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元偽物令嬢は、みんなで幸せになりたい  作者: 花咲 抹茶
第一章 家族編
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二十九話 父と兄と娘

 ……言った。言ってしまった。


 ぽかんとした顔をしているお二人……お、お父様と、お兄様に、頬がさらに熱くなるのを感じる。お父様もお兄様も、どちらも言い慣れていない単語で、声が上ずってしまった。恥ずかしさから、お二人の服を掴む手に力が入った。


 ……お母さんの日記帳を読んで、覚悟ができた。ううん。本当は昨日の夜から、沢山のことをしてもらって、与えてもらって、私の中に少しづつ覚悟と勇気が芽生えていた。新しく家族が出来る覚悟。自分の帰る場所をここだと定める覚悟。この人たちを信じる覚悟。この人たちと家族になる覚悟。お父様、お兄様と呼ぶ覚悟。……これまで私の家族はお母さんだけだと思っていたけれど……この人たちと家族になりたい、この優しい人たちの元に帰ってきたいと、思った。


 お二人の服の裾を掴んだまま俯いてしまった私は、左手に何かが降ってきた感覚で顔を上げた。そして、ぎょっとした。


 ……お父様が、声も出さずに泣いていた。嗚咽も、しゃくりあげもせずに。ただただ陶器のような白い肌に涙の筋だけが道を作る。晴れた日の陽光を反射する海面のように青い瞳から、透明な涙がはらはらと流れる様子は、とても綺麗だった。驚きと見蕩れていたのとで声を失っていた私の右手を、バルド……お兄様が握った。服を掴んでいた右手を解かれて、優しく包み込まれる。


「……勇気を出してくれて、ありがとう。アメリアンナ」


 青い瞳を濡らして微笑むその顔に、するすると緊張や恥じらいの気持ちも一緒に解けていくのが分かった。勇気を出して呼んでよかった。そう素直に思えた。こくりと頷いて、未だ涙を流しているお父様を見る。


「……あ、の……お父様…?」


 青い瞳と目が合うと、そこで初めてお父様は涙を拭った。一瞬両腕を広げようとして、思い直したのか私の左手を両手で包み込んで、その両手を額に押し当てる。


「…アメリ、アンナ……ありがとう……ありがとう……!」


 お兄様が、お父様の背中に手を添えた。お兄様の表情は、どこか泣きそうになっていて、そして、どこか嬉しそうだった。私は、どうすればいいのか分からなかった。お父様と呼んだだけで、こんなに感激されるなんて、考えてもなかったのだ。戸惑って視線を彷徨わせていると、ふと先程のお父様の動作が思い出された。……両手を広げようとしていた。あれは……


「……アメリアンナ……?」


 膝の上のものを片手で胸に抱えて、恐る恐る目の前の体に抱きつく。…予想が違っていたら、ものすごく恥ずかしい。でも、たぶん。


「さっき、その……お父様が……その」


 たぶん、さっきの動作は、私を抱きしめようとしていたのではないか。感極まって、両手を広げて、直前で思いなおしたのではないか。


「びっくりは、しますけど。嫌じゃないので……」


 ああもう。自分でも何を言いたいのか分からない。でもこうして、家族と抱擁を交わすのは、嫌じゃない。お母さんとだって、よくしていた。だから、お父様とするのも、嫌じゃない。私の言葉に、お父様の手が恐る恐る肩に回った。


「……アメリアンナ。ありがとう」


 頭を撫でられながら、お父様の言葉を聞く。


「僕たちと、家族になる覚悟をしてくれて……まだ怖くて不安だろうに、僕を父と認めてくれて、ありがとう……」


 震えた声を聞きながら、私は目を閉じて心の中でお母さんに語りかけた。


 ……お母さん。お父様とお兄様を信じてあげてって、言ってくれて、ありがとう。私、まだお二人のこと全然知らないし、ヴィザーテ家の娘としての振る舞いだって自信が無いけど、頑張るよ。ここに帰って来れるように。この人たちを信じたいの。この人たちの家族になりたいの。この人たちを、お父様、お兄様、って呼びたいの。ここを帰ってくる場所にしたいの。だから、お願い、見守っていて。


