第三話 冒険者ギルド
「ちょっと! あんな依頼勝手に受けて! 私たちには無理だってば!」
「大丈夫だって! ちゃんとランクはDだし、基準は守ってるからさ」
アルディア冒険者ギルド。
大広間は、昼間からエールを煽る者や、武勇伝に花を咲かせる冒険者たちで熱気に満ちている。
そんな喧騒の真ん中で、私たちパーティ『アルディアの翼』は絶賛、揉めに揉めていた。
「そうやってウィンが勝手に受けてきた依頼のせいで、前回どんな目にあったか忘れたの!? 危うく失敗してランク降格になるところだったんだよ?」
「でも、結局失敗しなかった。そうだろ、ミルフ?」
『アルディアの翼』のメンバーは三人。
お調子者のリーダーで前衛タンクのウィン。
寡黙で頼れる中衛戦士のザン。
そして、回復魔法師の私、ミルフ。
この町で育ち、冒険者に憧れ、ようやく登録ができた時は三人で飛び跳ねて喜んだものだけど、最近はウィンの暴走が目立って困る。
「ちょっとザンも何とか言ってよ!」
「……今回の依頼は、俺も行けると判断した。あまりウィンを責めないでやってくれ」
「そうだぞミルフ! 今回は二人で決めたんだ。俺たちのチームの決め事、忘れたか?」
「……多数決、でしょ」
私たちのチームの絶対ルール。
揉めたら多数決。
二人が賛成しているなら、私の反対票は意味をなさない。
でも、慎重派のザンが首を縦に振ったのなら――。
「……わかったわよ。で? 場所はどこなわけ?」
「ここからすぐの森だ。そこにラットが現れたらしい」
ラット。
冒険者界隈で『デッドラット』と呼ばれる魔物だ。
小型で凶暴だが、危険度はスライムの次に低いとされる。
……けれど、油断は禁物だ。
基本的に、パーティは人数が多い方が生存率が上がる。
役割が増えれば戦術の幅が広がり、不測の事態にも対応できる。
つまり、勝率が上がるのだ。
「ウィン、ザン。依頼を受けるのはわかったけど、一つだけ条件を聞いて」
「なんだよミルフ。まだ文句があるのか?」
「せめてあと二人。臨時メンバーを入れること。それが条件よ」
私たちの構成は、前衛、中衛、後衛(回復)。
王道ではあるけれど、攻撃手段が物理に偏りすぎている。
もしラットの群れに囲まれたら、火力の高い魔法師か、もう一枚壁になる戦士が必要だ。 この「五人編成」は、大手ギルドも推奨する安定性抜群の黄金比。
「二人、か……。わかったよ、あと二人見つければいいんだな」
渋々ながら私の提案を呑んだウィンは、臨時メンバーを探してギルド内をきょろきょろと見渡し始めた。
「あなたのランクはEですね。ではお次、そちらの女性の魔力測定を行います」
ギルド受付カウンターから、事務的な、けれどどこか驚きを含んだ声が聞こえてきた。 冒険者登録の光景自体は珍しくないけれど、そこに立っていたのは、見慣れた荒くれ者たちとは正反対の二人組だった。
一人は、育ちの良さが服の上からでもわかるような少年。
子供……というには少し落ち着きすぎている気がするけれど、年齢的には十歳にも満たないだろう。
もう一人は、その姉か護衛だろうか。
息を呑むほど整った容姿をした少女だ。
少年が少女に何かを耳打ちすると、彼女は静かに測定器へ手を添えた。
「おお……Dランクですね。珍しいですよ、いきなりD判定が出る方は。では、こちらがお二人の冒険者カードになります」
二人が真新しいカードを受け取った、その瞬間だった。
「お二人さん! 今日から冒険者か?」
さっきまで私の隣で唸っていたはずのウィンが、獲物を見つけた肉食獣のような速さで二人に食いついていた。
……さっきまで、私の隣にいたのに。
「ちょ、ちょっとウィン! いきなり何してるのよ!」
私は慌ててウィンの背後まで駆け寄り、その服の裾を引っ張る。
「いや、誘ってるんだよ。臨時メンバーが二人必要なんだろ? 見たところ、そっちの君は魔法使い。そっちの彼女は戦士。ミルフの希望通りじゃないか」
私は思わず天を仰ぎ、頭を抱えた。
