっとも、これだけの短時間でその正解に辿り着いた彼らの才覚は、賞賛に値するが。


(彼らは『耐える』ことを選択したようですが……?)


「クロムさん? 大丈夫ですか?」


 返答のない私を心配したのか、ミルフが顔を覗き込んできた。


「は、はい。少し……緊張してしまって」

『彼らの力では決定打に欠ける。私が魔法で「隙」を作る。その瞬間に仕留めろ』


(御意に――)


「大丈夫ですよ。私たちがなんとかします。お二人は後ろに隠れていてください!」


 ミルフが頼もしく自分の胸を叩く。  

 三人はそれぞれの配置についたが、その表情は硬い。

 無理もない、格上のBランクが相手だ。震えない方がおかしい。


「クロムさん、お願いします!」


 ミルフの合図が飛ぶ。

 私は「下位冒険者」を演じながら、ゆっくりと手をかざした。


「分かりました。――風の神よ。我が道を開き、そして吹き飛ばせ。『弱風魔法ウィンド』」


 偽装のために、わざとらしい詠唱と仰々しい身振りを加える。


 剥き出しの鋭い牙、雪のように白い毛並み。  

 その巨躯には雲のような魔力の奔流を纏わせ、紅蓮の瞳が周囲を睥睨する。  

 通常の虎の三倍はあろうかというその威容は、まさにBランクの捕食者――シャドウ・タイガーそのものだ。


 ミルフが唇に指を当て、静寂を保つよう仲間に促す。  

 彼女の読み通り、奴は熱だけでなく音にも敏感だ。


 ――今。  

 ミルフの合図と共に、ウィンが全力で松明を投げ入れた。


 案の定、奴は即座に反応し、虚空を切り裂く真空波を放つ。  

 轟音と共に地面が深く削り取られる光景に、ウィンたちが一瞬身を竦ませた。

 だが、彼らはすぐに歯を食いしばり、意識を繋ぎ止める。


 次々と投げ込まれる松明。  

 それに応じ、奴の攻撃が全方位へと乱れ飛ぶ。


 ウィンはあえて一箇所だけ、松明を投げ入れない空白地帯を作っていた。  

 そこが――ザンが駆け抜けるための、唯一の「道」だ。


 奴の意識が攪乱された、その刹那。

 ザンが地面を蹴った。


『ニル、行け』


(御意に――)


