第10話 緊急クエスト
朱色に縁取られた一枚が、掲示板の中央に貼り出されました。
朱色に縁取られた紙の前に、人垣ができていた。
「盗難品捜索――国宝級魔石、至急奪還」
ジェクスが人の隙間からその文字を読んでいると、後ろから声がかかった。
「読めたか」
ガルドナーだった。
いつもは壇上か執務室にいる男が、こうして受付の前に立っているだけで、場の空気が違っていた。
「昨日の夕方、加工職人の工房から消えた。……ドルガンという男の工房だ」
「加工職人?」
「王都から預かって、研磨を任されていた。国宝級の魔石でな。数日前に、この街に届いたばかりだった」
ジェクスの脳裏に、灰色の滑らかな石が浮かんだ。
側溝の泥から拾い上げた、あの感触。握った掌が、わずかに痺れるような。
――あれか。
「ドルガンは無事なんですか」
「殴られて気を失っていたが、命に別状はない。……だが、犯人を見ていない」
***
ガルドナーは、掲示板から紙を剥がした。
「これは緊急クエストだ。等級に関わらず、手の空いている者は全員動く。……ジェクス、カイド。お前たちも来い」
「俺たちもか」
カイドが目を見開いた。
「B級だぞ、俺たち」
「だから言ってるんだ。人手がいる」
ガルドナーは、それだけ言って歩き出した。
その背を追いながら、カイドが小声で言った。
「……オヤジが直々に出るなんて、何年ぶりだよ」
「オヤジ?」
「俺の育ての親だ。ガルドナーは」
初耳だった。
「言ってなかったか」
「聞いてない」
「……まあ、そうだったな」
カイドは、それ以上説明しなかった。
***
捜索は、街を区画で割って進められた。
冒険者たちが散っていく中、ガルドナーは迷わず一つの方角を指した。
「旧市街だ」
「根拠は」
ジェクスが尋ねると、ガルドナーは短く答えた。
「消去法だ。街門は昨夜から封鎖している。持ち出せていないなら、街のどこかに隠してある。……人目につかず、広くて、誰も近づかない場所。この街には一箇所しかない」
***
旧市街は、街の北の端にあった。
通りに入った瞬間、空気が変わった。
人がいない。
石畳は割れ、隙間から雑草が腰の高さまで伸びている。両側に並ぶ建物は、どれも屋根が抜け落ち、窓枠だけが黒い穴のように残っていた。
三十年前の大火で焼けたまま、放置されているのだという。
瓦礫の山を踏み越えるたび、乾いた崩落音が響いた。それ以外に音はなく、自分たちの足音だけが、やけに大きく聞こえる。
昼だというのに、日が入らない。
崩れかけた建物が身を寄せ合うように立ち並び、通りを細く暗く覆っていた。
「……気味の悪い場所だな」
カイドが、剣の柄に手をかけたまま呟いた。
***
異変に気づいたのは、ジェクスだった。
「――止まってください」
声を落として、二人を制する。
「どうした」
「足跡です」
ジェクスは、崩れた壁の陰を指した。
埃の積もった石畳に、複数の靴跡が残っている。
「……三人か、四人。方向は奥へ。それと」
しゃがみ込み、指先で埃をなぞる。
「新しい。今朝か、昨夜のものです」
ガルドナーが、静かに唸った。
「……お前、そんなことまで見るのか」
「痕跡は、嘘をつかないので」
***
足跡を追って進むと、通りの先に開けた場所が見えてきた。
かつて広場だったのだろう。中央に枯れた噴水の跡があり、その周りを崩れた建物が囲んでいる。
そして――その広場の奥に、一つだけ、形を保った建物が立っていた。
石造りの、高い尖塔。
火に焼かれて黒ずんではいるが、崩れてはいない。上部には、色を失ったステンドグラスの枠が残っていた。
「……教会か」
「大火の前は、この辺りの中心だったらしい」
ガルドナーが低く言った。
「今は誰も近寄らん。……隠すには、うってつけだな」
***
広場に足を踏み入れた、その時だった。
「――ッ、伏せろ!」
ガルドナーが叫んだ。
ジェクスは反射的に身を沈めた。
頭上を、何かが横切る。
石畳に突き刺さったのは、細い投げナイフだった。
***
崩れた建物の陰から、二人の男が姿を現した。
どちらも黒い外套を羽織り、顔の下半分を布で覆っている。
カイドが剣を抜き、正面の一人に斬りかかった。
「――っ!?」
だが、その一撃は空を切った。
男の動きが、妙だった。
構えがない。重心の置き方も、足の運びも、どの流派にも当てはまらない。予備動作を読もうとしても、そこに「型」がなかった。
「なんだこいつ、動きが読めねえ!」
カイドが叫ぶ。
ジェクスも、同じことを感じていた。
――訓練された動きじゃない。
――実戦だけで身につけた動きだ。
道場でも、騎士団でもない。生き延びるためだけに、独学で組み上げた体の使い方。
――俺と、似ている。
***
その気づきが、答えになった。
型がないということは、裏を返せば、無駄が多いということでもある。
ジェクスは、男の動きを目で追い続けた。
三合、四合。避けながら、ひたすら観察する。
――右足を出す前に、必ず左肩が落ちる。
――斬り上げの後、二拍分、腰が浮く。
癖だ。
誰にも矯正されなかった分、その癖は深く体に染み込んでいる。
「――そこだ」
五合目。斬り上げの直後、浮いた腰へ。
ジェクスは踏み込み、脇腹に掌底を叩き込んだ。
男が、声もなく膝をついた。
***
ガルドナーは、もう一人を片手で組み伏せていた。
「……幻獣魔法まで使うまでもねえな」
縛り上げながら、ちらりとジェクスを見る。
「お前、今、何をした」
「癖を読みました」
「五合で、か」
ガルドナーは、それ以上は聞かなかった。
だがその目には、加入試験の日と同じ――いや、それより濃い色が浮かんでいた。
***
三人は、教会の扉の前に立った。
樫の分厚い扉。焼け焦げてはいるが、原型を留めている。
カイドが、そっと手をかけた。
鍵は、かかっていなかった。
「……開いてる」
「罠かもしれん。俺が先に入る」
ガルドナーが低く言い、扉に手をかけた。
軋んだ音を立てて、扉が開いていく。
隙間から、冷たい空気が流れ出してきた。
埃と、蝋の匂い。
――蝋?
ジェクスは、眉を寄せた。
誰も近づかないはずの廃教会に、蝋の匂いが残っている。
つまり――つい最近まで、ここに火が灯っていたということだ。
「……中に、いますね」
ジェクスが小声で告げると、ガルドナーが静かに頷いた。
三人は無言のまま、互いに視線を交わし――廃教会の奥へと足を踏み入れていった。
お読みいただきありがとうございます。
ガルドナーが直々に動く緊急クエスト。旧市街の荒れ具合を書くのが楽しい回でした。
型のない相手の癖を五合で読む場面は、ジェクスの戦い方がよく出たところかなと思います。矯正されなかった癖ほど、深く体に染みついているものです。
そして、誰も近づかないはずの廃教会に残っていた蝋の匂い。
次回、奥へ。