登録したての新人、しかも片方は明らかに子供だ。
そんな相手に、挨拶もなしに依頼へ誘うなんて。
この男の無鉄砲さは、昔から一ミリも変わっていない。
「あのねー! 冒険者になったばかりの人たちに、いきなり魔物討伐なんて鬼畜の所業でしょ! こういうのはもっと簡単な依頼から慣らしていかないと、後々詰むんだよ!?」
「でも、いいらしいぞ?」
ウィンの言葉に、私は毒気を抜かれたように二人の顔をまじまじと見つめた。
「……いいんですか? これ、魔物討伐ですよ? スライム相手の採取とはわけが違うんです。もしかしたら、本当に危険な目に遭うかもしれないんですよ?」
「大丈夫です。それに、何かあってもお三方が守ってくださいますよね。ね、ウィンさん?」
意外だった。
答えたのは、年長の女性ではなく子供の方だったのだ。
その声は驚くほど涼やかで、言葉遣いも立ち振る舞いも、まるで小さな貴族か大人を相手にしているような錯覚を覚える。
「その通りだ、坊主! ハッハ、よくわかってるじゃないか!」
上機嫌で少年の肩を叩こうとするウィンを見て、私は本日何度目かわからない深い溜息をついた。
私たちはひとまず、大広間の空いている席に座って自己紹介をすることにした。
席に着くや否や、ウィンが我が物顔で喋りだす。
「じゃあ早速。俺はウィン! 見ての通り『アルディアの翼』のリーダーをやってる。得意なのは前打ちだ。よろしくな!」
相変わらず、無駄に元気だけはいい。
「次は俺だな。ザンだ。戦士をやっている。……よろしく頼む」
ザンは流れるように、必要最小限の言葉で自己紹介を済ませた。
「えーっと。私はミルフです。回復魔法師です。とはいっても、切り傷を治すくらいしかできませんけど……精一杯サポートしますね」
「では僕たちの番ですね。僕はクロムと申します。ランクは最低のE、まだ右も左も分からないひよっこですけど、足を引っ張らないよう頑張るのでよろしくお願いします」
クロム君。
育ちの良さが滲み出ているけれど、杖も魔導書も持っていない。
ウィンは魔法使いだと言っていたけれど、本当なのだろうか。
「……ニルだ」
続いて口を開いた彼女は、名前だけを短く告げた。
あまりに無表情で、少し怖く見えてしまう。
その整った容姿のせいか、どこか寄せ付けない雰囲気があるけれど……もしかして、すごく人見知りなだけ?
「よし、挨拶は終わりだ! じゃあ早速、報酬の分配方法を決めようぜ」
「ちょ、ちょっとウィン! いきなりそんな生々しい話、失礼でしょ!」
案の定、デリカシーの欠片もない発言に私は動揺する。
初対面の、しかも年下の相手にする話じゃない。
「大事だろ! こういうのは最初にカチッと決めとかねえと、後で『金が足りねえ』だのなんだの揉める原因になんだよ!」
「それはそうだけど、物事には順序ってものが……」
「……あ、その話なんですけど」
私たちが言い争い始めると、クロム君が穏やかに割って入ってきた。
「僕たちは、あまりお金にはこだわっていません。ただ、宿に泊まるための費用がなくて困っていたんです。銅貨二枚ほどいただければ、残りの報酬は皆さんの好きにしていただいて構いませんが……大丈夫ですか?」
耳を疑った。
冒険者を志す者で、金に執着がないなんて話、聞いたことがない。
私は少し疑って彼の目を見たが、そこには嘘を吐いている様子も、裏があるような気配も全くなかった。
「マジで!? ラッキー! そんな無料エールみたいな話あんのかよ。じゃ、決定でいいか?」
本当に、この男は遠慮という言葉を知らないのか。
「はい。大丈夫です。むしろ、こんな低ランクの僕たちを誘っていただけるだけで助かりますから」
対して、クロム君のこの謙虚さ。
正直、ウィンと性格が入れ替わった方が、パーティとしては正しく機能するんじゃないかと思ってしまう。
「よし! そうと決まれば善は急げだ。早速出発するぞ!」
こうして私たちは、ラットが出現したという町外れの森へ向かうことになった。
