三十五話 ヴィザーテという一族
──シルヴィオ兄様……と、呼んでもいいですか?
途端に静かになった部屋で、同じ空色の瞳をじっと見つめ合う。そらしてはいけないと、思った。シルヴィオ兄様は、静かに息を飲み込むと、吐息をこぼすように呟いた。
「……シルで……いい」
「え?」
今度ははっきりと、告げられる。
「シルヴィオじゃなくて、シルでいい」
揺れた青があまりに真っ直ぐで、困惑してしまう。“シルヴィオじゃなくて、シルでいい”。……つまり……
「……シル、兄様?」
「ああ」
薄く微笑んで深く頷かれる。どこか嬉しそうだ。それを見てしまった私は、とうとう耐えきれなくなって、俯いてしまった。嬉しかったし、少し恥ずかしかった。バルドお兄様のときとは違って、会ったばかりの相手なのだ。それなのにこんなにも良くしてくれるのが、わけが分からなくてむずがゆい。俯いてむずむずする唇を引き結ぶ。
「……アメリアンナは、他にはないか」
「え……」
「質問」
そういえば、このやりとりは質問から始まったのだった。……シル兄様について聞こうと思ったけれど、少し気恥ずかしくて、先程浮かんだ疑問を口にした。
「……シル兄様……は、皇女殿下と仲が良いのですよね」
「……ああ、まあ……うん」
シル兄様にとって予想外の方向から会話が始まったようで、多少戸惑いながら、返事が返ってきた。
「……私、これまでフラエルムで育ったので、帝国の貴族関係について全く知識がないんです。先程の会話で気になったことがあるのですが……」
「うん」
……こんな初歩的で常識的な質問、呆れられるだろうか。いや、でも、分からないことをそのままにしておく方が恥ずかしいことだ。意を決して、シル兄様を見上げた。
「……ヴィザーテ家って、帝国内での地位はどのくらいなのですか?皇女殿下と気軽にお話ができるということは……高位貴族くらいですか?」
……シル兄様は、数秒、垂れ気味の瞳をきょとんと見開いて、それから合点がいったように頷いた。
「ああ、そういうことか。……ちょっと待ってくれ……よし」
シル兄様は、話すべき内容をまとめていたのか、しばらく口元に手をやって目を伏せて考えていた。やがて再び頷いて、話し始める。
「ヴィザーテ家が、貴族の一員であることは、知っているな?」
「はい」
シル兄様は、ひとつ頷いた。
「ヴィザーテ家は、確かに貴族ではあるが、厳密に言うと通常の貴族ではない。“特殊貴族”というんだけどな。爵位名となる“インカント”は、うちが特殊貴族である証だ」
「特殊、貴族……それは、その……大丈夫なのですか?」
“特殊”貴族なんて、他の貴族からの反感を買うのではないだろうか。そこは、大丈夫なのか。そんな私の疑問を察知したようで、シル兄様はかすかに笑った。
「……確かに、特殊貴族なんて、普通反感を買うよな。でも、もともとうちは結構特異な地位だったから、この地位がちょうどいいんだよ。……ここで、問題の俺たちの貴族内での地位だな」
質問の答えが返ってくるのか、と身構えた。けれど、返ってきたのは答えではなく問題だった。
「アメリアンナ。お前は、自分が地位の高い相手に対するカーテシーを行うべき女性が、帝国内にどれくらいいると思う?」
「……そう、ですね……」
まずは皇后陛下と皇女殿下。それから、公爵家、侯爵家…ざっと考えて、25人ほどだろうか。否、でも、ヴィザーテ家は魔塔主の家系であることを考慮して…
「20人弱、ですか?」
「二人だ」
「ああ、ふたり……ふたり?!」
思わずはしたなくも驚きの声を上げてしまった。二人だなんて、予想外すぎる。二人となると、皇后陛下と皇女殿下のみか?まさか、ヴィザーテ家は公爵家や侯爵家よりも地位が上なの?
「……ああでも、数年後には三人になるな」
「三人……」
「皇太子殿下がご結婚なさるから、皇太子妃殿下もその相手に加わってくる」
あとその相手が増えるとしたら……と続いた。
「父上が再こ……いや、それは有り得ないか……新たに皇女殿下が誕生なさるか、兄上や俺がヴィザーテ姓のまま結婚するかだな」
……シル兄様にとって、お父様が再婚なさるのは、絶対に有り得ないことらしい。それを少し嬉しく思いながら、自分の地位について、改めて考える。
もしもヴィザーテ家が皇族の次に地位の高い一族だとしたら、私は上から何位目の人間だろうか。……皇帝陛下、皇后陛下、皇女殿下、皇太子殿下。そして、お父様、お兄様、兄様。……八位目か。
「もう気付いているかもしれないが、ヴィザーテ家は皇族の次に帝国内で貴い立場だとされている。……自分で自分の家についてこう言うの、恥ずかしいな……」
本当に恥ずかしかったらしく、少し咳払いをしてから、シル兄様は続けた。
「ヴィザーテ家の先祖……初代魔塔主は、初代皇帝の友人だった。この帝国は、初代皇帝と初代魔塔主が共に建国したとされている。……だから、200年ほど前までは、ヴィザーテ家は貴族でもなくスペランツァ皇族と同じ、“建国の一族”や“第二の皇族”と言われていたんだがな……」
“第二の皇族”。そんなふうに呼ばれていたら、結末は目に見えている。
「次第にヴィザーテ家は力をつけていって、帝国内での勢力は、やがて皇族よりも強くなってしまった。そんな一族を危惧する人間は当然現れてくるし、皇族だってヴィザーテ家を警戒するに決まっている。だから、200年前の魔塔主は、“建国の一族”から“皇族の友人である特殊貴族”へ、ヴィザーテ家の地位を落としたんだ。余計な争いを招かないために」
公爵家や侯爵家だと、帝国中の魔術師をまとめる一族として示しがつかなくなるからな、と兄様はおっしゃった。
「……これで、理解出来たか?」
「……はい。ヴィザーテ家は、今も“皇族の友人”として皇族に次ぐ立場にいる……ということ、ですよね?」
「……そうだよ」
偉いな、と頭にシル兄様の手が乗った。……撫でられている。目をぱちりと見開いて兄様を見上げると、シル兄様も自分の行動に驚いたように目を見開いていた。目が合って、シル兄様はぎこちなく私の頭を撫で始める。しばらく沈黙が続いたが、扉が叩かれる音がして私たちは飛び上がった。シル兄様の手が離されて、二人して声を揃えて返事をしてしまう。顔を見合せていると、扉が開いた。




