四十七話 伯爵令嬢の安否
夕食どき、お父様の言葉に、私は思わずカトラリーを動かす手を止めてしまった。銀食器を慎重にお皿の上に置いて、問い返す。
「……ほ、本当、ですか?」
「本当だよ」
震えた声での質問に、お父様が優しく頷いた。緊張で、喉が上下する。あれから二ヶ月。……とうとう、だ。
「……僕たち全員で、旅行に行ける。ただ、条件があるけれど……」
「条件ですか?」
シル兄様が聞き返した。お父様は、私の隣のバルドお兄様と一度目を合わせ頷くと、兄様に目を向けて答える。
「アメリアンナが、皇帝陛下に拝謁することだ」
お父様の言葉で、その場の全員の視線が、私に集まった。驚き、心配、信頼。様々な感情が乗った視線を受け、私は膝の上で密かに手を握りしめた。
「……分かりました。その条件、必ず達成してみせます」
陛下への拝謁。それはつまり、皇族直々に私をヴィザーテの人間として認めるということ。デビュタント以前の令嬢が皇帝陛下に拝謁できるなど、滅多にない。普通は、14歳のデビュタントで初めて、陛下に拝謁するものなのだから。……恐らくこれは、皇家側からのヴィザーテ家への配慮だろう。ヴィザーテ家の末娘である私の帝国内での地位を確立させるための。
……だとしたら、本当に認めていただけるだけの振る舞いをしてみせよう。ヴィザーテの娘として、恥ずかしくない行動をしてみせよう。
微かに口角を上げて答えた私に、目の前のお父様が微笑んだ。杞憂だったね、と呟かれる。
「ストリア夫人に、礼儀作法の授業の内容を調整してもらうよう伝えておこう。拝謁の日程は、また後日改めて知らせるよ」
すらすらと述べられた言葉に頷くと、アメリ、と改めてお父様に呼ばれる。一瞬だけ伏せられた金の睫毛が、頬に影を落とした。深刻な表情で目を合わせたお父様は、少し躊躇ってから言葉を続けた。
「……後で少し、話をしてもいいかい?」
「は……はい」
……なんだろう。何か、更に重大なことを知らされる気がする。予感に、とくりと胸が鳴った。
◇◇◇
夕食後。四人で食器を片付けると、お兄様と兄様は一足先に部屋に戻られて、お父様と私だけが食堂に残った。向かい合って座ると、お父様は早速口を開いた。
「夕食後だから眠いかな?できるだけ手短に話すから、聞いてほしい」
「大丈夫です。それで、その……話とは……?」
もうずっと先程から、何を話されるのかと緊張している。お兄様も、兄様もいない場所でわざわざ話をする意味。二人きりで話す意味。それを考えると、私に関する何か重大なことを伝えられるのではないかと考えてしまう。
「アメリは、アリアナが……お母様が亡くなった日、夕方に伯爵邸を出たんだね?」
「は……い。侍女長と共に墓地から帰って、すぐに……」
返答を聞いたお父様が、静かに息を吐き出した。落胆というよりは、覚悟を決めたようなため息だった。
「……その日の伯爵令嬢のことは、聞いてる?」
「っ……」
その日、の……伯爵令嬢。その日の、お嬢様の、こと。つまり。
「いえ……いいえ。なにか、あったんですか」
目を、そらせない。逸らしたら、俯いてしまう。俯いたら、もう。お父様の空色の瞳をじっと見つめたまま、膝の上でスカートを握りしめた。
「……その日の昼過ぎ、伯爵令嬢が自室の窓から飛び降りたそうだ」
息を呑む。握りしめる手に、力が入った。……やはり、私は何も出来なかった。お嬢様の死を……防げなかったのだ。一瞬で前時間軸のあの日の夕方の光景が脳裏に浮かぶ。お嬢様の死。伯爵の脅し。夕陽の差し込む執務室。大好きなお嬢様までも喪ってしまった悲しみと苦しみ。一方的に告げられたお嬢様の死に対する猜疑心と拒絶の気持ち。心の奥で、あの時の私が泣き叫ぶ。
──これ以上、聞きたくない……!!