―――――――――――――――――――――――――
私たちは路頭に迷っていた。
前世で世界の理を弄んでいた報いか、はたまた単なる不注意か。
まさか通貨という、社会を構成する最も基本的な「定義」を失念していようとは。
宿屋のカウンターで恥をさらした後、私たちは人通りの邪魔にならないよう道の端に寄り、深刻な作戦会議を開いていた。
「クロム様。どうしましょうか。今すぐこの町を私の『支配下』に書き換えれば、宿どころか王宮でもお好きなように使えますが」
「……ニル。この旅の目的を忘れたのか? 私は『凡人』として、この世界のルールの中で生きたいんだ」
「左様でございますか。では、もっとも効率的で、かつ『凡人』らしい解決策がございます」
「なんだ?」
「奪えばいいのです。あちらの路地裏にいる質の悪そうな男たちから資金を回収しましょう。クロム様にお使いいただくと知れば、彼らも泣いて喜んで差し出すはずです。――物理的に」
「……却下だ。それはただの強盗だ。わかるだろう」
「……失礼いたしました」
私の答えに、ニルは目に見えて肩を落とした。
彼女はこういうところがある。
力こそが真理だと信じて疑わず、常に最短距離で問題を「粉砕」しようとするのだ。
私のために考えてくれるのは嬉しいが、もう少し人の心、あるいは平穏というものの機微を覚えてほしい。
「この町で、正当に金を稼ぐには……。ニル」
「どうなさいましたか?」
「この町には、ギルドがあると言っていたな」
道中、彼女が周辺情報を読み上げた際、アルディアには冒険者ギルドの支部が存在すると言っていたはずだ。
ギルドは依頼をこなすことで対価として報酬――すなわち「金」を支払う。
これを利用すれば、合法的に、かつ怪しまれずに路銀を稼げる。
「……はい。確かに申し上げましたが、それが何か問題でも?」
「いや、問題じゃない。完璧な解決策だ。今すぐギルドに向かおう」
まだ何をするのか完全には理解していない様子だったが、私の提案を聞いたニルは「御心のままに」と深く一礼し、静かに私の後をついて来た。
鋼のような忠誠心と、致命的なまでに欠如した倫理観。
それらを抱えたまま、私たちは町の中心にある、騒がしい看板を掲げた建物へと足を踏み入れた。
騒がしい声が漏れ出す扉を開くと、そこには広大な広間が広がっていた。
所狭しと並べられたテーブルや椅子。
そこでは酒を酌み交わし、武勇伝に興じる冒険者らしき人達が溢れかえっている。
端の掲示板には、無数の張り紙が所狭しと踊り、左の方では何やら血気盛んに揉めている連中もいる。
荒削りだが、生命力に満ちた活気のある場所だった。
「さて、どこで冒険者登録をするのか」
周囲を見渡すと、奥にカウンターらしきものがあり、制服姿の女性が立っているのが見えた。
私はそこが登録窓口だと判断し、歩み寄る。
「いらっしゃいませ。本日はご依頼でしょうか?」
黒と白を基調とした、清潔感のある制服に身を包んだ女性が尋ねる。
「いえ。登録をしたくて来たのですが」
「登録ですか? 大変失礼ですが、ご年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」
年齢? 何か制限でもあるのだろうか。
「十二です」
私は淡々と答える。
「大変申し訳ございません。十二歳ですとお一人様での登録は不可となっております。ギルドの規定で、十五歳未満の方は保護者、または引率者が必要となりますので……」
なるほど、そういうことか。
子供が単独で命を懸けるのは、この社会で推奨されていないらしい。
となれば話は早い。
私は隣に立つニルを示した。
「引率でしたらいます。この人が引率なんですが、大丈夫ですか?」
「かしこまりました。成人されている方の同伴があれば登録可能です。少々お待ちください」
受付の女性はそう言うと、奥から掌に収まるほどの透明な水晶を持ってきた。
「お待たせいたしました。ではこれから魔力測定を行いますので、こちらの水晶に手をかざしていただけますか?」
