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「異世界?それも想定内だ。33年間、あらゆる可能性を生きてきた男」  作者: JX
第一章 勝利は準備を愛する

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第11話 反射する牙

廃教会の奥で待っていたのは、魔石を削り終えた男でした。


 扉の奥は、思っていたより広かった。


 かつて礼拝堂だったのだろう。天井は高く、両側に並ぶ石柱が闇の中へ続いている。


 頭上には、割れたステンドグラスの残骸が嵌まっていた。色硝子はほとんど落ち、鉛の枠だけが蜘蛛の巣のように残っている。そこから差し込む月明かりが、床に歪んだ格子模様を描いていた。


 空気は、埃と蝋の匂いがした。長く人の出入りがあった証拠だ。


 崩れた長椅子が壁際に積み上げられ、その隙間から雑草が伸びている。


 そして、正面――かつて祭壇があった場所に、それは置かれていた。


 こぶし大の、灰色の石。


 蝋燭の光を受けて、その表面が、わずかに歪んで輝いている。光を吸うのでも弾くのでもない、奇妙な照り返し方だった。


「――あれか」


 カイドが小声で言った。


 ジェクスは頷き、そして――足を止めた。


***


「随分と、探し回ったもんだな」


 声は、どこから聞こえたのか分からなかった。


 三人が、同時に身構える。


 石柱の陰から、ゆっくりと人影が歩み出た。


 痩せた男だった。年の頃は四十前後。仕立ての良い外套を羽織り、腰には細身の剣。だが何より目を引いたのは、その左手だった。


 指の間に、灰色の小さな欠片を挟んでいる。


 ――魔石の、破片。


「もう削り出したのか」ガルドナーが低く唸った。


「ええ。加工職人というのは、便利なものでしてね」男は笑った。「本人が首を縦に振らなくとも、手順さえ吐かせれば済む」


 その言い草に、ガルドナーの眉が跳ねた。


「ドルガンに、何をした」


「命は取っていませんよ。あの手の職人は、生かしておく方が価値がある」


***


「――てめえ」


 カイドが、剣を抜いた。


「待て」


 ジェクスは制したが、遅かった。


 カイドはすでに床を蹴っていた。


 距離は十歩。踏み込みは速い。ヴォルカニスの一件から、明らかに研ぎ澄まされた動きだった。


 男は動かなかった。


 ただ、左手の欠片を、軽く前に掲げただけだった。


「――速いですね。ですが」


 カイドの剣が、男の眼前に届く。


 その刹那、剣に纏わせていた風の魔力が――弾けた。


「――なっ」


 跳ね返った魔力が、カイド自身の顔面を打った。


 視界が奪われ、体勢が崩れる。


 その隙に、男の細身の剣が、下から掬い上げるように振られた。


「――カイド!」


 ジェクスは踏み込んだ。


 間に合わない距離ではなかった。カイドの襟を掴んで引き戻し、代わりに自分の左腕でその刃を受ける。


 鋭い痛み。腕から血が飛んだ。


「――っ、悪い!」


 尻餅をついたカイドが、掠れた声を上げた。


「下がってろ」


 短く告げて、ジェクスは前に出た。


***


「なるほど」


 男は、ジェクスの腕の傷を見て、目を細めた。


「その石はね、魔力を反射するんですよ。国が慌てて回収しようとしたのも当然だ。……魔法使いにとっては、天敵のような代物でしょう?」


 ガルドナーが拳に纏わせかけた幻獣魔法の靄が、すっと消えた。


「……厄介な」


「ええ、厄介です」


 男は満足そうに頷いた。


「さあ、どうします。魔法を使えば返ってくる。使わなければ、この距離は詰められない」


***


 ジェクスは、静かに男を観察していた。


 ――魔力を、反射する。


 ならば、答えは単純だ。


「――ガルドナーさん。カイドを頼みます」


「おい、待て。お前一人で――」


「魔法を使わない戦い方なら、慣れています」


 そう言って、ジェクスは一歩、前に出た。


 男の表情から、初めて笑みが消えた。


「……徒手で?」


「ええ」


 三十三年間。


 地球に魔法などなかった。あの膨大な想定の、ほとんどすべては――魔法のない世界を前提に組み上げたものだ。


