二十四話 ギャップ
意識が、ゆっくりと覚醒していく。お母さんの腕の中にいるような感覚がして、枕に頬を擦り寄せた。あと少し……もう少しだけ。目を閉じたまま深呼吸をすると、胸いっぱいにラベンダーの香りが広がる。
「……おかあさん……」
幸せな夢から覚めるように、ゆっくりまぶたを開くと、目の前には日記帳が置いてあった。一瞬混乱して、それから昨晩はお母さんの日記帳の表紙を眺めながら眠りに落ちたのだと理解する。
起き上がって周囲を確認すると、薄紫のカーテンの隙間から差し込む光は既に十分明るかった。ぼうっと明るい室内を眺めていると、不意に扉がノックされて飛び上がる。
「はっ、はい」
「アメリアンナ。起きてる?」
「……起きてます」
何一つ身支度が整っていない自分の現状に焦りながら、扉の向こうのバルドさんに答えた。幸いにも、バルドさんは室内に入ろうとされず、扉越しに会話を成立させた。
「朝食がもうすぐ出来上がるから、呼びに来たんだ」
「そう、なんですね……」
「焦らず、ゆっくりおいでね」
それからバルドさんの声はしなくなったので、ベッドから降りて昨日着ていたワンピースを身に付けた。既に昨晩、洗浄の魔法陣で洗濯済みだ。それから、洗面台で顔を洗い、ドレッサーの前に座って髪を整えた。旅立ちの時は顎ほどの長さだった金髪は、今では肩にやや届くほどに伸びている。子どもの頃の髪の伸びは早いものだ……と考えながら、姿見の前に立ってくるりと回り、頷いて部屋を出た。
「あ、早かったね」
「……えっ?バルドさん……?」
扉の外に、バルドさんが向かい側の壁に寄りかかって立っていた。どうやら、昨日説明してくれた肖像画を見ていたようだ。
「ま、待っていて、くれたんですか……?」
そんなことは露知らず、ゆっくりと支度をしてしまった。少しだけ申し訳ない気持ちを持ちながら眉を下げると、バルドさんは明るく笑ってくれた。
「うん。でも、思っていたより早かったから助かったかな」
おはよう、おはようございます、と挨拶を交わして、私たちは歩き始めた。朝食は、昨日と同じ一階の食堂でいただくらしい。住み込みではなくても、料理人は雇っているのだろう。階段で一階に降りると、微かにいい香りが香ってきた。
「いい香り……」
「……旅の途中でも思ったけど、君は本当に美味しいものが好きなんだね」
「く、食いしん坊ってことですか……?」
もっと自重すべきだろうか。そういえば、伯爵邸を出てから二の腕あたりが少しぷにぷにしてきたかもしれない……
「食いしん坊というよりは……食べる量はそんなに多くないのに、いつも美味しそうに食べるから、そうなんだなあって」
にこにことバルドさんは仰った。なんだか浮かれているようだ。楽しみなことがこれから起こると自覚しているかのような表情……
バルドさんの表情に疑問を抱いているうちに、食堂に到着した。机には、朝食に相応しく軽めの食事が用意されている。既に到着していたらしい魔塔主様は、ローブを脱いだ状態だった。腕まくりされた白いシャツから覗く両手首に、大量のブレスレットが発見され、思わず目を見開いて凝視してしまう。い、いくつ着けているのかしら……いち、にい、さん……装飾品にこだわるような方には見えなかったけれど……人は見かけによらないのだなと感じる。
――あら……?でもあれ、全部魔法道具……?
「おはよう、アメリアンナ」
「お……おはようございます」
張本人から挨拶をされ、挨拶を返す。魔塔主様はバルドさんにお礼を言うと、私たちに椅子に座るよう促した。同時に十人は使えそうな長机に、魔塔主様、バルドさんと私、で向かい合って座る。
食前の祈りを捧げて、スープをひとさじ頂く。寝起きのお腹を刺激しない優しい味に、目を閉じてうっとりとした。……これ、すっごく美味しいわ……昨日の夕食も思ったけれど、料理人の方の腕がいいのね。
サラダもいただいていると、何やら視線を感じたので目を開く。視線の方を向くと、魔塔主様とバルドさんがじっと私を見ていた。魔塔主様は微笑んでいる。なんだか表情が輝いていて、嬉しそうだった。バルドさんは、そんな私たちを眺めながら、楽しそうに食事を口に運んでいる。
「あ、あの……?」
……美味しいという気持ちを、表情に出しすぎていただろうか。おずおずと尋ねると、魔塔主様が首を振った。
「そんなことはないよ。……そんなに味わってもらえてよかった」
「よかったですね、父上」
バルドさんはなんだか、この状況を面白がっているようだ。これまでの旅では、結構紳士然とした人だと思っていたけれど、自宅ではこんなふうに家族をからかったりするのか。
「……この料理、美味しいかい?」
「美味しいです……これ、どなたが作られたんですか?」
どんな方が料理されたのだろうか。好奇心から尋ねると、魔塔主様は一瞬目を逸らして微笑んだ。
「……僕が、作ったんだ」
「……えっ」
一瞬情報が処理できず、反応が遅れる。……魔塔主様が、朝食を作ったの……?帝国の、魔術師の、頂点に立つお方自らが?しかもこんな朝早くに?……ヴィザーテ家の方々って、本当に、良い意味で貴族とは思えないわ……
「まと……その、いつも、作られているんですか?」
「時々だよ。バルドと交代だから、毎日ではないね」
バルドさんも料理が出来るの?!苦笑した魔塔主様からバルドさんへと視線を移す。バルドさんは口元に笑みを浮かべたまま、首を傾げた。
「バ、バルドさんもお料理が出来るって……どうして……」
「ああ……物心ついた時から、父上の料理で育っていたからね。父上を手伝いたくて、学院の長期休みの間に教わったんだ」
とても素敵な理由だ。お父様思いなのが分かる。感動すると同時に、私は内心焦っていた。
どうしよう。私、料理出来ないのだけど……!お父様やお兄様が料理出来るのに、娘は出来ないなんて、絶対におかしいわ……!……かくなる上は……
「あ、あの、魔塔主様」
「……うん?」
スカートを握りしめて、意を決して顔を上げた。
「もし、お時間があったら……今度、お料理を教えていただけませんか……?」
「っ……いいよ。絶対に時間を作ろう」
どこか寂しげだった表情が、一気に晴れやかになった。頷きながら、笑みを深くする。そして、とんでもないことを言い始めた。
「例え陛下への拝謁が決まってても、その時間を優先するよ」
「えっ?!いえ、その場合は拝謁を優先してください……!」
私の焦った言葉に、魔塔主様とバルドさんが同時に笑い出した。こうして見ると、お二人とも親子なのだなと分かる。笑顔がそっくりだ。
「……冗談だったんですか?」
「うん、ごめんね。でも、時間は必ず取るよ」
「……ありがとうございます」
やや口を尖らせた私に、魔塔主様は微笑んだ。




