三十三話 二番目のお兄様
振り向いたその人は、表情を明るくしてお兄様に話しかけた。お兄様も、気さくな様子で会話を返す。
「兄上、お久しぶりです。元気そうでよかった」
「シルも元気そうでよかったよ。帝都からの道中、大変だっただろう」
「いえ、特に大きな問題もなく帰って来れました。……途中、父上から聞いた知らせが衝撃的だったけど……」
その人……シルヴィオ様は、視線をすっとお兄様から私へと移して、首を傾げた。黒い耳飾りが、首の動きと一緒に揺れる。青い瞳に真っ直ぐ射抜かれて、息を呑んだ。
「……その子が、アメリアンナ?」
「ああ。……アメリアンナ」
お兄様に促されて、震える手を叱咤してカーテシーをする。……シルヴィオ様の目は、これまでに見たことがないほど、真っ直ぐな目だった。それが少し、怖い。
「アメリアンナです。初めまして……」
……どう呼べばいいだろうか。最初から兄と……お兄様と、呼んでいいのだろうか。悩んでいると、シルヴィオ様が答えた。
「シルヴィオだ。……これから、よろしく。アメリアンナ」
右手を差し出された。握手だろうか。緊張から来る震えを抑えようと深く息を吸って、手を出した。成人まで八年もある私の手はまだ小さくて、シルヴィオ様の骨ばった手の大きさがより強調される。
「……よろしくお願いします」
手を握ったままシルヴィオ様を見上げると、真っ直ぐな視線が少しだけ優しくなった。手元に視線を落として、ぽつりと呟かれる。
「……ちいさいな……」
思わず零れた一言、といったふうだった。問い返す間もなく手が離れる。そしてお兄様を見る。
「そういえば兄上。父上が、そろそろ夕食の準備が終わりそうだって言ってました」
「もうそんな時間か……二人とも、早く屋敷に入ろうか」
屋敷に入るまでの途中の道で、私はこっそりお兄様に話しかけた。
「……お兄様……あの、呼び方を変えてもいいですか?」
「いいよ。……君が好きなように呼んでいいと言っただろう?」
「ありがとうございます……」
“お兄様”だけだと、どちらに話しかけているのか分かりにくくなってしまう。お兄様……バルドお兄様が許可してくれてよかった。
夕食は少し緊張はしたけれど、穏やかに終わった。相変わらずお父様の料理は美味しかったし、シルヴィオ様が帰って来られたからか、少し豪華だった気がする。あまりの美味しさに味わうのに夢中になってしまって、あまり会話に入れなかったのが少し残念だ。
会話は、ずっと続いていたわけでは無かった。内容は主にシルヴィオ様の魔術学院でのことや屋敷への帰りで泥に車輪が取られていた馬車の話などだ。……話の内容から察すると、シルヴィオ様は皇女殿下と同学年だったらしい。仲も良かったらしく、気軽に会話を交わしていたようだ。
……改めて疑問に思うのだけれど、ヴィザーテ家って、貴族の爵位ではどの位に位置するのかしら。“インカント”という爵位名は、帝国のどの爵位にも当てはまらない。けれど貴族だと言うし……友人同士だとはいえ皇女殿下と気軽に会話ができるなんて、相当地位は高いはずだ。
それと、あと一つ。
「……そうだ。父上はもうご存知かもしれませんが……俺、四月から魔塔の魔術師になります」
シルヴィオ様は、魔塔の採用試験に合格したらしく、四月から魔塔魔術師として魔塔で働くらしい。……すごいな……学院を卒業したばかりの18歳で、帝国の魔術研究の最高峰の場所で働くなんて。魔術師として、相当のエリートなはずだ。私、こんなにすごい人の妹なのね……
「……アメリアンナ。洗い物は僕たちでやるから、シルヴィオと話しておいで」
「えっ……」
食事が終わって食器を運びながらお父様に着いていこうとすると、振り返ったお父様に微笑んで言われた。お父様は器用に私の食器を手に持つと、シルヴィオ様に目を向ける。私もそれに釣られて視線を動かした。すると、あちらもバルドお兄様に促されていたようで視線が合った。私と同じ青い瞳と、目が合う。
「あ……」
慌てて俯いて視線を逸らす。話すって言ったって、何を話せばいいのか分からない。ちらりとお父様を見上げたけれど、“大丈夫”というように微笑んで洗い場へ行かれてしまった。バルドお兄様も、お父様と一緒に洗い物をしに行かれた。食堂に残されたのは、シルヴィオ様と私だけ。
「……」
「……」