まずいことになった。
魔力測定器。
対象の魔力量を数値化し、その者の潜在的な実力を測る機械だ。
当然、私やニルが本気で手をかざせば測定不能、最悪の場合はこのギルドごと吹き飛ばしかねない。
私は即座に魔力隠蔽の術式を多重に展開し、存在を極限まで薄めて、恐る恐る水晶に手を触れた。
「ありがとうございます。結果が出ました。あなたのランクはEですね。ではお次、そちらの女性の魔力測定を行います」
ひとまず難を逃れた私は胸をなでおろす。
だが、問題はニルだ。
彼女は加減という言葉を辞書に入れていない。
私はニルに急いで耳打ちした。
『魔力を徹底的に抑えてかざせ。Dランク程度になるように、蚊の鳴くような魔力にするんだ』
心臓がはち切れそうな緊張感の中、ニルが静かに手をかざす。
「おぉ……Dランクですね! 素晴らしい、いきなりD判定をいただける方は稀ですよ。では、こちらが冒険者カードとなります」
ニルも何とか出力を殺すことに成功したようで、私たちは念願の「冒険者カード」を手に入れた。
これは全土のギルドで通用する身分証であり、依頼の達成度に応じてランクが上がり、より難度の高い――つまり高報酬の依頼を受けられるようになる。
受付の方からそんな説明を受けていると、不意に背後から声をかけられた。
「お二人さん! 今日から冒険者か?」
振り返ると、そこにはいかにも「元気の塊」といった風貌の青年が立っていた。使い込まれた鎧を纏い、親しみやすい笑みを浮かべている。
「えっと。はい。今登録を済ませたところです」
なんだろうか。
新人いびりというやつだろうか。
警戒する私を他所に、青年は屈託なく続けた。
「いやー単刀直入にいうと、俺たちの依頼を手伝ってほしくて」
「手伝いですか? なんで僕たちに?」
依頼を手伝うのなら、経験豊富なベテランに頼るのが定石だ。今なったばかりのひよっこと実績のある者を選択できるのなら、私なら迷わず後者を選ぶ。
「言いにくいんですけど、俺たちDランクでして。全体で見るとまだまだなんですよ。地味な依頼が多いから、手伝ってくれる人がなかなか見つからなくて。そこに現れたのがお二人さん。いやー、救世主かと思いましたよ!」
なるほど。ランクが低い依頼は難易度が低い分、報酬も少ない。腕に覚えのある者は、より高い報酬を求めて効率のいい依頼に流れてしまうのだろう。
それにしてもよく喋る人だな、と私は思った。
「事情はわかりました。そういうことでしたら、お引き受けします。私は魔法使い、彼女は戦士の真似事ができますが、よろしいですか?」
「まじかよ! 完璧だぜお前ら!」
そんな会話をしていると、さらに男女二人の冒険者がこちらへ寄ってきた。
「ちょ、ちょっとウィン! いきなり何してるのよ!」
「いや、誘ってるんだよ。臨時メンバーが二人必要なんだろ? 見たところ、そっちの君は魔法使い。そっちの彼女は戦士。ミルフの希望通りじゃないか」
ウィンと呼ばれた男に詰め寄るミルフという女性は、心底困ったように頭を抱えている。
「あのねー! 冒険者になったばかりの人たちに、いきなり魔物討伐なんて鬼畜の所業じゃない! こういうのはきちんと簡単な依頼からこなしていかないと、後々詰むんだよ!?」
「でも、いいらしいぞ?」
男の発言を聞いたミルフは、信じられないものを見るような目でこちらを振り返った。
「……いいんですか? これ、魔物討伐ですよ? スライム相手の採取とはわけが違うんです。もしかしたら、本当に危険な目に遭うかもしれないんですよ?」
どうやら、この女性は本気で私たちの身を案じてくれているらしい。
「大丈夫です。それに、何かあってもお三方が守ってくださいますよね。ね、ウィンさん?」
「その通りだ、坊主! ハッハ、よくわかってるじゃないか!」
上機嫌に笑いながら私の肩を叩こうとするウィン。
だが、それを見るニルの目が「……今、主様を坊主と呼んだか?」という凍りつくような殺意を帯びていた。
