第9話 新しい繋がり
討伐から一夜明け、日常が動き出します。
街に戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。
ギルドの扉を押すと、酒精と埃の匂いが鼻を突く。奥のテーブルではもう何人かが盃を傾けていた。
カイドの脇腹には、道中の宿で巻いた包帯がまだ残っている。
「戻ったか」
受付の女性が顔を上げ、それから二人の姿を見て眉を寄せた。
「……その、怪我は」
「かすり傷だ」カイドが即答した。
「かすり傷で包帯は巻きません」
「うるせえな」
***
報告は、ガルドナーの執務室で行われた。
「ヴォルカニス、討伐しました」
ジェクスがそう告げると、ガルドナーは机に肘をついたまま、しばらく黙り込んだ。
「……本当か」
「山頂の煙が細くなってるはずです。麓の村にも確認してもらえれば」
ガルドナーは椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。それから、カイドの包帯に目をやる。
「怪我はそれだけか」
「……眷属にやられただけだ。本体には、手も出せてねえよ」
カイドは吐き捨てるように言った。
ガルドナーは何も言わなかった。ただ、しばらくカイドを見つめてから、視線をジェクスへ移した。
「――お前が仕留めたのか」
「はい」
「どうやって」
その問いに、ジェクスは一瞬だけ答えを選んだ。
「首の付け根です。前に教えてもらった急所を」
嘘ではない。ただ、そこに至るまでの過程は省いた。
ガルドナーは、それ以上は聞かなかった。だがその目には、加入試験の日と同じ――何かを探るような色が、静かに残っていた。
***
その夜、ギルドの酒場は妙に賑やかだった。
「A級指定を、B級二人で獲ってきやがった」
誰かがそう言い出したのが始まりだった。
気づけばテーブルには人が集まり、勝手に祝杯が始まっていた。
「飲め飲め! 今日は俺の奢りだ!」
「お前、先月も同じこと言って踏み倒しただろうが」
笑い声が上がる。
ジェクスは隅の席で、木のジョッキを持て余していた。この世界の酒は、地球のそれより甘く、そして強い。
――こういう場は、昔から苦手だった。
三十年間、輪の中心にいたことなど一度もない。誰かが盛り上がっている横で、頭の中で別のことを考えている。それがいつもの立ち位置だった。
だが。
「おい、ジェクス」
カイドが、隣の椅子を引いて座った。手には、水の入った杯。
「飲まないのか」
「傷に響く。……お前こそ、全然減ってねえじゃねえか」
「弱いんだ、酒は」
「化け物のくせに」
カイドは鼻を鳴らして、それから少し黙った。
周りの喧騒が、二人の間だけ薄くなったような気がした。
「……あのさ」
「なんだ」
「助かった。あの時」
ジェクスは、ジョッキから顔を上げた。
「別に。役割分担しただけだ」
「そういうんじゃなくてな」
カイドは杯の水面を見つめたまま、言葉を探していた。
「……俺が下がった時、お前、何も言わなかっただろ。情けねえとも、下がってろとも」
「言う必要がなかった」
「――だから、助かったって言ってんだよ」
それだけ言うと、カイドは杯の水を一息に飲み干して、立ち上がった。
「もう寝る。傷が痛い」
「ああ」
その背中を見送りながら、ジェクスは小さく息を吐いた。
――素直じゃないな。
だが、悪くない。
三十三年間、頭の中で無数の「もしも」を想定してきた。だが「異世界で、こういう相手に、こういう風に礼を言われる」という項目は、どこにもなかった。
ジェクスは、ぬるくなった酒に口をつけた。
やはり、甘かった。
***
翌朝、ギルドの掲示板の前で、ジェクスは一枚の依頼書を見つけた。
「落とし物捜索、報酬・銅貨十枚」
周囲の依頼が魔物討伐や護衛ばかりの中で、その一枚だけが妙に地味だった。誰も剥がしていかないのも当然だろう。
「――お前、それ受けるのか」
通りかかったカイドが、呆れた顔をした。
「銅貨十枚だぞ。子供の小遣いか」
「体を休める日も必要だろう」
「……昨日あれだけ暴れておいて、よく言うぜ」
実際のところ、理由はもう少し単純だった。
この街のことを、まだ何も知らない。どこに何があって、誰がどう暮らしているのか。三十三年分の想定は、地球の常識の上に積み上げたものだ。この世界の「当たり前」を知らなければ、その多くは机上の空論に終わる。
――歩き回る口実が、欲しかった。
***
依頼主は、街外れに住む老婆だった。
「孫の形見でねえ。石を、落としちまって」
聞けば、先日、市場からの帰り道で袋の底が破れたのだという。
「どんな石ですか」
「こう、手のひらに乗るくらいの。灰色で、つるつるした」
その日、ジェクスは半日かけて街を歩いた。
市場の裏道、荷馬車の轍が深く刻まれた坂、洗濯物が渡された路地。石畳の隙間を一つ一つ覗き込みながら、同時に街の構造を頭に叩き込んでいく。
水路がどこを通っているか。人の流れが集まる時間帯。どの通りが夜になると暗くなるか。
――想定録、更新。
石が見つかったのは、夕方だった。
側溝の縁、泥に半ば埋もれるようにして、それはあった。
拾い上げて、袖で拭う。
――妙に、滑らかだ。
握った掌に、かすかな熱を感じた気がした。石が熱を持っているのか、それとも自分の錯覚か。判別がつかない。
こぶし大よりやや小さい、灰色の石。特別な装飾も、彫刻もない。
だが。
(――これは、ただの石じゃないな)
根拠はなかった。想定録のどの項目にも、該当する記録はない。
ただ、握っていると、指先がわずかに痺れるような感覚があった。
***
石を届けると、老婆はしわだらけの手で何度も拝むように礼を言った。
銅貨十枚を受け取り、ジェクスは家を出た。
――結局、あれが何だったのかは分からずじまいか。
振り返ると、老婆はまだ戸口に立って、こちらに頭を下げていた。
夕陽が、その背中を長く伸ばしていた。
***
宿に戻る道すがら、ジェクスは荷袋の中身を確かめた。
ヴォルカニスの牙が、一本。
討伐の際、折れて落ちていたものを、なんとなく拾っておいたものだった。
「――売らねえのか、それ」
宿の前で待っていたカイドが、袋を覗き込んで言った。
「A級魔物の牙だぞ。買い取りに出せば、しばらく遊んで暮らせる」
「……いや」
ジェクスは、牙を掌の上で転がした。
黒曜石のような光沢。指で弾くと、金属に近い硬い音が返ってくる。
これほどの硬度と、あの熱への耐性。素材として、これが只者でないことは、素人目にも分かった。
――何かに、使えるかもしれない。
具体的な考えがあったわけではない。ただ、手放すのが惜しかった。
「持っておく」
「物好きだな」
カイドは肩をすくめた。
その判断が、後に何を呼び込むことになるのか――この時のジェクスは、まだ知らない。
***
翌朝。
ギルドの掲示板の前に、人だかりができていた。
昨日までは無かった一枚が、中央に大きく貼り出されている。
紙の縁が、朱色に染められていた。
――緊急クエスト。
人垣の隙間から、ジェクスはその文字を読み取った。
「盗難品捜索――国宝級魔石、至急奪還」
ジェクスの足が、止まった。
お読みいただきありがとうございます。
今回はギルドでの報告と祝杯、そして落とし物の依頼という、少し落ち着いたエピソードでした。
素直になれないカイドの「助かった」の一言と、売らずに残しておいた牙。この二つが、後々効いてきます。
そして拾った、あの灰色の石。