◇◇◇


 玄関前の広間での抱擁のあとは、食事の準備をして、食事を摂って、後片付けをした。もちろん、準備も後片付けも手伝った。……私は料理が出来ないから、食器を出したりだったけれど……


 後片付けを終えて椅子に座ったお父様に、あるものを抱えたまま近付いた。お兄様は、向かい側の椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。


「あの……お父様。渡したいものがあって……」


 近付いた私に気付いたお父様が、隣の椅子を引いて座るよう促してくれた。座ると床に足がつかなくなるのが少し怖かったけれど、頑張って座ってお父様にそれを渡す。お父様と、向かい側のお兄様が、首を傾げた。


「これは……?」

「お母さんの、日記帳です。二つあるうちの一つなんですけど……」

「アリアナの……」


 お父様の指先が、日記帳の表紙をそっと撫ぜる。見開いて細められた瞳に、切なさと愛おしさの色が灯った。日記帳を見下ろす視線があまりにも優しくて、見ているこちらが照れてくる。


「……これを、どうして僕に?」


 瞬きをしたお父様に目を合わせて問われた。お兄様も不思議そうにこちらを見ていた。


「お母さんのもう一つの日記帳に、これをお父様に渡すように書かれていたんです。……記憶を取り戻してからこの日記帳を使うようになったみたいで」

「アリアナが僕に……四桁の数字で開くからくりの日記帳みたいだけど……」


 一つ一つ試していくのも手か……?と呟きながらからくり部分に手を触れる。そんなお父様に、お母さんのヒントを告げる。


「答えは、お母さんの……『アリアナの人生で一番幸せな日』だそうです」

「いちばん……?……っ」


 息を呑んだお父様が、からくり部分の数字を変えていく。四桁の数字が揃った時、日記帳の鍵が開く音がした。


「開きました……!」

「父上、その数字って……」


 テーブル越しにお父様の手元を覗き込んでいたお兄様が、言いかけて止めた。お父様が頷く。


「うん。……僕たちが、結婚した日だ」


 ……お父様とお母さんの、結婚記念日……。からくりの数字を見る。0705。七月五日。七月五日、夏の日に、お二人は結婚したんだ。


 なぜか感動する気持ちが胸に湧いてきて、唇を噛んだ。七月五日が、お母さんがお父様と生きていくことを誓った日なんだ……黙り込んだ私に、お父様とお兄様が微笑んだ気配がした。


「……アメリアンナ。この日は、それだけじゃないんだよ」

「……結婚して二年経ったこの日、アリアナが僕たちに君がお腹にいることを教えてくれたんだ」


 お兄様とお父様が交互に告げた。私は思わず弾かれたように顔を上げてお二人を交互に見た。続きを聞きたかったけれど、お二人はそれきり言葉を続けない。お父様が、机の上に日記帳をそっと置いて、右手で私の頭を撫でた。


「……本当に、僕にとっても幸せな日だ」


 その時のことを思い出しているのかもしれない。ただひたすら、愛情いっぱいな、幸せそうな微笑みだった。切なさや悲しみなんて、一欠片も混じっていない。


 お父様の手が私の頭から離れて日記帳に戻る。私は、思わず自分の頭に手を伸ばした。……あんなに、幸せそうな顔でおっしゃるなんて。自分は産まれる前から愛されていたのかもしれないと、自惚れてしまいそうになる。とくとくと脈打つ鼓動を鎮めたくて、深呼吸を繰り返した。頬が熱くて、鼻の奥がツンとする。胸の奥に、じんわりと温かくてくすぐったい気持ちが広がっていた。口角が上がるのを必死で堪えた。


「……これは……」


 日記帳を開いたお父様が、息を呑んだ。

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