第81話 空の上では
バスティアまでの船旅、その一日目をお届けします。
魔法船が王都の空を離れてすぐ、甲板に五十名全員が集められた。
「――バスティアまでは、二日かかる」ガレスが、一同を見渡しながら言った。「その間、基本的には自由に過ごしてもらって構わない。ただし、いざという時にすぐ動けるよう、体調管理だけは怠るな」
その言葉に、集まった面々から、小さなどよめきが起こった。
「――せっかくだ。まだ互いをよく知らない者も多いだろう。この機会に、顔合わせも兼ねて、一人ずつ簡単に自己紹介しておけ」
その号令で、五十名が、順に名乗りを上げていく。
「――アルディア王国、ジェクスです。よろしくお願いします」
「――カイドだ。剣士やってる」
「――グランヴェル帝国から来た、ロルフだ。何かあれば、遠慮なく声をかけてくれ」
「――アストリア魔導国のネリアよ。魔法のことなら、任せて」
「――ノルド神聖王国、シグルド……よろしく」
気だるげな挨拶に、周囲から小さな笑いが漏れる。その後も、次々と自己紹介が続いた。見知った顔、初めて見る顔――名乗りを重ねるごとに、五十名という数字が、一人ひとりの顔と名前を伴った、確かな仲間へと変わっていった。
顔合わせが終わると、それぞれが、思い思いの時間を過ごし始めた。
「――暇だな」カイドが、甲板の一角で、大きく伸びをした。
「――暇なら、鍛えろ」ジェクスが、既に上半身裸で、腕立て伏せを始めていた。
「――お前、船の上でもそれかよ」
「――狭い場所での鍛錬も、想定内だ」
呆れた様子のカイドだったが、それでも横に並び、同じように体を動かし始めた。
甲板のあちこちで、各国の面々が、それぞれの鍛錬に励んでいた。魔法を派手に使うのは、船内という都合上、さすがに憚られる。だが、肉体を鍛えることだけは、誰にも遠慮なくできた。
「――一、二、三……」
ロルフが、大盾を担いだまま、スクワットを繰り返している。アクセルは、剣を模した木の棒を振り続け、ダグラスは、狭い甲板の上で、身のこなしを確かめるように跳び回っていた。
「――魔力の方は、どうする」ネリアが、額の汗を拭いながら尋ねた。「船の中じゃ、派手な魔法の訓練もできないし」
その問いに、ガレスが答えた。
「――瞑想と、ヨガだ。今回、講師役を頼んである」
その言葉とともに、甲板の中央に、シグルドが姿を現した。いつも通り、装備を目深に被り、気だるげな足取りで歩いてくる。
「――シグルドさんが、講師?」フィンが、意外そうな声を上げる。
「――……何だよ、その反応」
「――いや、失礼ですけど、面倒くさがりのイメージしかなくて」
「――回復術ってのは、元を辿りゃ、魔力の巡りを整える技術だ」シグルドは、気だるげに頭を掻きながら言った。「瞑想もヨガも、その延長線上にある。……舐めんな」
そう言うと、シグルドは、甲板に静かに座り込み、呼吸を整え始めた。その所作には、これまで見せたことのない、洗練された静けさがあった。
「――さて。呼吸に、意識を集中しろ。吸う時は、体の隅々にまで魔力が満ちるイメージを。吐く時は、余計な力みを、全部外に出すイメージだ」
その指導に従い、参加者たちが、次々と姿勢を整えていく。ジェクスも、その輪に加わった。
(――魔力の巡りを整える、か)
想定録の棚を辿りながら、ジェクスは、静かに呼吸を繰り返した。これまでの鍛錬とは、また違う種類の集中が、体の内側に染み渡っていく。
「――お前、意外と様になってるな」カイドが、隣で不格好な姿勢のまま呟く。
「――お前は、もう少し肩の力を抜け」
「――言われなくても」
軽口を交わしながらも、二人の呼吸は、少しずつ整っていった。
その日一日、甲板には、筋を鍛える者たちの掛け声と、静かに瞑想する者たちの呼吸音が、入り混じって響いていた。慌ただしい出立から一転、船上でのこの一日は、それぞれが自分自身と向き合う、貴重な時間になっていた。
夕暮れ時、甲板の縁に立ったジェクスは、遠く広がる雲海を眺めながら、静かに息を吐いた。
(――一日目は、悪くなかった)
想定録の棚に、また新しい項目が、静かに刻まれていく。まだ見ぬバスティア、そしてその先に待つ戦いへ向けて、積み重ねは、確かに続いていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
五十名の顔合わせから始まり、思い思いの鍛錬の時間へ——普段は見せないシグルドの講師としての一面も描けたかと思います。「回復術は魔力の巡りを整える技術の延長」という理屈にも、彼らしい説得力があったのではないでしょうか。
穏やかな一日目でしたが、二日目には、また違う展開が待っています。次話もお楽しみに。




