二十二話 母の部屋
「バルド。屋敷に着いたら、あの子を……彼女の部屋に案内してあげてくれるかい?」
先に帰るよう言われた直後、アメリアンナには聞こえない音量で父は囁いた。それでいいのか、と目を見開いて問いかけると、父は、自身と愛する女性との間に産まれた娘に微笑みかけて呟いた。
「あの子だって、最低限の物しかない部屋よりも母親の部屋の方が安心できるだろう?」
◇◇◇
夕食を摂ってお皿やカトラリーを洗い終える。……ヴィザーテ家は貴族だって仰っていたけれど、バルドさんは良い意味で貴族子息とは思えない。食後に自分の食器を洗う貴族子息なんて、フラエルムには一人も居ないはずだ。
洗い物を終えると、バルドさんに二階へ案内された。正面玄関のホールのY字状の階段を昇って、足の短いカーペットの敷かれた廊下を歩く。両隣に部屋が続いている廊下の壁には、時々額縁が飾ってあった。飾ってあるものは、子供が描いた絵のようなものから、拙い魔法陣、肖像画、風景画まで、様々だった。しばらく歩くうちに、あるものを見つけて足が止まる。
「これ……」
四人家族が描かれた肖像画。一組の男女と二人の子ども。金髪碧眼の男性と金髪紫眼の女性。十歳くらいの茶髪碧眼の男の子と、六歳くらいの銀髪碧眼の男の子。
見入っていた私に、隣に立ったバルドさんが説明する。
「……12年前に描いてもらった、俺たちの肖像画だよ」
一人一人指差していく。優しげな表情をした男性は、魔塔主様。十歳くらいの男の子は、バルドさん。六歳くらいの男の子は、私のもう一人のお兄様。そして…
「この人が、母上……アリアナさん」
私の記憶よりも若いお母さん。十二年前と言ったら、お母さんは二十歳を少し超えたくらいのはずだ。記憶のお母さんよりも、十八歳の私に似て見える。
「お母さん……」
若い頃のお母さん。少し恥ずかしそうに、でもとても幸せそうに微笑んでいる。紫と青の上品なドレスがよく似合っていた。……お母さんの、着飾った姿なんて初めて見た。とても綺麗だ。
「……実は、今日君が寝る部屋がまだ準備できていないんだ」
肖像画のお母さんから目を離せずにいる私に、少し寂しそうに微笑んだバルドさんは言った。我に返った私が振り向くと、ごめんね、と告げる。
「一室だけ、君が寝れる場所があるんだけど、今日はそこで眠ってもらってもいいかな?」
少しだけ申し訳なさそうな、哀しそうな、やるせなさそうな声だった。それほど、酷い場所なのだろうか。いや、『寝れる場所』とバルドさんは言っていた。寝れるなら、どんな場所でも問題は無い。
「寝れるなら、どこでも大丈夫です」
「そうか……ありがとう」
そう言って、バルドさんは肖像画の左隣の扉を開いた。どうやら、その部屋が今日私が眠る部屋らしい。手招きされて、バルドさんに駆け寄る。
「この部屋だよ」
「……わあっ……」
白と薄紫色で統一された、柔らかな雰囲気の部屋。部屋の中は思っていたよりも広く、貴族令嬢の部屋のようだ。その部屋の可憐な雰囲気に、妖精の住処に迷い込んでしまったような感覚に陥った。
「こんなに素敵なお部屋……私が使ってしまってもいいんですか?」
「うん。君が使ってくれ」
そうは言われても、しり込みしてしまう。……もしかして、位の高い人が使う客室なのではないだろうか。部屋に入れずにいる私に気が付くと、バルドさんは衝撃的なことを述べた。
「この部屋、母上の部屋だったんだよ」
「母上、って……」
お母さんの部屋ということだろうか。ここが……?
母の部屋だと言われて、ようやく部屋の中に足を踏み入れる。恐る恐る部屋の中を確認すると、刺繍箱や日記帳など、母のものらしき物が見つかった。
「……この部屋を使う権利は、君にしかないんだよ。使ってくれ」
「……は、い……」
母の、部屋。母の趣味を表すものが見つかったことで、実感が湧いてくる。この部屋で、お母さんは昔暮らしていた。この部屋で、寝て、起きて、刺繍をしていた。懐かしいラベンダーの香りが鼻をくすぐる。お母さんの好んだ香りだ。
「あのっ、バルドさん。ここの物って、勝手に触っても大丈夫ですか……?」
お母さんの温もりを、暮らしを感じながら眠りにつきたい。日記帳や刺繍道具を眺めたい。……駄目だろうか。
不安が顔に出てしまっていた。
「大丈夫だよ。……母上も、君に見られて怒るような人ではなかっただろう?」
「はい」
それどころか、『もしお母さんが居なくなって寂しくなっちゃった時は、お母さんの日記帳を読んでもいいからね』と言われたこともある。冗談だったのかもしれないが……
「……お母さん……」
抱きしめて笑いかけてくれたあの温もりを思い出して、鼻の奥がつんとする。慌ててかぶりを振って、唇を噛んだ。流石に一日に二回も人前で泣くのは良くない。
「アメリアンナ?」
「わ、わたし、お風呂に入りたいですっ」
不審がったバルドさんに名前を呼ばれて、飛び上がった私は思わず口走ってしまった。驚いてきょとんとした顔のバルドさんに、恥ずかしくなって頬が熱くなる。よりにもよって、誤魔化す手段がそれしかないなんて!私ったら、もっといい誤魔化しはなかったの?!
「そ、そうなんだね。じゃあ、浴室に案内するね」
「はい……」
部屋にトランクを置いて、廊下を歩くバルドさんに着いていく。階段の近くまで戻ると、突然バルドさんの肩が揺れ始めた。
「バルドさん……?」
彼は口元に手の甲を押し付けて震えていた。体格差があり、顔をそむけられているため、表情はよく見えない。
「…ふ、ふはっ…はははっ……」
ついに堪えきれなくなったのか、声を上げて笑い始める。私は、笑われていると分かった途端頬をふくらませた。
「……バルドさん……!」
「ごめ、ごめん……!猫みたいに飛び上がって……その上真っ赤になって黙り込んでたものだから、可愛くってつい」
別の意味で私は赤くなった。……天然、なのだろうか。そうだとしたら、私の一番目のお兄様は罪作りな人だ。
すっかり気の抜けてしまった私は、バルドさんが案内してくれた浴室で、その広さに再び呆然としたのだった。