私は彼女の袖をそっと引き、目立たぬよう必死になだめる。
私たちはひとまず、ギルドの大広間で腰を据えて自己紹介をすることにした。
話を聞くと、リーダー格で前衛のウィン。無口だが体格のいい戦士のザン。そして、心配性だが心優しい回復魔法師のミルフ。
全員がDランクの中堅で、今回は「デッド・ラット」の討伐依頼を受けたらしい。
デッド・ラット。
正直に言って、今の私やニルにとっては道端の小石を退けるより容易い雑魚だ。
だが、私たちは新人ランクの『凡人』。
一撃で消し去ってしまっては、即座に怪しまれる。
よって、今回の作戦は「決して倒さず、あくまで必死に補助に回っているフリをする」ことに決めた。
「よし! じゃあ早速行くか。獲物を逃がさないうちにな!」
ウィンの号令のもと、私たち一行はデッド・ラットが出現したという、町外れの深い森へと向かった。
―――――――――――――――――――
「ここは迷いの森と言って、よく冒険者になりたての方が迷子になるんです。私たちも最初は何度も迷いました」
「おいミルフ! 余計なこと言うなよ、格好つかねえだろ!」
「だって、教えてあげないと今後一人で来た時に困るでしょ!」
実際、私たちは何度もこの森で迷った。
空を覆い隠すような高い木々に囲まれ、地面は腐葉土と根っこに覆われて道らしい道もない。
一度中に入ると太陽の位置すら曖昧になり、東西南北の感覚が麻痺してしまうのだ。
基本的には薬草採取の依頼で訪れる場所だが、初心者にとっては最初の難所と言ってもいい。
「そうなんですね。……なるほど、確かにこの植生と地形の起伏なら、未熟な観測者なら方位を見失うのも道理です。気を付けますね」
クロムさんはどこか感心したように周囲の木々を見上げている。
その隣でニルさんは、まるで行列の邪魔な石ころでも見るかのような、冷ややかな視線を藪の奥へと向けていた。
私たちはラットの討伐に来ている。
依頼書によれば、最近この森の入り口付近に縄張りを作ったらしく、街道に近いこの場所で放置するのは危険だ。
いつどこから飛び出してくるかわからない。
私は杖を握り直し、周囲を警戒しながら森を進んでいく。
「お三方はアルディア出身なんですか?」
沈黙を嫌ったのか、歩きながらクロムさんが質問を投げかけてきた。
「はい。三人ともアルディア出身の幼馴染です。子供の頃、町に来た高ランクの冒険者に憧れて、そのままなっちゃいました」
私は目の前の邪魔な枝を払いながら返事をする。
「そうなんですね」
「クロムさんとニルさんも、アルディアの方ですか?」
「いえ。僕たちはアルディアから少し東に行ったところにある村から来ました」
東に村があるなんて初耳だ。
私たちは今までアルディア周辺の依頼しか受けてこなかった。
やっぱり、世界は自分が思っているよりずっと広いんだな、と私は改めて実感した。
「村から。では、やっぱり冒険者になりに町へ?」
ギルドは大きな町にしかない。
田舎から出てきたのなら、目的はやはり立身出世だろうか。
「いえ、旅をしようと思いまして。せっかく二度目の……いえ、せっかく自由になれたのですから、広い世界を見ておきたいなと」
……すごい子供だ。
十二歳でそんな覚悟を決めて旅に出るなんて、私には想像もつかない。
「すごいですね……あ、ちょっとウィン! そこは右だってば!」
感心していたら、先頭を行くウィンがまた道を間違えそうになる。
何年も通っている森なんだから、いい加減主要なポイントくらい覚えてほしい。
「わーったよ! 右だろ右! 行くってばよ」
「ふふ、本当に仲がいいんですね」
クロムさんが少し楽しそうに笑う。
「そう見えますか?」
仲がいい、か。
そう言ってもらえると、なんだか誇らしい。
喧嘩ばかりの頼りないチームだと思われたら恥ずかしいもの。
その時、ウィンが急に足を止めた。
「しっ……静かに。これを見てみろ」
口に指を当て、ジェスチャーで私たちを制したウィンが地面を指さす。