 私が直接手を下さないのは、霧を晴らす魔法に「集中しているフリ」をするためだ。   この世界の魔法使いは、単一の魔法を行使するのが基本。

 複数の魔法を同時に操る『多重発動』は、Bランク上位の熟練者でなければ成し得ない高等技術だ。  


 低ランクを装う私が、ここで別の魔法を使えば違和感が残る。

 だからこそ、ニルに任せるのが最適解だ。


 ザンが剣を振り上げるその影で、ニルが『隠密魔法』を展開し、認識の外側から奴の懐へと滑り込む。

 ザンが渾身の力で剣を振り下ろした――その全く同じタイミングで、ニルの手刀が奴の心臓コアを正確に貫いた。


 それと同時に、私は『空間魔法』を極小規模で発動。

 心臓から噴き出すはずの血液をすべて別空間へと転移させ、外部への飛散を完全に封じる。  

 致命傷を負わされたことさえ、第三者には視認させない。


 シャドウ・タイガーは断末魔すら上げられず、その動きを止めた。  

 やがてその体は黒い粒子へと変わり、夜の闇に溶けるように消滅していく。


「嘘……勝っちゃった……?」


 呆然と立ち尽くすミルフの呟きが、静まり返った広場に響いた。


「う、うおぉぉぉぉ! 勝った! 勝ったぞぉぉ!」


 ウィンが両拳を突き上げ、夜の森に歓喜の声を響かせる。

 その傍らで、ザンは糸が切れた人形のようにその場に座り込んでいた。  

 Bランクという死線を越えた彼らは、極度の緊張と興奮で、精神も肉体も限界まで摩耗していたのだろう。  

 ミルフが弾かれたように、二人の元へ駆け寄る。


「あんたたち、すごい……すごいよ! 耐え抜くつもりが、まさか倒しちゃうなんて!」


「ああ。ミルフの作戦が完璧だった。それにザン、お前……最後の一撃、強すぎだろ!」


 ウィンが座り込むザンの肩を、興奮気味に叩く。


「……いや、たまたまだ。一瞬、奴が完全に動きを止めたんだ。隙を作ってくれたミルフとウィンのおかげだよ」


「私の拘束魔法が、あのクラスの魔物にどこまで通じるか不安だったけど……本当に効いてよかった」


 安堵の息をつく彼女たち。

 

 だが、私は知っている。

 彼女の放った程度の低級魔法では、シャドウ・タイガーの魔力抵抗を貫くことなど到底不可能だということを。


(クロム様。これでよろしかったので? もっと恩を売ることも容易かったはずですが)


『何度も言っているだろう、ニル。私は「凡人」だ。目立たず、気づかれないこと。それが何より大事なんだ』


 私は喜び合う彼らの元へ、わざとらしく息を切らして駆け寄った。


「すごいです皆さん! まさか、あんな怪物を倒してしまうなんて!」


「……いえ、クロムさんが霧を晴らしてくれたおかげです。本当に助かりました」


「僕はただ、必死に風を放っただけですよ。魔法使いなら誰でもできることです」


 謙遜する私に、彼らは尊敬と感謝の眼差しを向ける。  

 やがて、リーダーのウィンが表情を引き締めた。


「ひとまず、ギルドへ報告に行こう。森にこれほどの個体がいたんだ、街にも何か影響が出ているかもしれない」



 私たちは彼の提案に頷き、日が沈みかけたの森を後にして街へと急いだ。  

 幸い、街は平穏を保っていた。

 安堵と共に、私たちはそのままギルドの扉を潜る。


「シ、シャドウ・タイガー!? そんなBランク級が森に現れたんですか!? 皆さん、ご無事なんですか!?」


 報告を受けた受付の女性は、椅子から身を乗り出さんばかりに驚愕した。  

 無理もない。

 この近辺でBランクの魔物が出現するなど、数年に一度あるかないかの非常事態だ。


「ああ、なんとかなった。だが、あの森は当面の間、封鎖して調査隊を出すべきだと思う」


「おっしゃる通りです……すぐに手配します! ですが皆さん! 無許可での高ランク討伐はあまりに無茶です! もし何かあったらどうするんですか! 分かりましたか!?」


 それからたっぷり一時間。

 私たちは受付嬢からこっぴどく説教を食らった。  

 無謀な戦いだったこと、仲間に任せなかったこと、そして――命を大切にしてほしいということ。    


 いいギルドだな、と私は心の中で独白する。  

 冒険者を消耗品と見なさず、一人の人間として案じてくれる。

 その温かさが心地よかった。

 