会ったばかりの人と二人きりなんて、気まずいにも程がある。しかも全くの他人ならともかく、血の繋がった実のお兄様なのだから、更に。それに、お兄様と言ってもたぶん……。お父様やバルドお兄様は大丈夫だと仰ったけれど、相手が心の底で本心はどう思っているのかなんて、分からない。どうすれば……。扉のそばで立ったまま両手の指を絡めて思い悩んでいると、シルヴィオ様に声をかけられた。
「……立ってたら、疲れるだろ。座ってくれ」
「は、はい」
シルヴィオ様の隣の席に座るよう促された。食事の時は、お父様が座っていた席だ。おずおずと座ると、再び沈黙がおりた。今回は、と思って、相手を見上げて口を開く。何度もシルヴィオ様だけに頑張ってもらう訳には行かない。
「あ、の……魔術学院って、どんな場所なんですか」
「魔術学院?」
こくりと頷いて、将来魔術学院を受験したいのだと告げる。するとシルヴィオ様は、少し悩むように口元に手を当てた。
「……色んな人間が、いる場所だな。勉強が得意なやつ、魔法が得意なやつ、人付き合いが得意なやつ、剣術が得意なやつ、偏屈なやつ、朗らかなやつ……帝都の魔術学院は、高位貴族や皇族も通ってるから人脈も出来るし……魔法はもちろん、三年生からは選択すれば他の望む授業も受けられるし。行って損はないな」
魔法や一般教養は必修授業だけど、他にも自分の望む授業は受けられる、とシルヴィオ様はおっしゃった。ちなみにシルヴィオ様はその授業を利用して、魔術式学と歴史学も取ったらしい。……この方、ほんとうに多才なのね。
「あとは、魔術学院は魔術科と騎士科に分かれていて……」
「あっ……たしか、バルドお兄様は騎士科だったのですよね。シルヴィオ様は魔術科なのですか?」
シルヴィオ様はぴくりと眉を動かして、数秒して頷いた。
「……そうだな。兄上は騎士科だったから魔法騎士、俺は魔術科だったから魔術師だ」
「なるほど……」
騎士科を卒業される方は魔法騎士になられるのか。そういう違いがあるのね。だったら私は、やっぱり魔術科かもしれない。
一人で納得していると、シルヴィオ様が、なあ、と尋ねた。
「……俺からも、聞いていいか?」
「はい」
「……兄上は“お兄様”なのに、どうして俺は様付けなんだ?」
「……えっ」
理解するのに、少々時間がかかった。思わず目を見開いて、固まってしまう。シルヴィオ様は、やはり真っ直ぐ私を見つめている。……お、お兄様と、呼んだ方がいいのだろうか。
「えっと……」
たぶん、この時の私は“信じられない”という感情が顔に表れていたのだと思う。シルヴィオ様は吐息をこぼすように微かに笑って、そして薄く微笑んだ。少し憂いを帯びた笑みだった。夕食前と同じように真っ直ぐ見つめられて、思わず背筋が伸びる。アメリアンナ、と名前を呼ばれる。
「……俺は、妹との接し方が分からない。学院の後輩は沢山いても、妹は……弟妹は、お前だけだから。兄として、上手く振る舞えないかもしれない。でも、絶対に良い兄になるから……俺のことも、兄と呼んで欲しい」
──あ……この、目。
「……シルヴィオ様は……私にお兄様と呼ばれて、嫌ではないのですか」
「妹に兄と呼ばれて、どうして嫌がるんだ?」
俯いて恐る恐る尋ねると、当然のことのように怪訝そうに返される。それが嬉しいと同時に、少し怖くなる。後ろめたさも感じてしまった。……だって……
「私たち、は……」
……言いかけて、辞める。こんなこと、私から言われたって困るだけだろう。心の奥に引っかかっている感情を、見えないように隠そうとした。けれど。
「……ああ。そういう」
シルヴィオ様はなにかに納得すると、一度呼吸をしたようだった。そして、今日出会ってから一番柔らかな声で語り始める。
「……アメリアンナ。確かに、俺は……兄上と俺は、お前と実母が違う。でも、アリアナ様は、俺たちの母上だ。お前は確かに、俺たちの実の妹だよ」
……どう、して。どうして、分かったのだろう。……シルヴィオ様は見事に、私の悩みを言い当ててしまった。異母妹の私が、兄と呼んでもいいのかという悩みを。
……シルヴィオ様は、すごい人だと思う。魔法や勉学の才能や、相手の気持ちを察してしまう頭の回転の速さと目端の利き方はもちろん、何よりも常に相手に向き合おうとしている。今だって、私と目をそらそうとしない。ずっと、真っ直ぐ私を見つめている。……誠実で、芯のある人なのだろうということが、分かった。
「……だから……」
「……シルヴィオ……お兄様」
言ってから、“お兄様”は少し呼びづらいなと気がつく。見開かれた同じ空色の瞳から目をそらさないように気をつけながら、再び呼ぶ。
「シルヴィオ兄様……と、呼んでもいいですか」




