第11話 反射する牙
廃教会の奥で待っていたのは、魔石を削り終えた男でした。
扉の奥は、思っていたより広かった。
かつて礼拝堂だったのだろう。天井は高く、両側に並ぶ石柱が闇の中へ続いている。
頭上には、割れたステンドグラスの残骸が嵌まっていた。色硝子はほとんど落ち、鉛の枠だけが蜘蛛の巣のように残っている。そこから差し込む月明かりが、床に歪んだ格子模様を描いていた。
空気は、埃と蝋の匂いがした。長く人の出入りがあった証拠だ。
崩れた長椅子が壁際に積み上げられ、その隙間から雑草が伸びている。
そして、正面――かつて祭壇があった場所に、それは置かれていた。
こぶし大の、灰色の石。
蝋燭の光を受けて、その表面が、わずかに歪んで輝いている。光を吸うのでも弾くのでもない、奇妙な照り返し方だった。
「――あれか」
カイドが小声で言った。
ジェクスは頷き、そして――足を止めた。
***
「随分と、探し回ったもんだな」
声は、どこから聞こえたのか分からなかった。
三人が、同時に身構える。
石柱の陰から、ゆっくりと人影が歩み出た。
痩せた男だった。年の頃は四十前後。仕立ての良い外套を羽織り、腰には細身の剣。だが何より目を引いたのは、その左手だった。
指の間に、灰色の小さな欠片を挟んでいる。
――魔石の、破片。
「もう削り出したのか」ガルドナーが低く唸った。
「ええ。加工職人というのは、便利なものでしてね」男は笑った。「本人が首を縦に振らなくとも、手順さえ吐かせれば済む」
その言い草に、ガルドナーの眉が跳ねた。
「ドルガンに、何をした」
「命は取っていませんよ。あの手の職人は、生かしておく方が価値がある」
***
「――てめえ」
カイドが、剣を抜いた。
「待て」
ジェクスは制したが、遅かった。
カイドはすでに床を蹴っていた。
距離は十歩。踏み込みは速い。ヴォルカニスの一件から、明らかに研ぎ澄まされた動きだった。
男は動かなかった。
ただ、左手の欠片を、軽く前に掲げただけだった。
「――速いですね。ですが」
カイドの剣が、男の眼前に届く。
その刹那、剣に纏わせていた風の魔力が――弾けた。
「――なっ」
跳ね返った魔力が、カイド自身の顔面を打った。
視界が奪われ、体勢が崩れる。
その隙に、男の細身の剣が、下から掬い上げるように振られた。
「――カイド!」
ジェクスは踏み込んだ。
間に合わない距離ではなかった。カイドの襟を掴んで引き戻し、代わりに自分の左腕でその刃を受ける。
鋭い痛み。腕から血が飛んだ。
「――っ、悪い!」
尻餅をついたカイドが、掠れた声を上げた。
「下がってろ」
短く告げて、ジェクスは前に出た。
***
「なるほど」
男は、ジェクスの腕の傷を見て、目を細めた。
「その石はね、魔力を反射するんですよ。国が慌てて回収しようとしたのも当然だ。……魔法使いにとっては、天敵のような代物でしょう?」
ガルドナーが拳に纏わせかけた幻獣魔法の靄が、すっと消えた。
「……厄介な」
「ええ、厄介です」
男は満足そうに頷いた。
「さあ、どうします。魔法を使えば返ってくる。使わなければ、この距離は詰められない」
***
ジェクスは、静かに男を観察していた。
――魔力を、反射する。
ならば、答えは単純だ。
「――ガルドナーさん。カイドを頼みます」
「おい、待て。お前一人で――」
「魔法を使わない戦い方なら、慣れています」
そう言って、ジェクスは一歩、前に出た。
男の表情から、初めて笑みが消えた。
「……徒手で?」
「ええ」
三十三年間。
地球に魔法などなかった。あの膨大な想定の、ほとんどすべては――魔法のない世界を前提に組み上げたものだ。
――ようやく、本来の使い道が来たな。
***
男が、剣を構えた。
