第十六話 下船
目が覚めると、すでに夕方だった。小窓から夕日が差し込んでいる。そんなに魔力反動が酷かったのかと驚いていると、桶を抱えたバルドさんが部屋に入ってきた。
「あ、おはよう、アメリアンナ。起きたんだね」
「おはようございます、バルドさん。あの……ごめんなさい。私、こんな時間まで寝てしまって……」
カローラさんは自分の船室に戻っているようで、部屋で寝ていたのは私だけだった。笑って首を振ったバルドさんは、桶を机に置いてから、果物の乗ったお皿を手にする。そのままベッドの隣まで来ると、椅子に座ってお皿を差し出した。
「果物だけでも食べる?お腹、空いてない?」
「……あ、ありがとうございます。いただきます」
食いしん坊なのが気付かれているようで恥ずかしい。でも、お腹が空いているのは事実なので、有難くいただくことにした。お皿の果物を半分ほど食べたところで、バルドさんが口を開いた。
「あと少しで港に到着するよ。着いたらすぐに下船して魔塔に向かうけど、体調とか準備とか……大丈夫かな?」
「……大丈夫です。体調も良くなりましたし、準備は朝のうちに済ませました」
「偉いね」
頭を撫でられて、気が付く。
「ま、待ってください。髪が。髪の準備が出来てません……!」
慌てて手ぐしで髪を整え始めると、バルドさんが笑いだした。……むう。いくら髪が短い子どもだからと言って、乙女が身嗜みに気を使うのを笑うのは失礼というものだ。
「……バルドさん。そんなにおかしいですか」
「ご、ごめんごめん。しっかりした子なのに、こういう所で慌てるのが意外すぎて……」
アメリアンナは女の子だもんね、ごめんね、と謝られ、膨らませた頬と尖らせた唇を元に戻した。
「……カローラさんは、どうでしたか。体調は大丈夫でしょうか……」
「……うん。彼女も、昼頃に部屋に戻って行ったよ。体調は大丈夫そうだった。……帝国での滞在中に魔塔に来てもらうように言ってあるから、また会えるんじゃないかな」
「そうなんですね。……病院じゃなくて魔塔なんですか?」
なぜ病院ではなく魔塔なのだろう。純粋に疑問を浮かべて問い返す。そんな私の疑問に、バルドさんは少し考えて答えた。
「魔塔は、魔術研究の最先端だ。魔術の研究の関係で、あの魔物の研究もしているんだよ。病院よりもあの魔物の影響に関して詳しいと思う。だから、病院よりも魔塔に来てもらう方が良いんだ」
……なるほど。カローラさんの体調の検査と、魔物についての資料を集めるためか。あの魔物は、沢山いるのだろうか。それとも、あの一体だけなのか。
「……あの、そういえば……」
バルドさんに問いかけようとした時、船が微かに揺れた。小窓から外を覗いたバルドさんが、振り向いて私に言った。
「港に着いたみたいだね。アメリアンナ、立てる?」
頷いて立ち上がる。小走りで洗面室まで行って、さっと顔を洗って髪を整えた。多分一分もかかっていないはずだ。そして、女児用のワンピースの上からローブを羽織った。トランクを手にしようとして、バルドさんが抱えているのに気が付く。
「俺が持つよ」
「……ありがとうございます」
そうやって部屋を出ると、船の降り場に向かう途中で、カローラさんを見かけた。遠くから頭を下げると、彼女も気が付いたようで小さく手を振ってくれた。
「バルドさん。カローラさんが居ました」
「……本当だ。元気そうだね」
「はい。良かったです」
そうやって会話をしていると、客数の少ない船なので、すぐに船を降りることが出来た。手を繋いだまま帝国の港に降り立って、まず、その人の多さに目眩がした。下手をするとフラエルム王都よりも行き交う人の人数は多いかもしれない。
「ひ、ひとが……たくさん」
「アメリアンナ。はぐれないようにね」
バルドさんに手を引かれて、人混みの間を抜けていく。どうやら、あれほど人が多かったのは船の乗下船場近くだけだったようで、数分も歩けば混み具合も軽くなっていった。それでも、人の多さは相変わらずだった。
「帝国って、こんなに人が沢山居るんですね…」
「そうだね。特にここは貿易都市にある大きな港だから、他の場所よりも人は多いかもしれない」
しばらく歩いていくと、賑やかなお店通りから、閑静な住宅街へと景色が変わっていった。やがてバルドさんは、一際大きな家……もはや屋敷と言っていいだろう。そこの前に立つと、門の左右に立つ衛兵に声をかけた。
「すまないが、カッソ殿はいらっしゃるだろうか」
「訪問者の予約は本日は入っていません。まずはお名前を伺いま……」
「なっ……?!この馬鹿!……し、新人が失礼いたしました。バルドヴィーノ・インカント・ヴィザーテ様でしょうか。我が主は屋敷におります」
首を傾げかけた衛兵のわき腹を、もう一人の衛兵が慌てて肘で小突いた。冷や汗を浮かべながら頭を下げた衛兵に、バルドさんは笑いかけた。普段の気さくな微笑みではなく、上に立つ者としての笑みだった。
「いいや。突然の訪問だから、彼の対応は正しいよ。責めることは無い。褒めてやってくれ。……そうか、カッソ殿はいらっしゃるか。屋敷に失礼してもいいかな?」
「もちろんであります!」
……すごい。顔を見せるだけで屋敷の敷地内に入ってしまった。恐らく、この家は下級貴族か裕福な家の屋敷だ。訪問の約束も取り付けずに入ることなんて、普通は不可能なはず。それをこうも易々と……魔塔主の息子という立場の重みを、実感した気がした。
バルドさんはそのまま門をくぐって屋敷の敷地内に入ると、玄関の扉の横にある鐘の紐を引っ張った。取り次ぎに出たパーラーメイドが、バルドさんの顔を見て息を呑む。慌てて扉を開けて、屋敷内に私たちを招き入れた。……これは、流石に……
「あ、あの、バルドさん……」
「ん?」
「……いえ、なんでもないです」
……魔塔主の息子の立場は、私の予想以上に高貴な身分だったようだ。驚愕のあまり思わず口を閉じてしまった私に、バルドさんは首を傾げていた。