「これ……足跡ね。まだ新しいわ。いるわね、この近くに」
地面の湿った土に残されていたのは、三本の鋭い爪痕――ラットの足跡だ。
魔物は生き物だ。
歩けば痕跡が残る。
こういう微かな予兆を逃さないことが、生き残るために最も大事なこと。
「これがデッド・ラットの足跡。……物理的な接地面積から逆算するに、個体の重量は想像通りですね。勉強になります」
クロムさんは顎に手を当てて冷静に分析している。その落ち着きぶりは、とても初陣の子供には見えない。
「ウィン。一応、防御態勢に入っておいて」
いつ襲ってきても大丈夫なように、私はウィンに注意を促す。
「わかってるって。もうやってる」
軽口を叩きながらも、ウィンは愛用の盾を構え、重心を低くした。
こういう時の彼は、少しだけ頼もしく見える。
「クロムさん、ニルさん。ここからは慎重に行きます。準備していてください」
「わかりました」
私たちは森をゆっくり進んでいく。
乾いた葉を踏む音や、木々が擦れる音に敏感になりながら、一歩ずつ。
「いたぞ。一、二……五匹。依頼書通りだ」
少し開けた場所に、対象はいた。
腐肉のような色の体毛に、禍々しく伸びた一本角。
報告書通り数は五匹。
ここからは役割分担が重要になる。
「よし。作戦を立てましょう。まずウィンが出る」
「あぁ」
戦闘が始まれば、ウィンは別人のように素直になる。
普段からこのくらい真面目なら、私も苦労しないのだけれど。
「ウィンが奴らを釣っている間に、ザンが次に出る。ニルさんはザンが出た後、隙を見て攻撃に参加してください」
ザンは静かに頷き、ニルさんは……相変わらず無反応だ。
本当に大丈夫か不安になるが、魔力測定でDランクを出した実力者だ。
信じるしかない。
「そして私とクロム君は、後方から援護を。いいわね?」
「わかりました。僕は後方から状況を『観測』……いえ、援護します」
作戦を伝えた後、各自が配置につく。
私の合図で戦闘は開始する。何度経験しても、この一瞬の静寂は心臓に悪い。
私は、震える手をぐっと握りしめ、一気に振り下ろした。
「うおぉぉぉぉ! かかってこい、ドブネズミ共!」
合図と同時に、ウィンが大声で飛び出した。
盾を叩き、怒声を上げることでラットたちの注意を自分に引きつける。
挑発稼ぎ、作戦通りだ。
ラットは行動こそ遅いが、その一本角による突進と、鉄をも噛みちぎる歯は脅威だ。
しかし、ウィンはそれを盾で器用に受け流し、決定打を許さない。
「よし、次!」
私が再び叫ぶ。それと同時に、潜んでいたザンが弾かれたように飛び出した。
「ウィン、変われ」
「おう!」
阿吽の呼吸。
二人が交差する一瞬の隙に、ザンの鋭い一撃がラットの角を一刀両断した。
角を失ったラットが、耳を劈くような悲鳴を上げて地面を転げ回る。
残酷な光景だが、これが「討伐」だ。
奪わなければ奪われる、命のやり取り。
ザンはそのままの勢いで、もう一匹の胴体を深く切り裂いた。
鮮やかな緑の草花に、ラットの禍々しい紫色の血液が飛び散る。
……これをクロムさんに見せるのは、いくら冒険者になると決めたとはいえ、少し酷だったかしら。
「くっ! 足を切られた! ミルフ、ヒール頼む!」
見ると、ウィンの脛から血が流れていた。
盾の隙間を縫われたらしい。
一つの怪我がチームの均衡を崩す。
それが冒険の怖さだ。私はすぐに杖を掲げる。
「――我が集いし精霊たちよ。その力を我に、そして同胞の傷を癒したまえ! 『弱回復魔法』!」
ウィンの足元に柔らかな光が集まり、傷口を塞いでいく。
「助かった!」
「いいから集中して! まだ二匹残ってるのよ!」
私が魔法を唱える間にザンがさらに一匹を仕留め、残るは二匹。
このままいけば、危なげなく終わる。
――はずだった。
―――――――――――――――――――――――――
『ニル、手は出すな。……まだだ』
(いいのですか? クロム様。このままでは彼らは、ただの肉塊に成り果ててしまいますよ?)