細身の刺突剣。速さで勝負する型だ。想定録が、瞬時に該当項目を引き出す。
――レイピア相当。狙いは点。踏み込みは直線。
突きが来た。
ジェクスは避けなかった。半歩だけ体をずらし、刃を肩越しに逸らす。
刺突剣の弱点は、外された時の隙が大きいことだ。
「――もらった」
伸びきった腕を、掌で押さえ込む。
「――っ!」
男が慌てて左手の欠片を掲げた。反射的な動作だった。
だが、そこに反射すべき魔力はない。
ジェクスの拳は、ただの拳だった。
鈍い音とともに、男の体が石床を滑った。
***
「――ぐっ……!」
男は咳き込みながら、それでも立ち上がった。
「……馬鹿な。魔力反射は、完璧な守りのはずだ」
「魔法を使う相手には、な」
ジェクスは、ゆっくりと距離を詰めた。
「あんたは石に頼りすぎた。……その石があれば勝てると思い込んだ時点で、他の全部を捨ててる」
「――黙れ!」
男が欠片を握りしめ、地面に叩きつけた。
閃光。
反射した光が、四方の石柱に跳ね返り、堂内を白く塗り潰す。
――目眩まし。
視界が焼ける。だが、ジェクスは足を止めなかった。
――視界が使えないなら、音を聞け。
右前方、二歩。外套の擦れる音。
「そこだ」
伸ばした手が、男の襟首を捉えた。
***
石床に叩き伏せられた男は、それでもまだ笑っていた。
「……ふ、ふふ。まあいい。石は、もう削った。欠片は仲間が持って出た。……あんたたちが持ち帰れるのは、抜け殻だけだ」
「そうか」
ジェクスは、男の左手をこじ開けた。
残っていた小さな欠片を、拾い上げる。
「――なら、これは返してもらう」
「……っ」
男の顔から、初めて余裕が消えた。
***
男を縛り上げ、ガルドナーが担ぎ上げた。
「よくやった。……こいつは闇ギルドの中でも、それなりの位置にいる男だ。国に引き渡せば、芋づる式に他も出てくるだろう」
「他の欠片は」
「追う。時間はかかるがな」
ジェクスは祭壇へ歩み寄り、本体の魔石を布に包んだ。
拾った時と同じ、奇妙な滑らかさ。だが今は、その正体を知っている。
***
外に出ると、夜が明けかけていた。
旧市街の朽ちた屋根の向こうが、うっすらと白んでいる。冷えた空気が、堂内に籠もっていた蝋の匂いを洗い流していった。
カイドは、少し後ろを歩いていた。
顔の火傷は浅い。だが、ずっと黙り込んでいる。
「――なあ」
「なんだ」
「俺、何もできなかったな」
ジェクスは、足を止めなかった。
「突っ込んだのは早計だった。それだけだ」
「それだけ、で済むかよ」
カイドの声が、わずかに震えていた。
「庇われて、守られて、それで終わりだ。……ヴォルカニスの時と、何も変わってねえ」
答えは、すぐには出てこなかった。
慰めの言葉はいくつも浮かんだ。だが、そのどれもが、この男には要らないものだと分かっていた。
「――悔しいか」
「当たり前だろ」
「なら、それでいい」
カイドが顔を上げた。
「……何がいいんだよ」
「悔しさが残るってことは、届く可能性があると思ってるってことだ」
ジェクスは、そこで初めて振り返った。
「本当に届かない相手には、悔しいとすら思わない。……諦めるだけだ」
カイドは何か言い返そうとして、口を開き――そして、閉じた。
東の空が、ゆっくりと色を変えていく。
旧市街の石畳に、二人分の影が長く伸びていた。
お読みいただきありがとうございます。
魔力を反射する石——魔法使いにとっては天敵のような代物ですが、逆に言えば、魔法を使わない相手には無力です。
地球に魔法はありませんでした。三十三年分の想定は、すべて魔法のない世界を前提に積み上げたもの。ようやくその本来の使い道が来た回でした。
そして、届かなかったカイドのこと。




