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「異世界?それも想定内だ。33年間、あらゆる可能性を生きてきた男」  作者: JX
第一章 勝利は準備を愛する

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第9話 新しい繋がり

討伐から一夜明け、日常が動き出します。


 街に戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。


 ギルドの扉を押すと、酒精と埃の匂いが鼻を突く。奥のテーブルではもう何人かが盃を傾けていた。


 カイドの脇腹には、道中の宿で巻いた包帯がまだ残っている。


「戻ったか」


 受付の女性が顔を上げ、それから二人の姿を見て眉を寄せた。


「……その、怪我は」


「かすり傷だ」カイドが即答した。


「かすり傷で包帯は巻きません」


「うるせえな」


***


 報告は、ガルドナーの執務室で行われた。


「ヴォルカニス、討伐しました」


 ジェクスがそう告げると、ガルドナーは机に肘をついたまま、しばらく黙り込んだ。


「……本当か」


「山頂の煙が細くなってるはずです。麓の村にも確認してもらえれば」


 ガルドナーは椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。それから、カイドの包帯に目をやる。


「怪我はそれだけか」


「……眷属にやられただけだ。本体には、手も出せてねえよ」


 カイドは吐き捨てるように言った。


 ガルドナーは何も言わなかった。ただ、しばらくカイドを見つめてから、視線をジェクスへ移した。


「――お前が仕留めたのか」


「はい」


「どうやって」


 その問いに、ジェクスは一瞬だけ答えを選んだ。


「首の付け根です。前に教えてもらった急所を」


 嘘ではない。ただ、そこに至るまでの過程は省いた。


 ガルドナーは、それ以上は聞かなかった。だがその目には、加入試験の日と同じ――何かを探るような色が、静かに残っていた。


***


 その夜、ギルドの酒場は妙に賑やかだった。


「A級指定を、B級二人で獲ってきやがった」


 誰かがそう言い出したのが始まりだった。


 気づけばテーブルには人が集まり、勝手に祝杯が始まっていた。


「飲め飲め! 今日は俺の奢りだ!」


「お前、先月も同じこと言って踏み倒しただろうが」


 笑い声が上がる。


 ジェクスは隅の席で、木のジョッキを持て余していた。この世界の酒は、地球のそれより甘く、そして強い。


 ――こういう場は、昔から苦手だった。


 三十年間、輪の中心にいたことなど一度もない。誰かが盛り上がっている横で、頭の中で別のことを考えている。それがいつもの立ち位置だった。


 だが。


「おい、ジェクス」


 カイドが、隣の椅子を引いて座った。手には、水の入った杯。


「飲まないのか」


「傷に響く。……お前こそ、全然減ってねえじゃねえか」


「弱いんだ、酒は」


「化け物のくせに」


 カイドは鼻を鳴らして、それから少し黙った。


 周りの喧騒が、二人の間だけ薄くなったような気がした。


「……あのさ」


「なんだ」


「助かった。あの時」


 ジェクスは、ジョッキから顔を上げた。


「別に。役割分担しただけだ」


「そういうんじゃなくてな」


 カイドは杯の水面を見つめたまま、言葉を探していた。


「……俺が下がった時、お前、何も言わなかっただろ。情けねえとも、下がってろとも」


「言う必要がなかった」


「――だから、助かったって言ってんだよ」


 それだけ言うと、カイドは杯の水を一息に飲み干して、立ち上がった。


「もう寝る。傷が痛い」


「ああ」


 その背中を見送りながら、ジェクスは小さく息を吐いた。


 ――素直じゃないな。


 だが、悪くない。


 三十三年間、頭の中で無数の「もしも」を想定してきた。だが「異世界で、こういう相手に、こういう風に礼を言われる」という項目は、どこにもなかった。


 ジェクスは、ぬるくなった酒に口をつけた。


