四十五話 突然の出会い
10歳の誕生日から、二ヶ月が経った。
「──このようにして、帝国の魔法技術は本格的に世界に知れ渡ることとなったのです。……本日は、ここまでに致しましょう。三日後の次の授業で、本日の内容をまとめて提出してくださいね」
魔法書を閉じて課題を言い渡した、細縁眼鏡をかけた初老の夫人に頷いて頭を下げる。
「わかりました。先生、本日もありがとうございました」
「お嬢様は飲み込みがとてもお早いので、こちらとしても授業が楽しいですわ。ありがとうございます」
白く丸い顔でにこりと微笑んだ彼女は、一月半ほど前から私の帝国史と礼儀作法の先生をしてくださっている、ストリア夫人だ。授業中はともかく、普段はとても穏やかで優しい人だ。お父様によると、かつては皇宮でも働いていた、すごい方なのだとか。
……シル兄様が魔塔で働き始めた四月の半ば、お父様が私の家庭教師の先生方を選んでくださった。授業の内容は、魔術学院の入学試験の科目と、令嬢として身につけるべき礼儀作法や知識教養が中心。一人の先生では教えきれないため、ストリア夫人の他にも魔法史や帝国地理、外国語の先生など数人の先生がいる。どなたも一流の学者兼教育者で、中には前時間軸で私が名前を聞いたことのある人も入っていた。……その勢揃いっぷりにお父様の気合を感じて最初は本当に驚いたが、今は気にならないほど、勉強に追われている。とても楽しかった。
「では、また明日。礼儀作法の授業でお会いしましょう」
「はい。明日もよろしくお願いします」
屋敷の玄関で夫人を見送り、心地よい初夏の風に微笑む。……魔塔は、帝国北東部の、比較的内陸の部分にある。帝国東部の中でも北部に近く、内陸で少雨なのでそこまで蒸し暑くもなく、夏もあまり気温は上がらない。暑さ嫌いの私にとっては最高の気候だった。
「授業はもう終わったのか?」
「ひゃっ……シル兄様?もうお帰りになったんですか?」
後ろから声をかけられて、思わず飛び上がる。今朝魔塔に出勤したはずの、シル兄様だった。魔力の気配が全くしなかったから気が付かなかったわ……。振り返ると、シル兄様はかすかに笑った。
「午後からは休みなんだ。……久しぶりに、街に降りないか?」
「あ……」
四月から働き始めた兄様と、勉強が始まった私。お互いに環境の変化に忙しくて、ここ一ヶ月ほどは一緒に街に降りられていない。久々のお誘いに、微笑んで頷いた。
「はい。ぜひ」
◇◇◇
初夏の街は、夏への準備が既に始まっている。冷たい飲み物や食べ物が売られ始めた表通りを散策しながら、兄様に近況を尋ねる。
「魔塔でのお仕事は、どうですか?」
「そうだな……研究職だし、学院の頃とこれと言って変わりは無いかな。でも、内容は高度だし、帝国の魔法技術の最先端の研究だから、やりがいはある。職場の人間も、変わってはいるけど良い人たちだし」
どこか楽しげに答えると、シル兄様も問い返した。
「アメリは、勉強はどうだ?楽しい?」
「とても楽しいです。先生方も優しい方々ですし、内容も分かりやすくて。最近は特に、帝国史が面白くって……」
いつも通り面白かった今日の授業を思い出して、笑って答える。シル兄様はそれに頷くと、そろそろどこか店に入ろうか、とおっしゃった。
「あっ……それなら、図書館に行っても良いですか?今日の授業で、先生からおすすめの歴史書を紹介されたんです」
面白そうだったから、読んでみたい。表通りから歩いて数分のところだから、距離的にもちょうど良いはずだ。そう伝えると、シル兄様は快諾してくださった。
図書館に着くと、平日の昼過ぎだからか、人は少なかった。一ヶ月と少し後に帝国の建国祭があるそうなので、それも影響しているのだろう。
「俺は、魔法書を選んでくるよ。この辺の机で読んでるから、何かあったら呼んでくれ」
「分かりました」
頷いて、歴史書の並んでいる本棚に向かう。年季の入った書物も多いその場所は、日の当たらない奥まった場所にあった。
目当ての本を探して、本棚を見渡す。……私の目線より下には、それらしきものは無かった。だとすると……
「あぁ……」
予想通り、背丈より高い位置にその本を見つけ、思わず小さくため息をつく。近くに踏み台は見つからない。背伸びをして届くだろうか。ぐっと踵を上げて、腕を伸ばした。……指先が背表紙に触れるが、本棚から取り出すことは難しそうだ。
