六十一話 父の覚悟
目の前で居心地悪げに紅茶を飲む小太りの男に作り笑顔を向ける。びくりと小さく跳ね上がった男──伯爵の様子を見て、取り繕いきれていなかったかと目を細めた。
「……そ、それでは、夫人の墓へのご案内は、明後日でよろしいのですね」
「はい。まずは子どもたちの疲れを落としてから、妻の墓前に参らせてください」
一つ予定が定まったことに安堵の息をもらした伯爵を見やりながら、今頃アメリアンナたちは伯爵令嬢の部屋に着いた頃だろうかと考える。
──伯爵邸に、あの子たちを邪魔しようとする人間はあまり居なさそうだった。だから大丈夫だろうが……
「それにしても、奥方様とご令嬢が我が伯爵邸で10年もお過ごしになっていたなど……全く気が付きませんでした」
へつらいながら笑みを浮かべる伯爵に、フェリシトは口元だけに微笑みを浮かべた。伯爵の頬に流れる冷や汗が、窓から差し込む光に反射する。
「確か、伯爵夫人が行き倒れていた妊娠中の妻を助けてくださったのだとか。感謝します」
「いえいえ……最初は、平民だと思い追い出そうとしてしまいましたが……侍女長の進言で屋敷に残しておいたのです。いやはや、本当に良かった」
ちらちらと期待を含んで注がれる視線に呆れの感情が浮かんだ。……まさかここまで分かりやすく恩を売ろうとしてくるとは。
「そうですね。侍女長殿にも後日お礼を述べさせてください」
そう会話を打ち切ったフェリシトに、伯爵が小さく肩を落とす。……いくら娘同士が友人でも、この伯爵と縁を結ぶのは御免だ。フェリシトの心中には伯爵への疑惑が募っていた。
コンコン、と扉が叩かれる音が響く。伯爵が反応した。
「何だ」
「至急、伯爵様のお耳に入れたいことがごさいます」
「後にしろ。忙しい」
「それが……」
食い下がる執事に、伯爵はため息をついて入室を許可した。執事は、逸る様子で室内に入り伯爵の耳元で知らせを告げる。口元を隠していたが、風の魔法を使えば内容はすぐに聞き取れた。
“アリアドネ様が目を覚ましました。現在、侍女長がお話を聞いております”
報告に子どもたちの名前が出てこなかったことにひっそりと胸を撫で下ろす。恐らくは他の使用人たちに気付かれる前に客室へ戻ったのだろう。あの様子だと侍女長はアメリアンナ達のことは黙っていてくれるだろう。問題は伯爵令嬢の方だが……
「それは……」
「伯爵。どうかされましたか」
作った微笑みを浮かべたまま、何も知らないふりをして尋ねる。娘が目覚めたという報告を受けた伯爵の顔色は、みるみるうちに真っ青になっていた。
「い、いえ。……体調が優れず寝込んでいた娘が、目を覚ましたというだけの報告でした」
執事を部屋から退出させて慌ててフェリシトの問いに答えた伯爵に、驚いた顔を作ってみせる。
「それは大層気がかりでしょう。様子を見に行かれてはいかがですか」
「しかし、貴殿は……」
「私は構いません。心から大切に思う娘の体調を気にかける気持ちは、同じ父親としてよく分かります。そうでしょう?」
「そ……」
青ざめた伯爵の頬がひくついた。その目が何度か扉の方へ向けられる。どっと増えた汗を拭いながら調度品の並ぶ室内を落ち着かなそうに泳いでいた視線が、フェリシトに固定されて笑みを浮かべた。
「それは、確かにそうでございますな。では私はこれで失礼致します。お戻りの際は執事にお声がけください」
「ええ。お気遣いありがとうございます。……ああ、そうでした。伯爵」
慌てて立ち上がって扉へ歩いていった伯爵の背中に、思い出したように言葉をかける。
「……何でしょうか?」
「娘が……アメリアンナが、伯爵令嬢にとても会いたがっていました。大切な友人だからと。宜しければ、この二週間のうちに、ご令嬢に会う機会を設けていただけないでしょうか」
振り向いた伯爵が、にこりと笑った。扉の取っ手に触れた手が、かたかたと細かく震えている。
「もちろんです。友人同士なのですから」
「ありがとうございます」
その言葉を受け、伯爵はいそいそと部屋を出ていった。扉が閉まってから、フェリシトは目を閉じて先程の伯爵の様子を思い浮かべた。
左右に泳いだ目。増えたまばたき。口内が乾燥していたのか唇を舐めていた。額を流れていた汗……
──嘘、だろうな。
“体調が優れず寝込んでいた娘”という言葉はもちろん、その後のフェリシトへの受け答えも。特に、フェリシトの言った“心から大切に思う娘”という言葉への肯定。あれは確実に嘘だろう。
アリアナの日記帳にも、伯爵親子の不仲な様子は書かれていた。娘の伯爵令嬢の方はそうでも無いが、伯爵夫妻は一切娘に興味が無いようだと。滅多に娘のいる領地の屋敷に帰らず、年中王都の屋敷で生活をしていると。
親に見向きもされない子ども、という言葉が浮かんできて、思わず息が詰まった。長く息を吐いて、気を落ち着かせる。
……娘に対して興味を持っていないと言う割には、伯爵令嬢の目覚めに対しての伯爵の反応は大きかった。青ざめ、唇を震わせていた。……何か、伯爵にとって不都合なことがあったのかもしれない。だがそれを突き止めるのは、フェリシトたちのすることではない。伯爵家を調べるにあたって耳に入った噂からすると、きっともうすぐ。
ふと鳥の鳴き声が聞こえて、外を見た。窓の外の木の枝に、青い鳥が止まっていた。幸せを運ぶ鳥の逸話を思い出して、口元に小さく笑いがこぼれる。
「瑞鳥か……」
行く先の暗い伯爵家の庭に現れるとは、なんたる皮肉か。
……アリアナとアメリアンナが世話になった伯爵家。夫妻はともかく、令嬢や使用人たちに不幸がふりかからないといい。あの子が悲しむ。帝国の人間であるフェリシトに出来ることは少ないだろうが……口添えくらいは、できる。
「……大丈夫だよ、アリアナ」
──僕が与えられるものは、何だってあの子に与えていく。あの子が望むことなら、何だって叶える。……僕たちの子どもは、命にかえてもちゃんと守るから。だから……安心して。
そう心の内で呟いて、フェリシトは一度固く目を瞑り、空色の瞳を開いて立ち上がった。客が出ていき空室になったその部屋には、ただ風が吹き込む音だけが響いていた。