 やはり、甘かった。


***


 翌朝、ギルドの掲示板の前で、ジェクスは一枚の依頼書を見つけた。


「落とし物捜索、報酬・銅貨十枚」


 周囲の依頼が魔物討伐や護衛ばかりの中で、その一枚だけが妙に地味だった。誰も剥がしていかないのも当然だろう。


「――お前、それ受けるのか」


 通りかかったカイドが、呆れた顔をした。


「銅貨十枚だぞ。子供の小遣いか」


「体を休める日も必要だろう」


「……昨日あれだけ暴れておいて、よく言うぜ」


 実際のところ、理由はもう少し単純だった。


 この街のことを、まだ何も知らない。どこに何があって、誰がどう暮らしているのか。三十三年分の想定は、地球の常識の上に積み上げたものだ。この世界の「当たり前」を知らなければ、その多くは机上の空論に終わる。


 ――歩き回る口実が、欲しかった。


***


 依頼主は、街外れに住む老婆だった。


「孫の形見でねえ。石を、落としちまって」


 聞けば、先日、市場からの帰り道で袋の底が破れたのだという。


「どんな石ですか」


「こう、手のひらに乗るくらいの。灰色で、つるつるした」


 その日、ジェクスは半日かけて街を歩いた。


 市場の裏道、荷馬車の轍が深く刻まれた坂、洗濯物が渡された路地。石畳の隙間を一つ一つ覗き込みながら、同時に街の構造を頭に叩き込んでいく。


 水路がどこを通っているか。人の流れが集まる時間帯。どの通りが夜になると暗くなるか。


 ――想定録、更新。


 石が見つかったのは、夕方だった。


 側溝の縁、泥に半ば埋もれるようにして、それはあった。


 拾い上げて、袖で拭う。


 ――妙に、滑らかだ。


 握った掌に、かすかな熱を感じた気がした。石が熱を持っているのか、それとも自分の錯覚か。判別がつかない。


 こぶし大よりやや小さい、灰色の石。特別な装飾も、彫刻もない。


 だが。


(――これは、ただの石じゃないな)


 根拠はなかった。想定録のどの項目にも、該当する記録はない。


 ただ、握っていると、指先がわずかに痺れるような感覚があった。


***


 石を届けると、老婆はしわだらけの手で何度も拝むように礼を言った。


 銅貨十枚を受け取り、ジェクスは家を出た。


 ――結局、あれが何だったのかは分からずじまいか。


 振り返ると、老婆はまだ戸口に立って、こちらに頭を下げていた。


 夕陽が、その背中を長く伸ばしていた。


***


 宿に戻る道すがら、ジェクスは荷袋の中身を確かめた。


 ヴォルカニスの牙が、一本。


 討伐の際、折れて落ちていたものを、なんとなく拾っておいたものだった。


「――売らねえのか、それ」


 宿の前で待っていたカイドが、袋を覗き込んで言った。


「A級魔物の牙だぞ。買い取りに出せば、しばらく遊んで暮らせる」


「……いや」


 ジェクスは、牙を掌の上で転がした。


 黒曜石のような光沢。指で弾くと、金属に近い硬い音が返ってくる。


 これほどの硬度と、あの熱への耐性。素材として、これが只者でないことは、素人目にも分かった。


 ――何かに、使えるかもしれない。


 具体的な考えがあったわけではない。ただ、手放すのが惜しかった。


「持っておく」


「物好きだな」


 カイドは肩をすくめた。


 その判断が、後に何を呼び込むことになるのか――この時のジェクスは、まだ知らない。


***


 翌朝。


 ギルドの掲示板の前に、人だかりができていた。


 昨日までは無かった一枚が、中央に大きく貼り出されている。


 紙の縁が、朱色に染められていた。


 ――緊急クエスト。


 人垣の隙間から、ジェクスはその文字を読み取った。


「盗難品捜索――国宝級魔石、至急奪還」


 ジェクスの足が、止まった。


お読みいただきありがとうございます。

今回はギルドでの報告と祝杯、そして落とし物の依頼という、少し落ち着いたエピソードでした。

素直になれないカイドの「助かった」の一言と、売らずに残しておいた牙。この二つが、後々効いてきます。

そして拾った、あの灰色の石。

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