その気持ちが表情に出ていたのだろうか。お父様の眉が下がった。……それを見て、張り詰めていた感情が僅かに解ける。お父様は今、私の心情を慮って話をして下さっている。その上で、私と二人きりで話そうとしてくれたのだ。……今、お父様はお嬢様の死を私にきちんと伝えようとしてくれている。一方的に言い放つのではなく、私が受け入れられるように、伝えてくれている。
「……取り乱してしまって、ごめんなさい。続きを、教えてください。お父様」
心を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返した。お嬢様の死を受け止める覚悟を決めてから、お父様を見上げた。見開かれた空色が、確認するように細まった。
「……本当に、いいんだね?」
「はい」
前時間軸のあの時よりは、ずっと良い状況だ。伯爵にお嬢様の死を言い放たれたあの時と違って、今はお父様が私に伝えてくれている。
私の目をじっと見つめて確認すると、お父様は言葉を続けた。
「……そうか……伯爵令嬢は、自室から飛び降りて——」
──大丈夫。……大丈夫よ、アメリアンナ。今度こそお嬢様の死をきちんと受け入れて、誠意を持って天国で幸せに暮らせるようにお祈りするの。それが私に出来る、唯一のお嬢様への罪滅ぼしなんだから……
手のひらに爪が食い込むほどに強く拳を握りしめて、お父様の言葉を待った。よく通る落ち着いた声が、とうとうその単語を口にする。
「……現在、意識が戻らないまま寝たきりの状態だそうだ」
……
……
「……え……?」
ねた、きり。意識が、戻っていない。意識は戻っていないけれど、でも。つまり。それって。
「……お嬢様は……生きてらっしゃる、んですか……?」
呆然とつぶやく。肯定して欲しいとか、否定されるのが怖いとか、そんな感情を抱くよりも先に、言葉がこぼれおちていた。お父様が、気遣うように優しく答える。
「……少なくとも、現段階では。命を落としたとは聞いていないよ」
「っ、あ……」
飛び降りた先にシーツの山があって衝撃が吸収されたみたいだ、とのお父様の言葉に、あの日、アマルダさんに言ったことを思い出した。
『お嬢様のお部屋の外の近くに大量のシーツを置いて、人をその近くに回らせてください』
……アマルダさんは、私のあのお願いを聞いてくれたのだ。そして、その指示は成し遂げられた。お嬢様の命は繋がった。お嬢様はまだ、生きている。あの伯爵邸での、大切な記憶の中心にいた人は、まだ、一人、残っている。
「……よかった……っ」
額を両手で覆って、大きく息を吐き出した。よかった、本当に、よかった。私は、あの悲劇を、防ぐことが出来たのだ。
……分かっている。何の解決にもなっていないことは、分かっている。辛うじて生きてはいるけれど、お嬢様はまだ寝たきりだ。このままだと、遅かれ早かれ衰弱しきって亡くなってしまうだろう。けれど今は、今だけは。お嬢様が生きてらっしゃることにただひたすら安堵していたかった。
「……っ……お父様」
安堵のため息を吐いたあと、私はお父様を見上げて言った。
「私、アリアドネ様に会いに行きたいです」
改めて懇願するように真剣に空色の瞳を見つめると、その目を逸らさないまま、お父様は私に語り掛けた。
「もちろんだよ。……できるだけ早く、会いに行こうね」
私が二ヶ月前の誕生日でお願いした“わがまま”は、一つ。
『伯爵邸に、家族で訪れたい』
あの時は、アマルダさんに挨拶したいとか、お嬢様のお墓に花を供えたいとか、お母さんのお墓を移動させる前にもう一度あのお墓に足を運びたいとか、そういう理由があったけれど。今は、お嬢様のご存命を確認したい。
「……お願いします」
……そのためにも、陛下への謁見でヴィザーテの娘として相応しい行動を心がけなければ。お父様に感謝を述べながら、心の中でそう決意した。




