五十七話 侍女長の考え
アマルダさんは素早くも淑やかに室内に入ると、まず頭を下げた。
「改めて挨拶申し上げます。伯爵家侍女長のアマルダ・アムールでございます。アメリアンナお嬢様にお話があって参りました」
彼女の挨拶に、お兄様たちと顔を見合わせて頷く。代表して私が返答をした。
「頭を上げてください、アマルダさん。私にお話とは、どのようなお話でしょうか?」
頭を上げたアマルダさんが、冷静だがどこか緊迫した瞳で私を見据える。一つ息を吐いてから、彼女は話し始めた。
「三ヶ月ぶりですね、アメリアンナ様。貴方が旅立った日の夕方、屋敷が騒がしかったことを覚えておいででしょうか」
「……はい」
「実はその日、アリアドネお嬢様が窓から転落し、意識不明の重体になられたのです。今現在も、お嬢様は意識を取り戻しておりません」
お嬢様の容態を話すアマルダさんの手は、微かに震えていた。自分が仕える家の令嬢の容態を、今となっては他国の人間となった私に伝えるのだ。もしかしたら伯爵に口止めされていたのかもしれない。……きっと、勇気を振り絞って話してくれているのだろうと、分かった。
「アマルダさん。私、お嬢様のご容態は存じ上げておりました」
「……そうでしたか」
私の返事に、アマルダさんは特に驚いた様子もなく息をついた。そして、まるでここからが本題であるかのような表情をして、再び口を開く。
「……伯爵様は、アメリアンナ様をアリアドネ様に会わせないおつもりでいらっしゃいます。……帝国のお方に、お嬢様を会わせたくないと」
「……帝国の人間だから、伯爵令嬢の友人である妹は、令嬢に会うことを許されないということですか」
シル兄様の、微かに怒気を含んだ声に息を呑んだ。アマルダさんに向けられたものでは無い。恐らくは、伯爵に対してのものだ。可能な限り声に怒りを乗せないようにしていらっしゃったが、完全には隠しきれていないようだった。
……フラエルムの貴族であれば、帝国の人間、特に魔術師に子どもを会わせたくないのは、一般的な感覚だ。
元々、数百年前まで大陸では魔力持ちである人間……つまり魔法使いは、ひどく冷遇されていた。だがそこで、700年ほど前にそんな状態を変えようと立ち上がった人間と魔法使いが建国したのがスペランツァ帝国。その状態を更に悪化させる方向に走ったのがフラエルム王国だ。フラエルムの貴族としては、大陸最大の国と悪くは無い関係を結んでおきたいが、国内での建前上、良好な縁はあまり結びたくない、といったところだろう。
シル兄様の言葉に僅かに目を見張ったアマルダさんだったが、長年侍女長を勤めていただけあって、それでも冷静に受け答えをしていた。
「……そういう意味にも、取れるでしょう。ですが、アメリアンナ様。私は、貴方にアリアドネお嬢様に会っていただきたいと考えております」
「アマルダさん……?」
伯爵の意向とは真逆のことを言い始めたアマルダさんに、一瞬彼女の言葉の意味が呑み込めなくなった。ややあって、彼女は伯爵に反してお嬢様と私を会わせようとしているのだ、と理解する。
「他の方々も連れずにいらっしゃったのは、それが理由でしょうか」
「はい」
「アマルダさんお一人のお考えなのですか」
「……責任は私一人に被せるよう言っております」
つまり、アマルダさんの他にもこの計画に賛成している人がいるということだ。予想外の展開に、思わず目を閉じて小さく息を吐いた。
「……解雇されるかも、しれないのですよ。さらに悪ければ……」
貴族の信頼を大きく裏切った使用人のフラエルムでの末路といえば、大抵決まっている。貴族出身の使用人であれば解雇や長期の謹慎で済むだろうが、平民出身であるアマルダさんならば、さらに。
「……私は、現伯爵様ではなく、大奥様に忠誠を誓った身でございます。大奥様亡き現在、あの方の侍女としての誇りを保てぬ行動はしないと、心に誓っております。ですからこの行動によって命を失うとしても、後悔はありません」
“命を失う”という言葉に、一歩後ろのお兄様方が絶句したのが分かった。帝国ではそんなことは、ほとんど無いのだろう。平民蔑視の傾向の強いフラエルムでは、いくら高い役職に就いていても平民というだけで貴族から蔑まれるのが常だ。どれだけ能力が高くても、平民というだけで貴族社会では差別を受ける。平民出身で伯爵家侍女長まで上り詰めたアマルダさんでも、例外では無い。
……人格者であったという大奥様。先代伯爵のご正妻。古株の使用人の方々の話によると、お嬢様の幼いながらに気丈で高潔な性格は、大奥様によく似ているそうだ。そんな方の侍女としての誇りを保とうとしている。アマルダさんの言葉に、決意が固まった。
「……少し、待っていただけますか」
「はい」
後ろを振り向いて、お兄様たちにかがんでいただくようお願いする。顔を近付けてから、小さな声で考えを話した。アマルダさんの計画に乗るつもりの私に、お兄様も兄様も驚きを隠せないようだった。
「本当に、いいの?彼女は、お世話になった人なんだろう?」
「……素晴らしい方の侍女としての誇りを……矜恃を保ちたいという気持ちは、理解できますから」
お兄様方の目をまっすぐ見つめて言った私に、お二人は渋々ながら納得されたようだった。
「……それだと、父上の協力が不可欠だな。俺が呼んでくるよ」
「お願いします、シル兄様」
囁き声で話を終えた私たちがアマルダさんを振り返ると、彼女は目を伏せて微動だにせず待っていた。こんな時まで使用人としての振る舞いを心がける彼女に、微笑みが浮かんでしまった。
「時間をとって申し訳ありません、アマルダさん」
「いいえ。滅相もありません」
微かな期待を込めて視線を合わせた彼女に、頷く。
「私も、アリアドネお嬢様にお会いしたいと思っております。差し当たって、父の協力を得たいのですが、構いませんか?」
「もちろんでございます」
「ありがとうございます。……シル兄様、お願いできますか?」
「大丈夫だ。すぐ戻ってくるよ」
私の頭を一撫でして部屋を出ていかれた。……お父様の魔力は、隣の部屋に感じる。恐らくはお父様も与えられた客室で休んでいらっしゃるのだろう。
お父様の魔力を探していた私に、アマルダさんは躊躇いがちに話しかけた。
「……失礼ながら、発言をお許しいただけますでしょうか」
「……はい。なんでしょうか」
アマルダさんは、ちらりとバルドお兄様を見ると、微かに震えた声で尋ねた。
「なぜ、こちらに……伯爵邸においでになったのでしょうか」
「約束しましたから」
彼女の質問に即答すると、アマルダさんは目を見開いた。
「旅立った日、アマルダさんに約束しましたから。……父が見つかったら、一度挨拶に伺うと」
「……一使用人との約束など、捨て置かれてよかったのに」
呆然とされたままぽつりと呟かれた彼女に、笑いかける。
「お母さんも私も、アマルダさんに沢山気にかけていただきました。その恩を忘れるほど、私は薄情ではないつもりですよ」




