六十三話 遺された者たち
ティアリーチェ伯爵家使用人共同墓地は、領地の伯爵邸から馬車で10分ほどの所にある。黒い柵に囲まれた墓地の一角に、お母さんのお墓はあった。
「こちらが、アリアナ様のお墓となります」
予定が入った伯爵に代わって案内人を申し出たアマルダさんが、墓石の前まで案内をしてくれた。頭を下げて一歩後ろに下がった彼女に一言お礼を述べて、三ヶ月ぶりに見るその墓石に目をやる。
お葬式の時は“アリアナ・ヒーリエ”となっていた文字が、今は“アリアナ・インカント・ヴィザーテ・ヒーリエ”となっている。お墓の移動は私たちが帰るのと同時になされるが、名前だけ先に彫り直してくれたのだろう。傍の植木の木漏れ日が、真新しい墓石に降り注いでいた。
「……お父様……?」
お父様が無言のまま、お墓の前に膝を着いた。墓石に指先からそっと触れて、刻まれた文字をじっと見つめる。風が吹き梢が揺れる音が聞こえても、お父様は動かなかった。ただその名前を愛おしむように見つめていた。
「……会いに来るのが遅くなって、ごめんね」
一際強く風が吹いた直後、お父様は優しい声で語りかけた。この場に居ない愛する人に向けて、少しの後悔と有り余る愛を込めて。
「僕たちの娘を、十年間一人で育ててくれてありがとう」
墓石を撫でる手が止まった。恋人同士がするように、墓石に額を押し当てる。プラチナブロンドが木漏れ日に煌めいて、お父様の目元を隠す。二人だけに木漏れ日が射し込む様子は、まるで有名画家の絵画のように美しい光景だった。
「アリアナ……ずっと……」
──“ずっと、愛してる”
声にはしなかったが、口の動きからそう愛を誓ったのだと分かった。私たちを包み込むようにそよぐ風と木漏れ日が、お母さんの墓石とお父様を優しく撫でていった。
◇◇◇
各々お母さんへの挨拶が終わり、伯爵邸に戻る時間が近付いていた。お墓の移動の件で少し確認したいことがあると言う教会の人とお父様が少し離れたところで会話をしている間、私はアマルダさんに話しかけた。
「あの……アマルダさん。あの後お嬢様のご様子はいかがでしたか?」
魔力切れになっていただろうから、バルドお兄様に魔力回復薬を頂いてアマルダさんに渡しておいた。軽く説明をして、熱が出たら使うと約束していただいたが……どうなっているだろうか。
アマルダさんは微かに目を見開いて、薄く微笑んだ。
「頂いたお薬を、しっかり使わせていただきました。昨晩には熱も下がられて会話をいたしましたよ」
「そうですか……よかった」
お嬢様のご無事な様子にほっと胸を撫で下ろす。そんな私に眉を寄せてアマルダさんが尋ねた。
「アメリアンナ様も熱が出たと伺いました。体調は大丈夫なのですか」
「はい。もう元気ですよ。ありがとうございます」
心配する言葉に感謝を告げて、ふと思い出す。伯爵邸を発った日も浮かんだ疑問。
「アマルダさんは……どうして、お母さんと私にこんなに優しくして下さるんですか?」
微笑んだ彼女にそう質問を返すと、彼女は小さく息を呑んだ。視線を足元に落として、一つ瞬きをする。その瞳に、一瞬悲哀が過ぎった気がした。
「……使用人の考えなど、お気になさらないでください。特に理由はございません」
「……私がヴィザーテの人間だから気にするなとおっしゃるのなら……アメリアンナというただの子ども相手だと思ってください。以前みたいに、接してくれませんか」
話すのが嫌だというのなら聞かない。でも、私が貴族の娘でアマルダさんが市井出身だから話さないのなら、気にしないでほしい。身分差も、今は関係ないから。
「しかし……」
「……兄上。少しあちらで話しませんか」
「そうだね」
アマルダさんがお兄様と兄様を気にするようにちらりと見ると、お二人は数歩離れてしまった。呆気にとられたアマルダさんに微笑みかける。……後でお兄様たちにお礼を言わなくちゃ。
