三十八話 満月の夜
——帝国建国時の初代皇帝に授けられたこの“精霊の祝福”により、皇族は代々金の瞳を持って産まれることとなった。金の瞳は皇帝の子にしか現れず、皇位を継承していない皇子・皇女の子に金の瞳が現れることはない——
そこまで読んで、本から視線を上げた。ぐっと伸びをして窓を見ると、もうすっかり外は暗くなっていた。一階で夕食をとって部屋に戻ってから、かなりの時間が経ったのかもしれない。買い足す代わりにシル兄様に借りた帝国の歴史書に再び視線を落とす。……もう今日はここまででいいかな。そう考えて、椅子を立った。
肩にかけていたショールを再びかけ直して、今朝頂いたベッド上のぬいぐるみを抱き上げる。やっぱり、何回見ても可愛らしい。ぎゅっと胸に抱いて、窓際へ向かった。
「……っ」
窓を開けると、白いレースカーテンが春風にあおられてふわりと揺れる。まだ少し肌寒い風を心地よく感じながら、窓下の中庭を見下ろした。……明日はここで、シル兄様に魔法を教えていただく。休まなくていいのか尋ねたら、今日一日で十分休んだと言われてしまった。
『……それに、俺も訓練しないといけないことは沢山あるからな。研究にも体力が必要だし』
動いていないと不安なのだとおっしゃっていた。なんだかどこかで聞いたような言葉を思い出して、くすりと笑ってしまう。……そう。私の親友も、昔……正確には未来で、そんなことを言っていた。己の能力を高めるのに、何の疑問も苦痛も感じない人。新しいことを習得するためなら、どんな努力も惜しまない人。
「ルカ……今どうしてるのかな……」
窓のそばの籐椅子に座って、満月を見上げた。
もし、時間逆行の魔法陣に魔力を注ぐことが、遡る前の時間、いわば前時間軸での記憶保持の条件だとしたら。彼も記憶があるのだろう。けれど逆に、もしこの記憶を持っているのが特例で、私だけだとしたら。彼は前時間軸の記憶を持っていない、まだ11歳の少年のはずだ。
「……あれ……」
──ルカが家から逃げたのって、いつだったのかしら。
彼はあまり昔のことを語らなかったから、よく分からない。……前時間軸では本当にお世話になったから、何か恩返しがしたいのに。例えば、当主継承争いで命を狙われるルカを、何とか助けられたら。ヴィザーテの娘としては無理でも、アメリアンナとして、少しでも助けられたら。そう思っていたのに。
「……いつ起こるか分からなかったら、何もしようがないわ……」
……どうしよう。頭を抱えて、いつ頃のはずか計算する。
……ルカはこの夏で12歳になる。だから、魔術学院の受験時期は今年の初夏。当主が倒れたのがその受験時期だから、当主存命の今は、少なくともまだ継承争いは起こっていないはず。……他の判断材料は?
「確か……特待制度……学園受験についてで、何か言っていたような……」
ルカはフラエルム王立学園最初の平民特待生だった。高度な学力、高い受験代を払える財力、そして貴族ばかりが通う学園でやっていけるだけの礼儀正しさ。これらが必要な特待制度の40年の歴史のうちで、彼は初めての特待生だった。
『受験代も、冒険者として稼いだんだ。僕、本当にほぼ無一文で家を出たからお金も無かったし……冒険者としてやっていくしかなくて』
……もっと、言っていたはず。確か、学園の受験について、もっと……
『年齢や金銭的には去年から受験できたけど、受験対策の勉強が出来ていなくて……だから今年、受験したんだ』
……そう。たしか、彼は15歳で既にフラエルムに居た。そして、受験代分のお金を既に稼いでいた。となると、冒険者としては少なくとも一年以上働いたはず。あとは……確か、ミリアさんが何か言っていた。ルカは……そう。ルカはマランギルドで最年少で二級冒険者になった人だと。最年少……何歳のときだったのかしら……
散々頭を捻って考えたけれど、言われた覚えもなかったのでこれ以上は分からなかった。少なくとも、ルカが家を出たのは12歳から14歳の間のはず。まだ、時間はある。
散々頭を回転させたおかげで、すっかり眠くなってしまった。柔らかなルームシューズで窓際まで歩いて窓を閉め、ショールを籐椅子にかけてからベッドに座る。水差しのお水を一口飲んで、ぬいぐるみを抱きしめたまま横になった。
……ルカは今、ちゃんと寝れているのだろうか。彼にとって、生家は安心できる場所だったのだろうか。彼にとって家族とは……
──……やめておきましょう。勝手にこんなことを考えるのは。
ふわふわと漂い始めた眠気に抗わずに、目を閉じた。ぬいぐるみを、抱きしめ直す。明日が来るのを楽しみにしながら、眠りに落ちる直前、頭の片隅で、彼も安心して眠れているといいな、と思った。