 ギルドを出た頃には、夜もすっかり更けていた。  

 戦いの緊張から解き放たれた空腹を満たすため、私たちは祝杯を兼ねた食事処へと足を向けた。



――――――――――――――――――――――――



「いやー、お疲れさまだぜ! カンパーイ!」


 ウィンの威勢のいい音頭で、ジョッキとグラスが重なり合い、快い音を鳴らす。  

 次々と注文が飛び、テーブルの上には湯気を立てた料理が並んでいく。    

 店は冒険者たちで溢れかえっていた。

 安くて、美味くて、量が多い。

 荒事稼業の連中に愛される、活気に満ちた酒場だ。


「……本当にお二人のおかげで助かりました。ありがとうございます」


 豪快に食らいつくウィンとザンに代わり、ミルフが改めて私たちに頭を下げた。



「いえいえ、気にしないでください。むしろ僕たちの方こそ。おかげさまで、今夜は野宿せずに済みそうです」


 私はオレンジジュースを口に運ぶ。  

 爽やかな酸味の中に広がる濃厚な甘み。

 戦いの後の乾いた喉に染み渡る。


「本当に、申し訳ありませんでした。……まさか、あんな危険な事態に巻き込んでしまうなんて」


「やっぱり、珍しいことなんですか?」


 実際、あの森にシャドウ・タイガーが現れることなど、本来あり得ない。  

 初心者向けの演習場チュートリアルのような場所だと聞いていたが。


「ええ。少なくとも、私たちは一度も聞いたことがありません。恐らく……今回が初めてのケースではないかと」


 通常出現しないはずの魔物が、不自然に現れる事象。  

 前世の私は、意図的にその「歪み」を作り出し、世界を混乱に陥れたこともある。

 それがいかに危険な兆候であるかは、私が誰よりも熟知していた。


「そうですか。でも、皆さんの命があって本当に良かったです」


「そう言って頂けると救われます。さあ、遠慮せずに食べてください! 今日は私たちの奢りですから!」


 ミルフが、私とニルの皿にこれでもかと肉料理を積み上げていく。


「あ、ありがとう……ございます」


 ――多い。  

 流石にこの量は、と言いかけて、私は飲み込んだ。


「そういえば、クロムさん」


「……何でしょうか?」


「戦っている最中、私に何か魔法をかけましたか?」


 不意に投げかけられた問いに、心臓が跳ねた。  


「魔法? いえ、特には。……どうかしましたか?」


「いえ。ただ……いつもより、自分の回復魔法の効果が劇的に強かった気がして」




 驚いた。  

 ごく僅かな魔力の指向性を操作し、彼女の術式を「最適化」したのだが。

 並の魔法使いでは一生かかっても気づかないはずの干渉に、まさか勘づくとは。  

 隠蔽が甘かったか。

 私もまだまだだな。


「……あ、そういえば聞いたことがありますよ。極限状態の集中ゾーンに入ると、魔法の威力が跳ね上がることがあるって。きっと、ミルフさんの実力ですよ」


「……そう、でしょうか? まあ、変に勘ぐるのも野暮ですね! 今夜は飲みますよー!」


「あはは……僕は飲めませんけど、お付き合いします」


 危うい追求をなんとか誤魔化す。  

 視界の端では、酔っ払ったウィンが他の客と肩を組んで踊り狂っていた。  

 一方のザンは、よほど疲れていたのか、机に突っ伏して幸せそうな寝息を立てている。


 今夜の彼らには、楽しむ権利がある。  

 結果として街を救い、形の上では私たちを守り抜いた。  


 彼らは間違いなく、この街の「勇者」なのだから。



 彼らと別れたあと、私たちは宿に向かって夜道を歩いていた。  

 ミルフにこれでもかと詰め込まれた料理のせいで、腹が苦しい。

 ……正直、少し食べすぎた。


「クロム様、大丈夫ですか? お辛いようでしたら、私が宿までお連れいたしますが」


「……いや、大丈夫だ。流石にこの年でニルに担がれるのは、恥ずかしいからな」


 人通りのある中で、従者に担がれる少年。  

 想像しただけで顔から火が出そうだ。


「担ぐだなんて、そんな。しっかりと『抱っこ』させていただきますよ。……もしそれを笑う不届き者がいれば、この街ごと吹き飛ばして黙らせますので、ご安心を」


 担ぐも抱っこも大差ないし、後者の発言が物騒すぎる。  

 そんなツッコミは胸にしまい、私は歩調を緩めずにニルへ問いかけた。


「――森にいたあのシャドウ・タイガー。現れた理由は何だと思う?」


「あの猫ですか? 一般的には『魔力の歪み』によって生じた、と見るのが妥当かと存じますが」


 魔力の歪み。  

 この世界には生物の身の内のみならず、大気中にも膨大な魔力が満ちている。

 本来混ざり合うはずのない異質な魔力が干渉し合い、空間に「歪み」が生じる。

 その特異点には、時として強力な個体が不自然に受肉ポップすることがあるのだ。  そもそも魔物とは、大気中の魔力が物質化した影のようなもの。

 魔力とは、それほどまでに強大なエネルギーの源流である。


「私も同意見だ。だが、あの森にそこまで濃い魔力が滞留しているとは思えない。そんなことが、果たしてあり得るのか?」


「魔力は流体ですから。あそこは周囲に比べて標高が低い窪地でした。淀みのように魔力が溜まり、あのような雑魚タイガーが形を成した……といったところではないでしょうか」


