六十五話 励まし合う
「……そう…アリアナのお墓は、あなたたちが帰る時にあちらに移るのね……」
私が魔法で濡らしたハンカチを目元に当てて、お嬢様は呟いた。お嬢様にお願いされてお母さんのお墓の話をしたのだが、話さない方がよかっただろうか。ハンカチに隠れていて、お嬢様の表情は窺えない。
「あの、お嬢様……」
「……共同墓地にいるより、家族のそばにいた方がアリアナもずっと幸せね」
ハンカチを目元から離して、にっこりと笑う。細められた深い青色の瞳が私の手首に視線を落とした。唇を噛んで、お嬢様が呟きを零す。
「アメリも……アリアナも……いなくなっちゃうのね……」
「……お嬢様」
小さな呟きに、たまらずその手を掴んだ。ハンカチを持ったままの手を、両手でしっかりと握る。お嬢様を大切に思う私の気持ちが伝わるように、真っ直ぐその瞳を見つめた。
「大好きです」
「あ、アメリ……?」
「大好きです、お嬢様。私も、お母さんも、伯爵邸の使用人の方々も、みんな、お嬢様を愛しています」
瑠璃色が見開かれる。何かを言おうとしていたけれど、構わず話し続けた。
「お嬢様は決して、独りにはなりません。絶対に。……体調が回復された暁には、ぜひ帝国に遊びにいらしてください。歓迎いたします」
「……アリアナのお墓参りにも、行っていい……?」
「もちろんです」
震えた唇から恐る恐る発せられた問いに力強く頷く。お嬢様はお母さんの生徒だ。お墓参りに来てはいけない理由なんて、あるはずがない。そう言うと、お嬢様は嬉しそうに笑った。
「私も、あなたたち母娘のそういう所が、大好きよ」
気丈だけれど寂しがり屋なお嬢様の笑顔に微笑む。そろそろ退出する時間だろう。惜しい気持ちを堪えつつポケットに右手を入れて、かつてのお嬢様からの贈り物を取り出した。
「……お嬢様。一つ、私のお願いを聞いていただけますか?」
「もちろんよ。なあに?」
快諾して小首を傾げたお嬢様に密かに胸をなで下ろして、右手を差し出して広げる。手のひらには、お嬢様とお揃いの、空色と瑠璃色のガラス玉のブレスレットが乗っていた。
「お嬢様が私たちの九歳の誕生日に贈ってくださったブレスレットです。……お嬢様自ら、私の手に着けてはいただけないでしょうか」
尋ねる声が微かに震えた。……前時間軸のお嬢様の死後も、巻き戻ってからも、私はこのブレスレットを着けることが出来なかった。お嬢様の名を騙った私がこの宝物を身につけるなんて許されないと思っていたから。加えて、手首に何かが巻き着いていると、冤罪で放り込まれた地下牢での生活を思い出すようになってしまったから。
──お嬢様にこれをつけていただけたら、もう怖がることも無くなる気がする。
私のお願いに静かに頷いたお嬢様が右手を差し出したので、その手のひらにそっとブレスレットを乗せる。お嬢様は花が開くように微笑んだ。
「ブレスレット、持っていてくれたのね。……捨てられてしまったのかと思ったわ」
「私がお嬢様からいただいたものを捨てることなんてありません。あなた様とお揃いの品物であれば、なおさら」
「……ありがとう。手を出してくれる?」
私がお嬢様の勘違いを食い気味に否定すると、当人はくすくすと笑いながらブレスレットの留め具を外した。お願いされて、左手を差し出す。
「……っ」
手首にブレスレットの紐が触れる感触に、静かに息を呑んだ。日の光がほとんど差し込まない暗い地下牢の光景がフラッシュバックして、目を瞑って、細く長く息を吐く。……大丈夫。ここはあの地下牢じゃない。
息を全て吐ききると、左手を両手で包み込まれる感覚がして目を開いた。お嬢様が、私の左手を握りしめている。握りしめられた左手の手首には、ガラス玉が通ったブレスレットが嵌められていた。
「……ありがとうございました、お嬢様」
窓から差し込む光をキラキラと反射するそれを見つめてお礼を言う。このブレスレットを始めとして、お嬢様からいただいたものはどれも本当に綺麗で優しくて温かい。まさしく私の宝物だ。
ふと、しばらくしても静かに私の手を握りしめ続けているお嬢様に不安になって、名前を呼んだ。
「お嬢様……?」
「……ねえ、アメリアンナ。あなたも、私にブレスレットを着けてくれない?」
「は、はい」
ゆっくりと顔を上げて目を見てお願いされ、返事に詰まった。薄いそばかすの浮いた白く滑らかな頬が静かな微笑みを浮かべる。まるで何かの覚悟を決めようとしているかのようだ。
「……ありがとう」
お嬢様が私にしてくださったように丁寧にブレスレットの留め具を留めると、お嬢様はそれをじっと見つめて感謝を述べた。ブレスレットの嵌められた右手をぎゅっと握りこんで深呼吸をすると、お嬢様は私に身体ごと向き直った。
「……アメリアンナ。今のあなたがもう私の侍女候補じゃないことは承知の上でお願いするわ」
真っ直ぐに背筋を伸ばした、伯爵令嬢としての誇りに満ちたお嬢様の姿に、思わずつられて背筋を伸ばす。凛とした表情のお嬢様は、とても美しかった。
「もしも明日から私があなたに会えなくなったら、今から渡す手紙を読んでほしいの。内容は、伯爵夫妻には告げないでね。あなたが本当に信用する人にだけ教えてちょうだい」
「……承知いたしました」
それ以上を告げずに頭を下げれば、お嬢様は安心したように微笑んだらしかった。そして、サイドテーブルから白い封筒を取り出して私に渡す。
「この手紙をもらったということ、これを読むまでは誰にも内緒にしてね」
「分かりました」
お嬢様が何を思ってこの手紙を私に渡されたのかは、全く想像がつかない。なぜ秘密にするのか。なにか重大な秘密だからなのか、単に恥ずかしいのか。ただ私に出来るのは、この方の幼馴染であり、双子のようなお友だちであり、かつて侍女候補として仕えた身として、この方のすることを信じるのみだ。
「ご安心ください。慎重に取り扱わせていただきます」
そっと微笑んで、お嬢様は頷いた。
……翌日から、お嬢様に会うことは出来なくなった。
◇◇◇
アリアドネとアメリアンナが対話した日の夜。
日が落ちて月が高く登った時間帯。カーテンが閉まりランプの付いた部屋の中で、ティアリーチェ伯爵令嬢アリアドネは右手のブレスレットにそっと触れて微笑んだ。
アリアドネの唯一の幼馴染であり、妹のように大切に思っている友人とお揃いのブレスレット。意匠はごくシンプルで夜会などには到底つけていけないようなものだが、アリアドネにとってはどんな宝石のアクセサリーよりも気持ちを奮い立たせてくれるものだった。
──私に、貴族として振る舞う勇気をちょうだい。
静かに囁いて、ノックされた扉に目をやる。気を落ち着かせてベッドの上で背筋を伸ばした。返答をすれば、扉が開き、ずんずんとその人が室内に入ってくる。
「話とは、何だ」
「……お父さま」
震える左手で右手首を握りしめて、アリアドネは口を開いた。父と娘で同じ色をした瑠璃色の視線が交差する。
「どうか、陛下にご自身の罪を告白なさってください」




