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「異世界?それも想定内だ。33年間、あらゆる可能性を生きてきた男」  作者: JX
第一章 勝利は準備を愛する

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第10話 緊急クエスト

朱色に縁取られた一枚が、掲示板の中央に貼り出されました。


 朱色に縁取られた紙の前に、人垣ができていた。


「盗難品捜索――国宝級魔石、至急奪還」


 ジェクスが人の隙間からその文字を読んでいると、後ろから声がかかった。


「読めたか」


 ガルドナーだった。


 いつもは壇上か執務室にいる男が、こうして受付の前に立っているだけで、場の空気が違っていた。


「昨日の夕方、加工職人の工房から消えた。……ドルガンという男の工房だ」


「加工職人?」


「王都から預かって、研磨を任されていた。国宝級の魔石でな。数日前に、この街に届いたばかりだった」


 ジェクスの脳裏に、灰色の滑らかな石が浮かんだ。


 側溝の泥から拾い上げた、あの感触。握った掌が、わずかに痺れるような。


 ――あれか。


「ドルガンは無事なんですか」


「殴られて気を失っていたが、命に別状はない。……だが、犯人を見ていない」


***


 ガルドナーは、掲示板から紙を剥がした。


「これは緊急クエストだ。等級に関わらず、手の空いている者は全員動く。……ジェクス、カイド。お前たちも来い」


「俺たちもか」


 カイドが目を見開いた。


「B級だぞ、俺たち」


「だから言ってるんだ。人手がいる」


 ガルドナーは、それだけ言って歩き出した。


 その背を追いながら、カイドが小声で言った。


「……オヤジが直々に出るなんて、何年ぶりだよ」


「オヤジ?」


「俺の育ての親だ。ガルドナーは」


 初耳だった。


「言ってなかったか」


「聞いてない」


「……まあ、そうだったな」


 カイドは、それ以上説明しなかった。


***


 捜索は、街を区画で割って進められた。


 冒険者たちが散っていく中、ガルドナーは迷わず一つの方角を指した。


「旧市街だ」


「根拠は」


 ジェクスが尋ねると、ガルドナーは短く答えた。


「消去法だ。街門は昨夜から封鎖している。持ち出せていないなら、街のどこかに隠してある。……人目につかず、広くて、誰も近づかない場所。この街には一箇所しかない」


***


 旧市街は、街の北の端にあった。


 通りに入った瞬間、空気が変わった。


 人がいない。


 石畳は割れ、隙間から雑草が腰の高さまで伸びている。両側に並ぶ建物は、どれも屋根が抜け落ち、窓枠だけが黒い穴のように残っていた。


 三十年前の大火で焼けたまま、放置されているのだという。


 瓦礫の山を踏み越えるたび、乾いた崩落音が響いた。それ以外に音はなく、自分たちの足音だけが、やけに大きく聞こえる。


 昼だというのに、日が入らない。


 崩れかけた建物が身を寄せ合うように立ち並び、通りを細く暗く覆っていた。


「……気味の悪い場所だな」


 カイドが、剣の柄に手をかけたまま呟いた。


***


 異変に気づいたのは、ジェクスだった。


「――止まってください」


 声を落として、二人を制する。


「どうした」


「足跡です」


 ジェクスは、崩れた壁の陰を指した。


 埃の積もった石畳に、複数の靴跡が残っている。


「……三人か、四人。方向は奥へ。それと」


 しゃがみ込み、指先で埃をなぞる。


「新しい。今朝か、昨夜のものです」


 ガルドナーが、静かに唸った。


「……お前、そんなことまで見るのか」


「痕跡は、嘘をつかないので」


***


 足跡を追って進むと、通りの先に開けた場所が見えてきた。


 かつて広場だったのだろう。中央に枯れた噴水の跡があり、その周りを崩れた建物が囲んでいる。


 そして――その広場の奥に、一つだけ、形を保った建物が立っていた。


 石造りの、高い尖塔。


 火に焼かれて黒ずんではいるが、崩れてはいない。上部には、色を失ったステンドグラスの枠が残っていた。


「……教会か」


「大火の前は、この辺りの中心だったらしい」


 ガルドナーが低く言った。


「今は誰も近寄らん。……隠すには、うってつけだな」


***


 広場に足を踏み入れた、その時だった。


「――ッ、伏せろ!」


 ガルドナーが叫んだ。


 ジェクスは反射的に身を沈めた。


 頭上を、何かが横切る。


 石畳に突き刺さったのは、細い投げナイフだった。


***


 崩れた建物の陰から、二人の男が姿を現した。


 どちらも黒い外套を羽織り、顔の下半分を布で覆っている。


 カイドが剣を抜き、正面の一人に斬りかかった。


「――っ!?」


 だが、その一撃は空を切った。


 男の動きが、妙だった。


 構えがない。重心の置き方も、足の運びも、どの流派にも当てはまらない。予備動作を読もうとしても、そこに「型」がなかった。


「なんだこいつ、動きが読めねえ!」


 カイドが叫ぶ。


 ジェクスも、同じことを感じていた。


 ――訓練された動きじゃない。


 ――実戦だけで身につけた動きだ。


 道場でも、騎士団でもない。生き延びるためだけに、独学で組み上げた体の使い方。


 ――俺と、似ている。


***


 その気づきが、答えになった。


 型がないということは、裏を返せば、無駄が多いということでもある。


 ジェクスは、男の動きを目で追い続けた。


 三合、四合。避けながら、ひたすら観察する。


 ――右足を出す前に、必ず左肩が落ちる。


 ――斬り上げの後、二拍分、腰が浮く。


 癖だ。


 誰にも矯正されなかった分、その癖は深く体に染み込んでいる。


「――そこだ」


 五合目。斬り上げの直後、浮いた腰へ。


 ジェクスは踏み込み、脇腹に掌底を叩き込んだ。


 男が、声もなく膝をついた。


***


 ガルドナーは、もう一人を片手で組み伏せていた。


「……幻獣魔法まで使うまでもねえな」


 縛り上げながら、ちらりとジェクスを見る。


「お前、今、何をした」


「癖を読みました」


「五合で、か」


 ガルドナーは、それ以上は聞かなかった。


 だがその目には、加入試験の日と同じ――いや、それより濃い色が浮かんでいた。


***


 三人は、教会の扉の前に立った。


 樫の分厚い扉。焼け焦げてはいるが、原型を留めている。


 カイドが、そっと手をかけた。


 鍵は、かかっていなかった。


「……開いてる」


「罠かもしれん。俺が先に入る」


 ガルドナーが低く言い、扉に手をかけた。


 軋んだ音を立てて、扉が開いていく。


 隙間から、冷たい空気が流れ出してきた。


 埃と、蝋の匂い。


 ――蝋?


 ジェクスは、眉を寄せた。


 誰も近づかないはずの廃教会に、蝋の匂いが残っている。


 つまり――つい最近まで、ここに火が灯っていたということだ。


「……中に、いますね」


 ジェクスが小声で告げると、ガルドナーが静かに頷いた。


 三人は無言のまま、互いに視線を交わし――廃教会の奥へと足を踏み入れていった。


お読みいただきありがとうございます。

ガルドナーが直々に動く緊急クエスト。旧市街の荒れ具合を書くのが楽しい回でした。

型のない相手の癖を五合で読む場面は、ジェクスの戦い方がよく出たところかなと思います。矯正されなかった癖ほど、深く体に染みついているものです。

そして、誰も近づかないはずの廃教会に残っていた蝋の匂い。

次回、奥へ。

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