五十五話 伯爵との対面
貴族邸への移動期間の朝は、早い。予め指定しておいた日、時間帯に、目的地に到着しなければならないためだ。それは到着当日でも変わることは無い。
渋るフィオレと喜ぶダリアと、同じベッドで三人で寝た翌日、日の出から一時間も経たないうちに私たちは目を覚ました。身支度を整えて宿泊宿で出る朝食をとってから、荷物をまとめて馬車に乗り込んで伯爵邸を目指す。
「ティアリーチェ伯爵邸へは、三つほど小さな町を抜けたら着くようだね。あと二時間といったところかな」
地図を広げて、通る町を指さしながらお父様がおっしゃる。一番最後に通る町は、昔お母さんとよく訪れた町で、お母さんの眠っている共同墓地がある町でもあった。お兄様が、地図を覗き込む。
「予定通り、午前中に着きそうですね」
「そうだね。着いたらまず、伯爵に挨拶をしないと」
「……確かティアリーチェ伯爵って、普段は王都に居るんじゃありませんでした?本当にこっちに来ているんでしょうか」
「さすがに、来ているんじゃないかな?」
シル兄様の疑問に、バルドお兄様が首を傾げた。……外面だけは良い伯爵のことだ。帝国の貴族が屋敷を訪れるとなったら、必ず出迎えに出るだろう。あの、寒気がするような分かりやすい作り笑いを貼り付けて。思い出すだけで眉根が寄った。
「……リ…アメリ」
「あっ……お兄様……」
隣のバルドお兄様に名前を呼ばれて、我に返る。……私今、きっと酷い顔をしていた……見られていないかしら。
幸いにも、お兄様たちは特に言及することなく問いかけてくださった。
「伯爵は普段、王都に居るんだよね?アメリが伯爵邸を発った時は、王都に居たの?それとも……」
「領地に居ました。……普段は、伯爵夫妻は王都、お嬢様は領地の伯爵邸にいらっしゃるのですが、あの時はお嬢様が数週間高熱にうなされていたので、こちらに来ていたんです」
なるほど、と三人が頷く。結局話は、伯爵は領地の方に居るだろうと結論付いた。
──伯爵には会いたくないけれど、お嬢様には会いたい……
お嬢様や伯爵邸の皆様に会えることが楽しみでありつつ、その前に伯爵に会わなければならないということが憂鬱だった。ポケットから取り出したブレスレットを、手持ち無沙汰に触る。手首に付けることは、まだ出来なかった。
◇◇◇
ガタン、と馬車が揺れて止まった。伯爵邸に着いたのだ。バルドお兄様とシル兄様側の扉が開く。思わず、体が強ばった。
「……っ……」
「……アメリ。僕たちが先に出る。君は落ち着いてから出てきなさい」
お兄様たちがゆっくりと馬車を降りていく間に、お父様に囁かれる。勢いよく顔を上げてお父様を見上げると、落ち着き払った空色の瞳と目が合った。お父様の瞳はあまりに綺麗で優しくて、私の事情を全て理解しているように思えてならなかった。
「……だい、じょうぶです。……出られます」
震える手を強く握り込んで、息を吐く。お父様が先に降りようとするのを制止して、お兄様の手を借りて馬車を降りる。……お兄様たちが先に降りたのに、娘の私がお父様の後に降りるなんてことは、出来ない。
「アメリ」
馬車を降りる際、手を重ねたバルドお兄様に、さりげなく顔を覗き込まれる。手が震えていることに気付かれてしまったのだ。心配の色を浮かべた瞳に、大丈夫だと小さく頷く。
私の後に、お父様が馬車から降りられた。靴が、石畳に触れて音を立てる。……顔を上げることが出来ない。この先に、伯爵邸の前に、一体どんな光景が広がっているのか、予想もつかなかった。
「スペランツァ帝国ヴィザーテ家御一行のご到着です」
……アマルダさんの声だ。聞き覚えのある声に、思わず顔を上げた。伯爵邸に続く前庭の道の両端に、伯爵邸の使用人の人達がずらりと並んでいた。その中央に、伯爵がいる。
「ようこそお越しくださいました。伯爵邸の者一同、誠意を尽くしておもてなし致します。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」
伯爵は、私たちの前に歩み出たお父様の前に立って、対外的な笑みを浮かべた。その笑みの薄ら寒さに、気分が悪くなって目を伏せる。お父様も、社交用の頬笑みを浮かべて言葉を返す。
「突然の伺いにも関わらず、訪問を受け入れてくださったこと、感謝します。二週間、よろしくお願いしますね」
「とんでもありません。帝国の高名なご一族に訪問していただけるなど、これほど光栄なことは滅多にございませんから」
……予想以上に、伯爵が目の前にいるという状況は私の精神に来た。小さく細かく呼吸を繰り返していると、右手が強く握られた。痛くは無いけれど内側に引きこもりかけていた感覚を引き戻すその感触に、我に返る。
お兄様が、真っ直ぐ伯爵を見たまま、私の手を握っていた。そこでようやく、馬車を降りた時からずっと、お兄様と手を繋いだままだったことに気が付いた。
「おにい……」
「大丈夫」
離してもらおうと声をかけると、ちらりと視線を合わせて微笑まれる。頼もしいその声に呆気にとられていると、ふと伯爵の視線を感じた。
「ご令息方、並びにご令嬢も、ぜひごゆるりとお過ごしくださいませ」
「……お気遣い、感謝します」
シル兄様が伯爵の視線を逸らすように声を上げた。向けられた伯爵の視線に、兄様はにこりと笑う。完璧すぎるほどにこやかな笑顔だった。
「い、いえ……」
思わずたじろいだ伯爵だったが、気を取り直したのか再びこちらを見た。……いい加減、諦めて欲しい。
「ご令嬢も、お久しぶりですね」
「……お久しぶりです、伯爵」
お兄様と手を繋いだまま、作り笑いを浮かべた。……さながら、前時間軸でお嬢様として過ごした時のように。
伯爵は私の素っ気ない返事に目を細め、更に言い募ろうとしたが、お父様が一歩足を踏み出したことでようやく口を噤んだ。
「……ティアリーチェ伯爵。私も子供たちも、長い馬車の移動で疲れてしまっています。申し訳ありませんが、客室に案内していただけませんか?」
質問の形を取りながらも半強制的な申し出だった。どこか圧を感じるお父様の言葉に、伯爵はごくりと唾を飲み込んで頷いた。
「え、ええ!もちろんでございます。どうぞ、中へ……」
──……なんだか、呆気なかったわ。
呆気なかった伯爵との挨拶に、呆然とする。身構えていたのが急に力が抜けて、長い息を吐いてしまう。……お兄様と手を繋いでいてよかった。そうでなければ、このまま地面に座りこんでしまっていたかもしれない。
視線を上げて、お父様、お兄様、兄様を見る。お父様たちのおかげで、伯爵を前にしても気を失わずにすんだ。怖くて気持ち悪かったけれど、大好きな家族がそばに居るから、心が奮い立った。
「……ありがとう、ございます……」
三人に聞こえないように、小さな声で呟いた。……家族みんなで来れて、良かったと思った。