数秒して、アマルダさんは静かに息を吐いた。
「……娘が、ちょうどアリアナと同年代だったの」
「アマルダさんの娘さん……?私、会ったことがありますか?」
いつもさり気なく優しくしてくださったアマルダさんだけど、ご家族のお話はあまり聞かない。噂好きのメイドさん達の話で、ご結婚はされていたと聞いていたけれど……
「あなたも、アリアナも、会ったことは無いわ。……20年前に流行病で娘も夫も亡くなったもの」
「……あっ……」
20年前に大陸全土を襲った流行病。ヒーリエのおばあ様もそれが原因で亡くなったという。
「……すみません」
「気にしないで。……領地で大奥様に仕えていた私と違って王都にいた二人は、病で命を落としたの。その時、娘は10歳になったばかりで……」
あなた達母娘を娘に重ねて見ていたというだけなのよ、と呟いた。……流行病で娘を亡くしたアマルダさん。20年前に10歳だとすると、娘さんは生きていれば30歳くらいだっただろう。お母さんより三つ歳下。子どもも……アマルダさんのお孫さんも産まれていたかもしれない。
「……ありがとう、ございました」
首を傾げるアマルダさんに、深々と頭を下げる。
「アマルダさんのおかげで、私たちは伯爵邸で不自由なく暮らせました。何が理由であっても、それは事実です。本当に感謝しています」
「……顔を上げてちょうだい」
アマルダさんの静かなお願いに頭を上げた。辛い過去を話したというのに、その瞳は穏やかだった。
「これ以上感謝の言葉は要らないわ。……その気持ちを示したいのなら、きちんと幸せになりなさい」
アマルダさんがしゃがんで私と目線の高さを合わせる。微かに緩められた目元が、彼女の思いやりを物語っていた。
「あの人たちは、とても素敵な家族ね。アリアナと同じくらい、あなたを大切に思っている。だから、家族を大事にして、一日一日を大切に生きて。しっかり考えて、後悔しない選択をするの。そして……」
アマルダさんの視線が、私の手首に落ちた。……あの日から、何も着けていない手首に。少し哀しげに目を細めて、目を合わせた。
「お嬢様に、会って差しあげて。昨日熱が下がってから、ずっと会いたがっていらっしゃるの」
「会って、良いんですか?」
てっきり伯爵の命令で会えないだろうと思っていた。そう告げると、彼女は少し可笑しそうに笑った。
「帝国の貴族の方に言質を取られてしまえば、伯爵様も何も言えないわ」
「言質……?」
煙に巻くような言い様に鸚鵡返しに尋ねたところで、アマルダさんが立ち上がった。お父様が戻ってきたようだ。
「お父様」
「待たせたね。戻ろうか」
お兄様たちも戻ってきたので、頷く。アマルダさんの言っていたことが気になったけれど、馬車を待たせているだろうから少しだけ急いで歩き出した。
「アマルダさん?」
数歩歩いて、アマルダさんが着いてきていないことに気がつく。振り向くと、彼女はお母さんのお墓をじっと見つめていた。……なんとなく、最後のお別れを言っているのだと、感じた。アマルダさんは最後にお墓に優しく微笑みかけて、踵を返す。
「……アメリアンナ様」
振り向いて待っていた私に、アマルダさんは驚いた顔をした。……幼い娘さんを亡くしたアマルダさんと、子どもの頃にお母様を亡くしたお母さん。私の気のせいかもしれないけれど、アマルダさんと居る時のお母さんは、普段よりどこか肩の力を抜いていた気がする。
「……アマルダさん」
これだけは言っておこうと思って、彼女を見上げた。二人の間に強い風が吹く。
「お母さんは……アマルダさんを、母のように慕っていたと思います」
夏風の強さに負けないようアマルダさんの瞳を強く見つめて言い切ると、彼女はふと笑った。
「……知っているわ」
風に吹かれて舞う若葉の中で笑った彼女は、どこか誇らしげに見えた。




