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元偽物令嬢は、みんなで幸せになりたい  作者: 花咲 抹茶
第一章 家族編
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三十一話 或る商人と青年

 その商人は、困っていた。昨晩の雨でぬかるんだ山道に、馬車の車輪が見事に嵌ってしまったのだ。生憎と、商隊の中には馬車を押すことが出来るほど力のあるものもいなければ、魔法で馬車を救出することが出来るほどの腕前の者も居ない。この後に商談は控えていないが、もたもたしていると日が暮れてしまう。次の街に着く前に夜が来るのはまずい。どうしたものか……と、皆で頭を悩ませる。


「いっそのこと、みんなで押しちゃいますか?」

「服が汚れてしまうが……それしかないか」


 商人は見た目が命。汚れた格好の商人なんて、信用されまい。商隊員全員の服が泥まみれという事態は極力避けたかったが……仕方がない。商隊の長である彼は、声を張り上げた。


「よし!お前たち、皆で協力して馬車を……」


 商人が商隊に告げている最中のことであった。突然風が巻き起こって、馬車を持ち上げる。小道の脇にずれていた馬車が、そのまま音を立てずに泥濘のない乾いた道へ戻されていく。呆気にとられてその様子を見ていた商隊だったが、商人はすぐにその現象の理由に思い当たった。


 魔法だ。風の魔法で、馬車を救出し、中身の商品が傷付くことの無いように優しく移動させたのだ。魔法に関して素人同然の彼でも驚くほど、繊細な魔法だった。そうとう優秀な魔法使いに違いない。あるいは、魔術師かもしれない。とにかく、見つけ出して謝礼をせねば、と商人が顔を上げた瞬間、後ろからやや低く穏やかで聞き取りやすい声が聞こえた。


「商人さん。大変だったな」


 若い青年の声のようだ。商人が振り向くと、声の主はローブのフードを脱いだ。男性の中では小柄な商人が見上げるほどには、背の高い青年だった。後ろで一つに括られた髪の色は、月光を集めたかのような銀色。やや垂れ気味の瞳の色は、抜けるような青色だ。眉目秀麗なその青年は、商人の返事を待って首を傾げているようだった。


「あ、ああ……ええ。貴方が、馬車を救ってくださったので?」


 青年は、少し困ったように眉を寄せた。青い瞳が、馬車を見やる。


「まあ、いちおうそうだな……中の物が壊れていないか、確認しておいてくれないか。俺の魔法が荒かったせいで商品が壊れてしまっていたら申し訳ない」

「いえ!馬車を救ってくださっただけで充分ありがたいのです!商品が壊れることなど、その恩に比べれば瑣末事。よろしければ、私めに恩返しをさせて頂けませんか?」


 数十年の商人の直感が告げている。この青年は、繋がりを作っておいて損は無いと。口調こそやや乱暴そうだが、身につけているものは全て上質なものだ。特に、耳元に揺れる黒い宝石のイヤリング。繊細にカットされたそれは、並大抵の上流階級の人間ですら手が届かない代物のはずだ。


「恩返し、ね……」

「ええ!」


 訝しむように細められた瞳に冷や汗をかきながら、商人は深く頷いた。……しまった。考えが見え透いていたか?

 しかし、青年は一つ目を閉じて息をつくと、商人の誘いに乗った。


「……まあ、そのつもりで声をかけたしな……じゃあ商人さん、街に着いたら馬車の中の商品を見せてくれないか」

「もちろんですとも!助けてくださったご恩もありますし、割引価格でお売り致します」

「いや、定価で買い取るよ。……まずは商品を見てからだけどな」


 商人の申し出に首を振ると、青年は後ろに待たせていた馬車を振り向いた。突然の馬車の登場に、商人も商隊も、目を見張った。さっきまでそこに馬車はなかったはずだというのに、青年が振り向いた瞬間、靄が晴れたように馬車が現れたのだ。想定外の魔法に、商人は生唾を飲み込む。


「た、隊長……?」


 隣の見習い商隊員が、不安げに商人を呼ぶ。商人はそれにつぶやくように答えた。


「……俺たちは幸運だぞ。あの方ほどの魔法の使い手は中々お目にかかれない」


 商人は魔法に関して素人同然である。だがしかし、物を見えないように覆い隠すという魔法は、相当高難度の魔法のはずだ。光や水の魔法を掛け合わせた魔法だと聞く。馬のいななきや呼吸音すら聞こえなかったのを鑑みると、防音の結界も張っていたのだろうか。

 商人の体が、ぶるりと震えた。寒さでも恐ろしさでもない。ただ純粋な、圧倒的実力者への憧憬。そして高揚。珍しい反物を初めて目にした少年の頃のような興奮が、心を震わせた。


「……お、待ちください、お客様!」


 思わずかけた声に、青年が振り向いた。高揚した心とは反対に、商人の口は聞くべきことを聞いていた。


「お客様、のお名前と…ご所望のお品など、事前におうかがいしたく……そうすれば、準備することが出来ますので……」


 青年は、僅かに目を見開いて答えた。


「……妹への、プレゼントを探したい。10歳くらいの女の子の好みそうなものを準備していてくれ」


 続けて名前を言おうとして、一瞬言い淀む。だがすぐに口を開いた。


「俺の名前は、シルヴィオだ」

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