五十四話 専属侍女たち
「いいのですか、お嬢様。私たちまで、ベッドに上がらせていただいて」
「大丈夫よ。この方が気が楽なの」
フィオレとダリアに湯を浴びてきてもらって、ベッドの上に招待する。貴族用の宿泊宿であるここのベッドは、子ども一人と女性二人が座っても壊れないほどには頑丈だ。
「お嬢様のベッド、ふかふかですね……気持ちいい……」
「広さはあるから、このまま一緒に寝てもいいのよ?」
「本当ですか?!」
「お嬢様!?」
「……ごめんなさい、冗談だったの」
期待たっぷりの顔のダリアと信じられないという顔のフィオレに近寄られて、気圧されてしまった。訂正すると、分かりやすくダリアの肩が落ちる。
「……それでお嬢様。お話とは?」
フィオレに本題を切り出されて、こくりと唾を飲み込む。……話す内容は、もう決めていた。
「二人は、私が魔塔に来る前に伯爵邸でお世話になっていたことは、知っているよね」
「存じ上げております」
「確か、奥様と伯爵邸で暮らしていたと……」
髪を下ろした二人が頷く。
「……私ね、そこで、アリアドネ様……伯爵令嬢の専属侍女候補として過ごしていたの」
「専属侍女ですか?」
「アメリアンナお嬢様が?」
耳を疑うような顔で聞き返されて、微笑んだまま頷いた。
「そうだよ。……アリアドネ様とは、産まれた日が同じでね。伯爵令嬢と専属侍女候補としてだけでなく、双子の姉妹のようなお友だちとしても、仲良くさせていただいたの」
お嬢様とのことを敬愛する人との思い出のように話す私に、二人は信じられないという様子だ。……それもそうだろう。帝国で二番目に高貴な一族の娘が、王国の伯爵令嬢相手に、そんな表情をしているのだから。けれど、本題はそこではない。そこでは無いのだ。
「お嬢様のことが大好きだったし、あの方の役に立ちたいと思って頑張ってた。……でも……私はあの方が大変な時、命の危機に晒されている時に、何も出来なかった」
……二人、お互い自分のすべきことを頑張って、辛いことがあっても支え合い助け合おうと小指を絡めたのに。大切な幼馴染との約束を、私は破ってしまった。あまつさえ、その名を騙ってその死を汚した。
「私……お嬢様にどんな顔で会えばいいのか、分からないの」
会いたいと思った。生きていてくれたことに感謝した。彼女が呼吸をしていることを確かめたかった。けれど。
「……専属侍女候補として、もっと、なにか……お嬢様を助けられたんじゃないかって……あの時、お嬢様のお部屋に行っていたらって……思わずにはいられない」
── 怖い。
寝たきりのお嬢様を前に、何を言えばいいのか。何ができるのか。確かに、お嬢様は息をしている。心臓は動いている。身体は、生命活動を続けている。でも、もうあの方は、自分の意思で身体を動かせないのだ。それは果たして、生きていると、言えるのか。
あの時、お嬢様が飛び降りる未来を知っていたのだから、お嬢様の自室に直行して、閉じこもっていたらよかった。お嬢様の飛び降りを、阻止できたかもしれない。お母さんの葬儀を延期させてもらっていたらよかった。お嬢様は今もまだ、自分で考えて、話して、笑っていらっしゃったかもしれない。……なぜそれをしなかったのか。お嬢様の名前を騙った身で、あの方にのうのうと会いに行くのが怖かったからではないか。
「臆病な自分のせいで、アリアドネお嬢様を……守れなかった」
脅しに屈してお嬢様の名を騙った罪。お嬢様の死を汚した罪。我が身可愛さに幾年も罪を告白しなかった罪。怖気付いて、防げたかもしれない死を防げなかった罪。……こんなに沢山の罪を抱えて、どんな顔で、もう意志を持って動くことのないお嬢様に会えばよいのだろう。
前時間軸の、王立学園第一学年の学年末パーティの夜。フラエルムの国王陛下に自分の罪を告白した。伯爵令嬢の名を騙った罪。何年もそれを抱え込んだ罪。陛下は、権力を振りかざした大人に脅された孤児の過ちだと言って、学園卒業後に新しい名前と身分を与えることを保証してくださった。これからは誰の名前も騙らずに、自分の人生を責任持って生きるようにと言われた。お嬢様の冥福を祈って生き続けることを決意した。お嬢様の死後の幸せのためなら、何だってすると決意した。でも、いざとなると、私は。
