五十話 もう会えない友人
緑の瞳が爛々と光って、細腕が腕まくりをした。お化粧の施された唇が愉しそうに弧を描く。怪しげな笑い声を零しながら、彼女は私に問いかけた。
さあお嬢様、ここからここまで全て試着してみましょう?……それに私は答える。
「……絶対!無理!です!」
日差しの照る正午のヴィザーテ邸の二階の居室に、私の叫び声が響いた。
◇◇◇
「ふう……やっと全て試着し終えましたね。旅行に持っていくお洋服も決まりましたし、たった数時間の成果としては万々歳ですわ」
「私は全然万々歳じゃありません……」
達成感に頬を上気させて額を拭うグレタさんと対照的に、私は白いソファにぐったりと身を投げ出していた。横目で見た窓からは、既に西日が差し込んでいる。グレタさんの手によって試着を続けられて、いったい何時間が経ったのだろうか。
「ふふ、お嬢様。このくらいで音を上げていては、デビュタントの時が大変ですわよ」
「…え……?」
ほほほ、と朗らかに微笑んでいるグレタさんに絶望の眼差しを向けると、彼女はますます笑みを深めた。
「お嬢様のデビュタントの年で、最も高貴な立場の14歳のご令嬢は、間違いなくお嬢様ですわ。それに相応しいだけの美しいドレスをお召しになっていただかなければ……!」
その際はぜひわたくしに仕立てさせてくださいましね?!とどこか興奮気味に詰め寄られて、思わず首を縦に降ってしまう。あ、と気がついた時にはもう遅かった。グレタさんの瞳がきらりと光る。
「そうと決まれば今からどんな色、ドレススタイル、宝石が似合うか、調べなければ……!お嬢様、まずはこちらのお洋服を……」
どこから引っ張り出したのか分からない、深緑のワンピースを片手に、グレタさんの顔がずいっと近付いた。普段はお淑やかなレディだが、こういう時のグレタさんは凄まじい。仕立てへの愛と熱と矜恃がもたらす業なのだろう。
「す、すみません、グレタさん。今日はもう私……」
「お嬢様はお肌が新雪のように白くあられますから、深い色がとても良くお似合いになると思うのですわ。くすんだ色ではいけないのです。ああでも、全体的に淡い色合いの方だから、あまり濃い色だとドレスが浮いてしまうわね…」
熟考し始めて遠ざかったグレタさんに胸を撫で下ろしながら、数ヶ月前に彼女に言われたことを思い出した。今なら、聞けるかもしれない。
「……あの、グレタさん」
「……は、はい。何でしょうか、お嬢様」
深い思考から浮かび上がってきた彼女に、尋ねる。
「数ヶ月前……私の質問に出来る限り答えるとおっしゃってくださいましたよね?」
恐る恐る緑色を覗き込むと、一瞬虚をつかれた顔をしたグレタさんは、やがて落ち着いた微笑みを見せた。ソファに座る私の隣に膝を着いて、頷く。
「ええ。申し上げましたわ。ささやかながら、わたくしからお嬢様へのお誕生日プレゼントです」
確かに言い切ったグレタさんに安心して、声を潜める。お父様やお兄様方には内緒にしてほしいと告げてから、質問を口にした。
「グレタさんから見て……お母さんとお父様は、どんな夫婦でしたか……?」
「……奥様と魔塔主様が、ですか?」
囁き声で聞き返されて、小さく頷く。頬が少し熱かった。恥ずかしいけれど、聞かなければよかったとは思わない。
私の問いにしばらく首を傾げたあと、グレタさんは答え始めた。
「……見ていて、心が温まるようなご夫婦でしたわ。お互いを尊重しあって、想いあっているのが目に見えて分かるような素敵なおふたり……ご結婚前は、どうなることかと心配してしまいましたが……結ばれて本当によかった……」
「結婚前……?」
第三者から語られる両親の姿に、むず痒いような温かいような気持ちになっていたところで、気になる言葉を聞き取る。グレタさんは眉を下げて笑うと、口元に手を当てて内緒話のように続けた。
「明らかに思いは通じあっていらっしゃったのですが、奥様が身を引こうとなさったことがあったのです。……お身分や、生家のお家柄……坊っちゃまたちのことを思っての考えだったのでしょう」
帝国で二番目に尊い一族の長と、没落した高位貴族の娘。幼かったバルドお兄様やシル兄様に嫌な思いをさせてしまうという懸念。加えて、建国からの700年間、頑なに魔術師と婚姻による縁を結ばなかった家出身という負い目。様々なことを考えて、お母さんはお父様との未来を諦めようとしたのだそう。
「けれど結局、魔塔主様が……あら、ふふ。これはわたくしの口から告げる内容ではありませんね。魔塔主様ご本人からお聞きくださいませ」
「えっ」
それが恥ずかしいから、グレタさんに聞いたのに。……中途半端なところで切り上げられてしまったお話にやや唇を尖らせてから、もうひとつ尋ねる。
「もうひとつ、いいですか?」
「もちろんでございます」
「……グレタさんは、お母さんと友人だったのですよね?」
以前、グレタさんは友人ではなかったと言っていたが、こうして話をしていて、違うと思った。お母さんのお話をする時のグレタさんは、とても優しい顔をしている。もう会えない友人を思うような、そんな顔を。
確信を帯びた私の質問に目を見張ると、彼女は否定しようと口を開いて、閉じた。悩ましげな視線が床に落ちて、震えた唇が引き結ばれる。しばらく経って、グレタさんは懐かしげに微笑んだ。
「……そう、ですわね……初めて言葉を交わしたあの日から、わたくしはずっと……あの方の友人でありたいと、思っています」
目元にしわを寄せて、笑みを深めた。
「私にとってあの方は、大切な友人ですわ」
嘘ではないと分かる温かな笑顔を浮かべたグレタさんに、頬が緩んだ。
「……よかった。それを確認したかったのです」
そして、ありがとうございますと頭を下げた。……お母さんを思っている人がこんなに沢山いる。嬉しい事実に、目を細めた。