ニルの言う通り、放っておけばあの三人は確実に死ぬ。
私たちの「観測」範囲内に、デッド・ラットとは比較にならない不吉な魔力が入り込んできた。
ラットがDランク相当なら、これはC、いやBランク中位はある。
Dランクの彼らでは、抗う術もなく蹂躙されるだろう。
だが、それは私たちも「同じ」でなければならない。
隠蔽を行い、EランクとDランクの新人になりきっている私たちが、この強大な魔力に正面から打ち勝てるはずがないのだ。
かといって、ここで本気を出して彼らの前で「災厄」を消し去れば、私の『平凡な人生』は文字通りその瞬間に死に絶える。
さて、どうしたものか。
そんな思案を巡らせている間も、戦闘は続いていた。
彼らは長年の付き合いからか、互いの呼吸を読み、必死に食らいついている。
特にウィンだ。
普段は軽薄だが、盾を構えた時の彼は抜群の反射神経で攻撃を受け流していく。
正直、Dランク冒険者の範疇では、かなり筋が良い方だろう。
だが、それでも――「あれ」には勝てない。
ラットが残り二匹になった瞬間、周囲に立ち込める空気が一変した。
じっとりと湿り気を帯びた、不自然な白霧が森を飲み込んでいく。
「ちょ、これなんだよ! ラットの仕業か!?」
視界を奪われ、白の空間に取り残されたウィンの声が響く。
「気を付けて! 何かおかしい……普通の霧じゃないわ!」
続けてミルフの悲鳴に近い警戒の声。
ああ、これは異常事態だ。
デッド・ラットごときが気象を操る魔法など使えるはずがない。
「ぐわぁぁぁッ!!」
突如、肉を裂く鈍い音と共に、絶叫が霧の奥で木霊した。
ウィンの悲鳴だ。
「っ! ウィン! 大丈夫なの!? ウィン!!」
仲間の窮地に、ミルフは潜めていた茂みから身を乗り出し、遮二無二駆けだそうとする。
流石にそれは看過できない。
正体不明の「白」の中に、非力な魔法師が無策で突っ込むのは自殺行為に等しい。
私はすぐさまミルフの肩を掴み、強く引き止めた。
「ダメです! この状況で魔法使いが飛び出したら、確実に仕留められます!」
「でも! でもウィンが! ウィンが死んじゃう!」
彼女は完全に取り乱していた。
呼吸は浅く、額からは尋常ではない汗が流れている。
無理もない。
自分が立てた作戦の果てに、幼馴染が闇に消えたのだ。
だが、このままでは全滅だ。
仕方がない、少しだけの真似事をさせるとしよう。
『ニル。正体を悟られぬよう、彼らを連れ戻せ。最低限の干渉に留めろ』
(御心のままに。造作もありません)
私とニルは、同調魔法を通じて一瞬で意思を通わせる。
白の暗闇へと音もなく消えたニルは、ものの数分でウィンとザンを抱えて戻ってきた。
ザンは奇跡的に無傷だったが、放心状態で言葉を失っている。
問題はウィンだ。
その脚は無残に切り裂かれ、白く光る骨が露出していた。
このままでは失血死か、あるいは重度の感染症で命を落とす。
「ウィン! しっかりして! 嫌よ、目を開けて!」
意識を失ったウィンに縋り付き、必死に呼びかけるミルフ。
回復魔法師ならば、まずは止血と冷静さを取り戻すべきだが、今の彼女にそれを求めるのは酷か。
「ミルフさん! 魔法を! あなたがやらなければ、彼は死にます!」
私はあえて厳しい口調で、彼女の意識を「絶望」から「役割」へと引き戻した。
「は、はい! ……我が集いし精霊たちよ。その力を我に、そして同胞の傷を……癒したまえ! 『弱回復魔法』!」
だが、彼女の『弱回復魔法』ではこの深手は塞がらない。
本来は切り傷や打撲を癒やす程度の術式。
骨まで達した裂傷を治すには、上位の魔法が必要だ。
その結末を予見していた私は、彼女に悟られないよう、杖を持たない指先に魔力を密かに編んだ。
『――潜在能力・極大化』
強化魔法。
対象者が行使する魔法の出力を、無理やり数段階引き上げる外装式回路。
彼女の拙い治癒の光が、私の魔力を触媒にして突如として眩い輝きを放ち始める。