「私……っ」
ぺたりと座り込んだ膝の上で、両の拳を爪が食い込むほどに握りしめる。皮膚に刺さる痛みが、罪悪感を軽くしてくれた気がした。大好きな人への恩を仇で返した自分への、罰を与えたかった。
「……お嬢様」
フィオレが私の片手を取る。彼女は、拳を解こうとはせずに、そのまま両手で包み込んだ。その隣のダリアが、フィオレに倣ってもう片方の手を包み込む。
「お嬢様は……アメリアンナ様は、アリアドネ様を、助けたかったのですね。大好きなご友人に、将来の主と慕う相手に、笑って生きていてほしかったのですね」
穏やかな声で、緑の瞳を伏せたまま、フィオレは話し続ける。
「何か出来ていたかもしれないのに、あと一歩を踏み出せなくて……後悔して……」
途端、私の手を包むフィオレの両手に、僅かに力が入った。翡翠の瞳と目が合う。
「……私の母が、昔よく言っていたのです。あの時、声をかけていれば、あの方は今もこの場所で笑っていらっしゃったのかもしれない。些細な違和感を、どうしてそのままにしてしまったのか、と。……誰のことを言っているのか、分かりますか?」
「グレタさん、が……誰なの?」
フィオレが薄く微笑んだ。百合の花のように白い微笑みだった。
「奥様……アメリアンナ様の、お母様です」
「……え?」
私の手を包んだまま、両手を胸の前に掲げる。
「母は、奥様にもっと何かしていれば、こんなことには……行方不明になることは無かったのかもしれないと、よく言っておりました。……何も出来なかった母のことを、お嬢様は臆病だと思われますか?」
「っ、そんなことない!未来のことなんて、誰にも分からないでしょう……!お母さんは自分の運命を恨んでなんかいなかったし、例えそうだとしても……止められなかったグレタさんの責任なんかじゃないわ!」
お母さんのことを大切そうに話していたグレタさんを思い出して、感情的になってしまう。あんなにもお母さんを友人として思ってくれていた人が、罪悪感や責任を負う必要なんて、これっぽっちもない。
フィオレを見上げて否定した私に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「……アメリアンナ様。アリアドネ様も、きっとそうおっしゃるのでは無いでしょうか」
「……お嬢様が?」
想定外の返しに呆気にとられている私に、フィオレは頷いた。
「同じ場所で家族のように育った者同士や、一心同体のように仲の良い友人同士は、考え方が似てくると言います。お嬢様は先ほど、母のことを臆病ではないと否定してくださいました。姉妹のように仲の良かった方なら、お嬢様を臆病とは言わないのではありませんか?」
フィオレは、隣のダリアを見て、首を傾げた。
「ね、ダリア?」
「えっ、わ、私?」
突然話題を振られてあたふたしたものの、ダリアはフィオレの確認に頷いた。
「……私は、孤児院の出です。辛くて苦しい経験をして世間を恨む子たちも、孤児院には沢山やって来ます。でも、そんな子たちも、孤児院で他の子たちと温かい生活を共にするうちにそんなの忘れていっちゃうんです。共に過ごす人の影響というのは、凄まじいんですよ。お嬢様がそのような考え方をされるのなら、伯爵令嬢だってきっと、お嬢様を責める考え方はしません」
力強く言い切ったダリアが、にっこりと笑う。不安が、向日葵のように明るい笑顔に、かき消される。思わずつられて笑ってしまった。フィオレも、いつの間にか嬉しそうに微笑んでいる。
「……ありがとう、二人とも。こんな話を聞いてくれて」
感謝を込めて微笑むと、二人が誇らしげに口角を上げた。
「私たちは、お嬢様の専属侍女です。どんなことでもご相談ください」
「どんどん相談してくださいね!私、お嬢様の嫁ぎ先まで着いていくつもりなので、一生相談に乗りますよ!」
二人の頼もしい言葉に、感謝してから、一つ提案をする。
「あのね、早速なんだけど……」
逸る鼓動に、悪戯げに微笑んで、二人を見上げる。
「やっぱり今日、このベッドで、三人で一緒に寝ない?」




