二十八話 “覚悟”
魔塔総合塔最上階にある、魔塔主の部屋の扉を叩く。バルドヴィーノは、父の返事を待ちながら、魔塔へ来る途中で会ったジュストの言葉を思い出して苦笑した。
『魔塔主様、物凄いスピードで仕事を終わらせていってるみたいっすよ。補佐の爺さんが目を回していました』
一刻も早く、屋敷に戻りたいのだろう。もしかしたら、朝に娘に頼まれたことで、なんとしてでも時間を捻出しようとしているのかもしれない。
室内から返事があって、バルドヴィーノは扉を開けた。
「父上、失礼します」
「うん。……何か、あったのかい?」
恐らくはバルドヴィーノと街に降りた娘を心配してかけた言葉だろう。こちらが驚くほどの速さで書類に目を通しサインをしていた父の様子に若干引きながら、首を振る。
「いえ。アメリアンナには何もありませんでした。……“奴”に乗っ取られていた女性が、魔塔に訪れて検査を終えたとのことでしたので、報告しておこうと」
「……なるほど。君の紹介状を携えていたんだそうだね。その報告は、僕も聞いたよ」
最後らしい書類にサインを終えて、父はバルドヴィーノを見上げた。父の隣に積み上げられた書類の山を見て、魔塔主の補佐官も大変だなと気が遠くなる。
「そうでしたか。“奴”の瘴気が全て消えていたということは……」
「……うん。あの子が、神聖力を使ったということだ」
ありえないとされている現象に、フェリシトとバルドヴィーノの間に沈黙が落ちた。
……アメリアンナが神聖力持ちなのは、フェリシトもバルドヴィーノも、知っている。母親であるアリアナがそうだったから。けれど、魔力と神聖力を併せ持っている人間は、神聖力が使えないはずだ。魔力は自然の精霊に愛された力。神聖力は神に近い高位精霊に愛された力。二つは似ているようで全く異なる。高位精霊は、自然に愛された者には力を貸さない。
「もう一度、神聖力に関する文献を読み込んでみるよ。それと、アメリアンナが神聖力を使った時の状況を、詳しく教えてくれ。……出来れば、その日の朝、起きてからの出来事全てを」
「……分かりました」
この帝国で最も神聖力の研究に力を入れている父の言葉に、バルドヴィーノは頷いた。長くなりそうだから、と父が紅茶を入れようとしてくれたが、断る。少しでも早く屋敷に帰りたいのは、父だけでは無い。バルドヴィーノとて早く帰りたい。紅茶を飲む時間すら惜しいのだ。
「……という具合です」
朝起きて食堂に行った時からカローラ・リルが目を覚ますまでの出来事を、可能な限り詳しく説明した。メモを取りながら聞いていたフェリシトは、滑らかな顎に手を当てて思案に耽る。
「……覚醒は……いったいいつ……」
呟きに、バルドヴィーノは息を呑んだ。……そうだ。神聖力は魔力と違い、覚醒無しに使うことは基本出来ない。
神聖力の覚醒は、命の危機を感じた時に発生する。アリアナの時も、そうだったのだ。アメリアンナも覚醒が起こっているはず。……だとしたら、いつ。
「……ありがとう、バルドヴィーノ。おかげで少し分かったかもしれない」
愕然としていたバルドヴィーノは、フェリシトの言葉に、かろうじて反応した。妹が、命の危機を感じたことがある。まだ幼い、あの子が。もしかして、“奴”に狙われたあの時だろうか。結界が間に合わないかもと、命の危機を感じた?だとしたら、まだ、いい。でももし、他の場所で、あの子が命の危機を感じたことがあったら……?
「…ド……ルド。……バルドヴィーノ」
衝撃に思考を支配されていたなか、父の鋭い声にバルドヴィーノは意識を取り戻した。怪訝そうに、心配そうに、息子を見つめる父に、自分が感情的になっていたことを理解する。力がこもっていた握りこぶしを、ゆっくりと解く。
「……すみません。少し、気が動転して」
「……今日の夕食は、お前の好きなものにしようか」
父の精一杯の気持ちに、笑みがこぼれた。……アメリアンナが、命の危機を感じたことがある。妹を脅かした相手に怒りを覚えたが、今怒っても仕方がない。これから、絶対にあの子にそんな思いをさせずに済むようにしなければ。
「……バルド。僕の仕事はもう終わったから、一緒に屋敷に帰ろう。途中で夕食の具材を買うのを手伝ってくれるかい?」
「……はい」
返事に微笑んで、フェリシトは立ち上がった。フェリシトが衣服掛けにかけてあったローブを身にまとい、二人は共に部屋を出た。空は夕日に染まりかけていた。
◇◇◇
夕食の食材を買い終えて屋敷の扉を魔力認証で開く。そういえば、早くアメリアンナの魔力を登録させてやらねばならない。明日、時間があるだろうか……登録自体はあまり時間がかからないが、あの子の体調が心配だ。
屋敷に入ると、玄関正面にある大階段の一番下の段の隅に座っているアメリアンナが目に入った。ぽつんと一人で座っている様子に、バルドヴィーノも父も、二人して慌てた。
「ア、アメリアンナ……!大丈夫かい?具合が悪くなったのかい?」
「水かなにか持ってこようか?玄関でこんな薄着で……寒くない?俺の上着を……」
慌てて駆け寄った父と兄の姿に、アメリアンナが目を見開く。目元がほんの少し赤くなっていた。
「あ、い、いえ、具合も悪くないですし、寒くも、ないです……ただ、その……お…おふたり、は……まだ、かなって……」
しどろもどろになってつっかえながら返ってきた答えに、今度は二人が目を見開く。まさか、二人が帰ってくるのを待っていたというのか。両の指先を絡めて俯いた少女の健気な姿に、二人の頬に微笑みが浮かんだ。
「……そうなんだね。ありがとう。今から夕食を作るから、少し待っててくれるかい?お腹が空いてるだろう?」
「玄関は冷えるから、食堂か部屋に行こうか」
「ま、待って」
立ち上がろうとした二人の服の裾を、小さな手が掴んだ。動きを止めた二人を見上げて、アメリアンナは何度も口を開いては閉じた。伝えたいことがあるけれど、緊張して声が出ない。そんな様子だった。
なかなか話し出せない娘を、妹を、いつまでも見守って待っている二人の様子に、少女は一度ぎゅっと強く目を瞑った。その頬が、赤く染まっていく。次に目を開いた時、青い瞳には迷いはなくなり覚悟だけが浮かんでいた。震える呼吸を飲み込んで、眉を下げ頬を染めたアメリアンナは二人を見つめた。
「……おかえりなさい。……お、お父様……お兄、様……」




