四十一話 母の刺繍
扉が開かれて数日ぶりに会ったその女性に、挨拶をする。
「グレタさん、こんにちは」
「こんにちは。再び我が館にお越しいただき光栄ですわ、お嬢様。……そして、シルヴィオ坊っちゃま。学院ご卒業、おめでとうございます。四月からの魔塔でのご勤務も、どうぞお励みくださいませ」
「成人済みの人間に坊っちゃまはやめてくれよ、グレタ……祝辞はありがたく受け取っておくけど」
「あら、わたくしにとっては、坊っちゃまはずっと坊っちゃまでしてよ」
グレタさんのシル兄様へのからかいに、くすくすと笑ってしまう。グレタさんよりも背は高いのに、彼女のからかいに困って視線を泳がせているシル兄様の様子が、新鮮だった。気の置けない関係のようだ。
……シル兄様と最初に魔法の訓練をした日から、数日が経った。時間が流れるのは早いもので、巻き戻りに気がついてからもう二週間以上が経っている。もうすぐ四月だ。
……未だに、前の時間軸とは全く違う現状に現実味が湧かず、朝起きた時に少し混乱するのだけれど。部屋の内装や、魔法書の本棚、貝殻の髪留め、白うさぎのぬいぐるみを見ることで、気持ちは落ち着いている。……大丈夫、私がいるのは伯爵邸ではなく魔塔なのだと。
「アメリアンナ。グレタ。早速で悪いけど、俺はジュストと少し話してくるよ」
シル兄様は、グレタさんの隣に立っていたジュストさんを見やると、私たちにそう伝えた。視界の端のジュストさんの肩が揺れる。
「まあ。うちの息子でよろしければ是非どうぞ」
「分かりました。では、私はグレタさんとお茶してますね」
朗らかに答える私たちと対照的に、ジュストさんはわずかに青ざめた顔で恐る恐るシル兄様に尋ねる。
「……シ、シルヴィオ、さん……?俺、何かやらかしたっすか?」
「……俺は普通に、久々に会ったから近況報告でもしようかと思っていたんだが。なにかやらかした自覚があるのか?」
「いえ!全く、これっぽっちも、ありません!」
訝しんで瞳を眇めた兄様に、ジュストさんがびくりと震えて答えた。その反応の大きさに、こちらまで思わず飛び上がってしまう。グレタさんが額に手を当てて首を振り、シル兄様が笑い出す。
「っふ、く、ははっ……」
「シルヴィオさん……?」
「悪かったって。早く行こうぜ」
「からかったんっすね?!」
「だって、お前の反応面白いんだよ」
ぽんぽんと会話を弾ませながら、悪戯っ子のように笑うシル兄様。口調も心なしか街で会話を弾ませる普通の青年のようだ。……初めてみる姿だった。まだまだシル兄様は底が知れないなと息を呑んでいると、兄様が振り向いて仰った。
「それじゃあ、アメリアンナ。しばらくグレタと待っててくれ。……グレタ。アメリアンナを頼む」
「はい」
「お任せくださいませ」
シル兄様とジュストさんがジャダ邸の屋敷の階段を登っていくのを見送っていると、グレタさんに話しかけられた。
「それではお嬢様。お茶に致しましょうか」
「はいっ!」
◇◇◇
「坊っちゃまとは、いかがですか?打ち解けているように見えましたわ」
「あ……はい。仲良く、できていると思います。シル兄様は真っ直ぐな方なので、話していてとても楽で……」
「よかったですわ」
グレタさんが紅茶を注いだティーカップを私の目の前に置く。そして自身も私と机を挟んだ椅子に座る。一つ一つの動きに無駄がなく、綺麗だった。感心していると、彼女は目元にしわを寄せて柔らかく微笑んだ。
「……お嬢様。何か、わたくしに聞きたいことなどはありませんか?」
「聞きたいことですか?」
「ええ。わたくしに答えられることなら、可能な限り答えますわ」
明るい緑の瞳に微笑まれる。突然質問があるかと聞かれて戸惑ったまま、その視線を受けた。聞きたいことなんて……突然思いつかない。
「えっと……特にありません」
「あら……確かに、突然言われても思いつきませんわね。また今度聞きますから、教えてくださいませね」
「はい」
聞きたいこと……考えておこう。視線を落として心に留めておくと、私たちがいる客室の扉が叩かれた。年若い女性の声が、扉越しに聞こえる。
「入りなさい」
グレタさんの言葉に呼応するように、扉が開かれて、メイドと思わしき人が入ってくる。白い布に包まれた小さな四角形の箱を手にした少女は、一礼してグレタさんにそれを渡すと部屋を出ていってしまった。グレタさんは、箱を包む布を取ると、直方体の箱をそっとティーテーブルの空いているところに置く。
「……お嬢様。これを、受け取っていただけますか」
「私が、ですか?」
「ええ。これはお嬢様のものですから」
穏やかなほほえみのまま促されて、頷いて木製の装飾が施された箱を手にする。彼女の目が、箱を開けるようにと言っている気がした。特に仕掛けもなく開くもののようで、簡単に開けることが出来た。……中に入っているものを広げて、私は思わず息を呑んだ。
……滑らかな白い生地に施された、繊細かつ華やかな刺繍。ラベンダーの花の刺繍。どこかの紋章だろうか。それが、柔らかな白いハンカチーフに施されていた。
「……とても、素晴らしい意匠ですね。それに、これほどに繊細なデザインのものを、ひとつの崩れも無く縫い上げているなんて……これは、グレタさんが刺繍されたんですか?」
「まさか。わたくしにはこれほどの腕前はありませんわ」
「ではどなたが……」
こんなにも美しい刺繍、誰でもできるものではない。一体誰が……
「アリアナ様です」
「……えっ」
グレタさんの口から発されたお母さんの名前に、目を見開く。もう一度ハンカチに目を落とすと、白と薄紫の見事な刺繍が目に飛び込んでくる。確認するようにグレタさんを見上げた。
「10年前、奥様がわたくしに預けられたものでございます。お嬢様に渡すべきだと思い、持ってまいりました」
「どうして、私に渡すべきだと……」
グレタさんがにこりと微笑んだ。
「……アリアナ様がハンカチを贈りたいお相手と言えば、ご家族の方以外にありえないのですわ」
皆さま、おはようございます。
投稿が遅れてしまい申し訳ございません!
少々現実世界がバタついておりまして、投稿するのを完全に忘れていました……
次回からは再び朝七時投稿に戻ると思いますので、ぜひまたお立ち寄りください!