──踏み台を探してこよう。
諦めて踵を床に下ろし、振り返ろうとした時だった。
「っ……」
後ろにいた人物にぶつかりそうになり、息を呑む。思わず上げそうになった声を堪えた。
その人物は、私とぶつかりそうになったことに気が付き、さっとしゃがみ込んだ。
「……すまない。怪我は?」
「な、無いです……」
小声の質問に、小声で返す。背が高い人だったが、声の高さや肩幅の華奢さから、女性だと分かった。彼女は、私が無事なことを確認すると、手にした本を差し出した。私が取ろうとしていた本だった。
「これが取りたかったんだろう?」
「え……」
……本を取ろうと奮闘していた私に見かねて、代わりに取ってくれたのだと気が付く。先程ぶつかりそうになったのも、その為だろう。
「は……はい。ありがとうございます」
小さくお礼を言って頭を下げる。向かい合った女性は口元で薄く微笑むと、どういたしまして、と返した。
……ふと、声も姿勢も立ち姿も、とても芯の通った綺麗な人だ、と思った。フードを被っているから顔は見えないけれど……と、そこまで考えたときだった。館内の風魔法の空調のせいか、女性のフードが軽く揺れた。一瞬だったが、美しい顔立ちがあらわになる。けれどそれよりも、覗いた瞳の色に、私は息を呑んだ。今度の驚きは、ぶつかりそうになった時の比ではなかった。
「……なにか?」
「……っ……あっ…あの、」
挙動不審な私の様子に首を傾げていた女性だったが、やがて理解したのだろう。細く長い指を唇に当てて、囁く。健康的な赤い唇が、小さく弧を描いた。
「静かに、出来るか?」
太陽の色の瞳が再度覗く。……息を飲み込んで、無理やりにでも気を落ち着かせた。この場合、どちらで対処するべきなのだろうか。とにかく、この方は私が最大限礼儀を尽くして対応するべき方なのは確かだ。
再び深々と頭を下げると、その人は吐息だけで笑って、立ち上がった。
「また会おう」
「……はい」
その方は、くるりと振り返って立ち去られる。途中でシル兄様とすれ違ったようだった。
「……ベッ…」
「じゃあな、シル」
気安い様子で兄様の肩をぽんと軽く叩き、通り過ぎると、その方は図書館を出て行ってしまった。数秒その方を振り返って見送っていたシル兄様だったが、我に返って私に駆け寄る。
「……遅かったから心配したぞ」
「本が、高いところにあって……」
その言葉を聞いた兄様は、私の手の中にある本を見つけると、大体のことを察したらしかった。
「……借りて帰るか?」
「……はい」
カウンターに本を持っていって、貸し出しの手続きをして図書館を出る。館内静粛のマナーを守らなくてよくなると、私はすぐに兄様に詰め寄った。
「シル兄様……!あ、あのお方って!」
「わっ……?!ちょ、ちょっと待て、アメリ」
思わず兄様の袖口を引っ張ってしまったが、なだめられて手を離す。それでも私の視線が弱まらないことを認めると、兄様は一瞬周りを見てから、答える。
「お前の想像通りだと思うぞ。……皇女殿下だ」
──やっぱり……!!
皇族のみに現れる、金の瞳。太陽の光に透けたら美しい橙色に輝くであろう、赤い髪。皇女殿下の特徴だ。
……ベレニーチェ・インペラトーレ・スペランツァ皇女殿下。齢18歳の、シル兄様のご友人。帝国で二番目に尊い女性。皇太子殿下の姉君。この帝国の皇女殿下。……それほどの方と、先ほど、私は会話をしてしまったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
第一章 家族編も、折り返し地点に入ってまいりました。そこで、当初の予定では前回のお話で一区切りとして週二回更新をやめ、今回のお話から週一回更新にするつもりだったのですが、お話のストックがなんとか持ちそうなため、第一章完結までは週二回更新のまま投稿を続けようと思います。
長々と書きましたが、つまり、第一章完結までは週二回更新が続くということです。
それでは皆さま、暑い日々が続いておりますが、どうか熱中症などなさいませんよう、ご自愛ください。来週もまた立ち寄っていただければ幸いです。