「……まあ、深く考える必要はないか。仮にまた現れたとしても、この街にはBランク以上の冒険者は大勢いる。彼らなら、今回のように何とかするだろう」


 宿に到着した私たちは、彼らから受け取った報酬をフロントに預ける。  

 革袋の中身は、金貨二枚と銀貨五枚。  

 シャドウ・タイガーの討伐、そして緊急事態の解決ということで、ギルド側が当初の依頼料を大幅に上乗せしてくれたらしい。


 最初は「銅貨二枚でいい」と固辞したのだが、ミルフたちの猛烈な押しに負け、これだけの大金を受け取ることになってしまった。  

 凡人を装うには些か多すぎる報酬だが、今夜ばかりはふかふかのベッドで眠らせてもらうとしよう。


「そんな、クロム様! 部屋を分ける必要などございません! 私など床で十分でございます、いえ、むしろ扉の前で蹲っているのが分相応! ですから、ぜひ同じお部屋に!」


 宿の廊下で、ニルが必死の形相で食い下がる。  

 こうなった理由は、極めて単純。

 私が「部屋を二つ取った」からだ。


「金は有り難いことにこれだけあるんだ。お前も床じゃなく、ベッドでゆっくり休め」


 私は金貨の詰まった袋を軽く振ってみせ、受付から渡された二つ目の鍵をニルに差し出した。


「ほら、これがニルの部屋だ。いいか? 寂しいからといって壁を壊したり、隠密で侵入したりするなよ?」


「そ、そんな! あんまりです、クロム様! どうしてわざわざ別々にするのですか!」


 ……男女が同じ部屋に泊まることの危うさ、なんて理由は、この忠誠心の塊には通じないだろう。  

 私は、彼女が最も拒絶できない「正論」を絞り出す。


「……いつも、ニルには世話になっているからな。たまには一人で羽を伸ばして休んでほしいんだ。私は、お前に無理をさせたくない」


 私の言葉に、ニルが目を見開いて絶句した。


「む、無理だなんてそんな! クロム様のお傍にいることが私にとっての至福であり、疲れなど微塵も――!」


 なおも食い下がろうとする彼女を遮るように、私は自分の部屋の扉を開け、素早く中へ滑り込んだ。


「私は疲れたから、もう寝る。だからニルも、隣の部屋でしっかり休むんだ。……これは『命令』だぞ」


「そ、そんな殺生なーっ!」


 扉越しに、絶望に打ちひしがれたような叫びが聞こえてくる。  

 やがて、トボトボとした足取りで隣の部屋へ入っていく気配がした。


 ようやく訪れた静寂。  

 私は大きく息を吐き、使い込まれたベッドに身を投げ出した。


 翌朝、私たちは次の目的地へ向かうべく西門へと足を向けていた。  

 隣を歩くニルの表情は、相変わらず昨夜の不満を隠しきれず険しい。

 ……少々、突き放しすぎただろうか。


「クロムさーん! ニルさーん!」


 背後から響いた聞き覚えのある声に、私は足を止めて振り返る。


「よかった……! まだ、街を出ていなかったんですね!」


 肩で息を切らし、今にも倒れそうな様子で駆け寄ってきたのはミルフだった。


「ウィンとザンも叩き起こしたんですけど……あの二人、全然起きなくて。結局、私一人で来ちゃいました。ごめんなさい」


 どうやら昨夜の祝杯が相当堪えているらしい。

 リーダーと前衛が使い物にならないパーティーの様子が目に浮かび、私は苦笑した。


「いえ、大丈夫ですよ。昨夜は本当に楽しかったですから。……それで、どうかしたんですか?」


「あの……これ、受け取ってください!」


 差し出されたのは、『アルディアの翼』と刻印された一枚のカードだった。


「これは?」


「私たちのギルドカードの複製品レプリカ……いわゆる名刺みたいなものです。冒険者の間では、手を取り合った仲間同士でこれを交換する文化があるんですよ」