「え……?」
ミルフが呆然とする中、溢れ出した奔流のような光がウィンの足を包み込み、肉と皮を急速に繋ぎ合わせていった。
「ウィン! 目を覚まして! ウィン!」
「……ぁ。あぁ、大丈夫だ。助かったよミルフ、ありがとな」
ウィンは震える手で、必死に自分の名を呼ぶミルフの頭を優しく撫でた。
「……もうっ! 本当に、死んじゃうかと思ったじゃない!」
「死にそうな俺を、ミルフが助けてくれたんだろ? 感謝してるよ」
涙を流しながらウィンを膝枕するミルフと、痛みに耐えながらも不敵な笑みを見せるウィン。
……そんなことをしている暇など一秒もないのだが。
私たちは今、明確な「異常」の渦中にいる。戦場において感傷に浸るのは、死を招く悪癖だ。
「ウィンさん! ザンさん! 一体、何が起きたんですか!」
私は彼らを強引に「戦場」へ引き戻すべく、あえて声を張り上げた。
まずは敵の正体を掴まねばならない。
「わ……からない。霧に覆われたと思った瞬間、足に激痛が走ったんだ。その後のことは……痛みに意識を飛ばされて、よく覚えてない」
ウィンは治療を終えたばかりの足をこすりながら、忌々しげに答える。
「俺も、気が付いたら白一色の世界だった。直後にウィンの叫び声が聞こえて……俺は、あまりの気配の禍々しさに動けなくなった。戦士として、情けない限りだ」
ザンは拳を握りしめ、自分に、そして何よりウィンに対して深く頭を下げた。
「仕方ねぇよ。誰だってあの状況は怖い。誰も責めてねぇさ。それより……」
流石はパーティのリーダーだ。
この極限状態でも仲間の士気を落とすようなことは口にしない。
「と、とりあえず撤退しましょう! このままでは私たちどころか、クロムさん、ニルさんにまで危害が及びます! とにかく急いで森を――」
撤退を提案し、立ち上がろうとしたミルフの腕を、ウィンが強く掴んだ。
「ウィン?」と戸惑う彼女を、彼はかつてないほど真剣な眼差しで見据える。
「ダメだ。あれは……俺たちがどうにかするしかない」
「なんでよ! 私たちじゃ勝てない、わかるでしょ!? ウィンだってあんな大怪我して……! もし次があったら、今度は助からないかもしれないんだよ!?」
ミルフの意見は至極真っ当だ。
客観的に見て、Dランクの彼らに「あれ」を討つ力はない。
だが、彼は引かないだろう。
「あぁ。だが、俺たちが逃げたら次はどうなる? もしあれがこのまま町に向かったら? アルディアの連中はどうなるんだ? 俺たちの故郷が……滅びるかもしれないんだぞ」
ウィンには、愚直なまでの正義感があった。
金稼ぎやランクアップのためではない、真の意味での「冒険者」としての覚悟が。
「で、でも……どうすればいいのよ」
問題はそこだ。
力のない者が、どうやって上位の魔物を御すのか。
不可能を可能にする手立て。
それは一つしかない。
「……霧が、問題なんだろう?」
重苦しい沈黙を破り、口を開いたのはザンだった。
彼の言う通り、彼らにとっての最大の脅威は「視界を奪われている」ことだ。
魔力の流れを読めない彼らにとって、霧の中から放たれる不可視の斬撃を避けることは、宝くじを当てるより難しい。
つまり、霧さえ晴れれば、少なくとも「戦う土俵」には立てるということだ。
「そ、そうよ! 見えない敵をどうしろっていうの?」
「見えないのなら、払えばいい。幸い、あそこは周囲より少し開けた地形だ。風さえあれば……」
「だから、その風をどうやって起こすのよ!」
ミルフがザンを問い詰める。
ザンは視線をゆっくりと動かし、私を真っ直ぐに見つめた。
「……クロムさん。確か、あんたは魔法使いだったよな。少しでいい。……この霧を吹き飛ばすほどの『風』を起こせないか?」
彼は、私が密かに想定していた役割を、正確に指し示してきた。
ランクはS>A>B>C>D>Eの順です。
ちなみに前世の勇者は『最強の敵』を倒した後、SSSとなりました