 ――ようやく、本来の使い道が来たな。


***


 男が、剣を構えた。


 細身の刺突剣。速さで勝負する型だ。想定録が、瞬時に該当項目を引き出す。


 ――レイピア相当。狙いは点。踏み込みは直線。


 突きが来た。


 ジェクスは避けなかった。半歩だけ体をずらし、刃を肩越しに逸らす。


 刺突剣の弱点は、外された時の隙が大きいことだ。


「――もらった」


 伸びきった腕を、掌で押さえ込む。


「――っ!」


 男が慌てて左手の欠片を掲げた。反射的な動作だった。


 だが、そこに反射すべき魔力はない。


 ジェクスの拳は、ただの拳だった。


 鈍い音とともに、男の体が石床を滑った。


***


「――ぐっ……!」


 男は咳き込みながら、それでも立ち上がった。


「……馬鹿な。魔力反射は、完璧な守りのはずだ」


「魔法を使う相手には、な」


 ジェクスは、ゆっくりと距離を詰めた。


「あんたは石に頼りすぎた。……その石があれば勝てると思い込んだ時点で、他の全部を捨ててる」


「――黙れ!」


 男が欠片を握りしめ、地面に叩きつけた。


 閃光。


 反射した光が、四方の石柱に跳ね返り、堂内を白く塗り潰す。


 ――目眩まし。


 視界が焼ける。だが、ジェクスは足を止めなかった。


 ――視界が使えないなら、音を聞け。


 右前方、二歩。外套の擦れる音。


「そこだ」


 伸ばした手が、男の襟首を捉えた。


***


 石床に叩き伏せられた男は、それでもまだ笑っていた。


「……ふ、ふふ。まあいい。石は、もう削った。欠片は仲間が持って出た。……あんたたちが持ち帰れるのは、抜け殻だけだ」


「そうか」


 ジェクスは、男の左手をこじ開けた。


 残っていた小さな欠片を、拾い上げる。


「――なら、これは返してもらう」


「……っ」


 男の顔から、初めて余裕が消えた。


***


 男を縛り上げ、ガルドナーが担ぎ上げた。


「よくやった。……こいつは闇ギルドの中でも、それなりの位置にいる男だ。国に引き渡せば、芋づる式に他も出てくるだろう」


「他の欠片は」


「追う。時間はかかるがな」


 ジェクスは祭壇へ歩み寄り、本体の魔石を布に包んだ。


 拾った時と同じ、奇妙な滑らかさ。だが今は、その正体を知っている。


***


 外に出ると、夜が明けかけていた。


 旧市街の朽ちた屋根の向こうが、うっすらと白んでいる。冷えた空気が、堂内に籠もっていた蝋の匂いを洗い流していった。


 カイドは、少し後ろを歩いていた。


 顔の火傷は浅い。だが、ずっと黙り込んでいる。


「――なあ」


「なんだ」


「俺、何もできなかったな」


 ジェクスは、足を止めなかった。


「突っ込んだのは早計だった。それだけだ」


「それだけ、で済むかよ」


 カイドの声が、わずかに震えていた。


「庇われて、守られて、それで終わりだ。……ヴォルカニスの時と、何も変わってねえ」


 答えは、すぐには出てこなかった。


 慰めの言葉はいくつも浮かんだ。だが、そのどれもが、この男には要らないものだと分かっていた。


「――悔しいか」


「当たり前だろ」


「なら、それでいい」


 カイドが顔を上げた。


「……何がいいんだよ」


「悔しさが残るってことは、届く可能性があると思ってるってことだ」


 ジェクスは、そこで初めて振り返った。


「本当に届かない相手には、悔しいとすら思わない。……諦めるだけだ」


 カイドは何か言い返そうとして、口を開き――そして、閉じた。


 東の空が、ゆっくりと色を変えていく。


 旧市街の石畳に、二人分の影が長く伸びていた。


お読みいただきありがとうございます。

魔力を反射する石——魔法使いにとっては天敵のような代物ですが、逆に言えば、魔法を使わない相手には無力です。

地球に魔法はありませんでした。三十三年分の想定は、すべて魔法のない世界を前提に積み上げたもの。ようやくその本来の使い道が来た回でした。

そして、届かなかったカイドのこと。

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