 初耳だ。そんな洒落た文化がこの時代にはあるのか。


「そうだったんですね。……すみません、僕たちはそんなもの、持っていなくて」


 そもそも、私は正規のパーティーを組んですらいない。用意しているはずもなかった。


「いいんです! 私たちが勝手に渡したかっただけですから。お世話になったお礼、というか……繋がりの証です」


 そう言って、彼女は照れ隠しのように赤い髪を耳にかけた。


「ありがとうございます。大切にしますね」


 受け取ったカードは、彼女たちの真っ直ぐな意志のように少しだけ温かかった。


「お二人は、これからどこへ?」


「とりあえず、王都を目指そうと考えています」


「王都ですか。それなら、次の大きな中継都市は『ギーデン』ですね」


 多種族共生都市、ギーデン。  

 その名の通り、人族のみならず多種多様な種族が肩を並べて暮らす、この大陸でも有数の大都市だ。  

 アルディアとは比べものにならない規模の喧騒が、そこには待っているはずだ。


「そうですね。ここからは、やはり遠いのでしょうか?」


「私たちはまだ行ったことはないんですが、徒歩だと一週間弱はかかるって聞いています」


「一週間、ですか。……意外とかかりますね」


 王都の入学試験まで、あと三週間強。  

 王都までの全行程を考えれば、あまりのんびりとはしていられない。

 時間は十分にあるようで、実はそれほど残されていないのだ。


「もし『歩き』にこだわりがないんでしたら、あそこの店を訪ねてみるといいですよ。ギーデン行きの乗合馬車が出ているはずですから」


 ミルフが指さしたのは、門の傍らにある『馬車貸し』の看板を掲げた古びた店だった。  馬車という選択肢は失念していた。

 こだわりなど毛頭ないし、ここは彼女の助言にありがたく乗らせてもらうとしよう。


「ありがとうございます! さっそく行ってみますね」


「はい! ……では、また会いましょう、クロムさん、ニルさん!」


「ありがとうございました、ミルフさん。……ええ、またいつか。次はウィンさんとザンさんも一緒に」


 大きく手を振る彼女と別れ、私たちは馬車貸しの店へと足を踏み入れた。


「いらっしゃい。今日はどこまでだ?」


 出迎えてくれたのは、使い古された藁帽子を深く被った、人の良さそうなおじさんだった。


「ギーデンまでお願いしたいのですが、便はありますか?」


「ギーデンか、なら今すぐ出せる。……客は二人かい?」


「はい。お願いします」


 そう伝えると、彼はカウンターに地図を広げた。

 手慣れた手つきで、アルディアからギーデンへと続く街道に指で線を引いていく。


「このルートで行く。時間は、そうさな……二日とかからないはずだ。構わないかい?」


 徒歩で一週間の道のりが、わずか二日。  

 大幅な時間短縮だ。

 何より、体力を温存したまま移動できるのは大きな利点と言える。


「ええ、それでお願いします」


「よし! すぐに用意するから、表で待ってな」


 私たちが店を出て数分もしないうちに、一台の馬車が姿を現した。


「この子は『ジジ』っていうんだ。元気な娘でね、すぐに街まで連れていってくれるぞ」


 店主が愛おしそうに撫でるのは、艶やかな黒い毛並みを持つ一頭の馬だった。

 瞳には強い知性が宿り、溢れんばかりの生命力を感じさせる。


「可愛いですね。……よろしく、ジジ」


 私がその鼻面にそっと手を触れると、ジジは小さく鼻を鳴らした。  

 私の内側に眠る「何か」を感じ取ったのか、あるいはただの親愛の情か。

 その黒い瞳が、じっと私を見つめていた。


ジジは友人の飼ってた猫の名前です

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