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「異世界?それも想定内だ。33年間、あらゆる可能性を生きてきた男」  作者: JX
第一章 勝利は準備を愛する

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第79話 二つの温度差

出立前夜、ジェクスがある準備を始めます。


出立前夜、ジェクスは、鍛冶場の裏手で、コツコツと何かを組み立てていた。


石を積み上げ、簡易的な炉のような形を作り上げていく。その様子を、通りかかったアリシャが不思議そうに覗き込んだ。


「――何、作ってるの?」


「――サウナだ」


その一言に、アリシャの目が、驚いたように見開かれた。


「――サウナ? ……嘘、懐かしい」


「――だろうな」


ジェクスは、小さく笑った。同じ世界から来た者同士、通じる言葉があるのは、当然のことだった。


「――こっちの世界にも似たようなものがあるかと思ったが、なかったから、自分で作ってみた」


「――器用ね、相変わらず」


「――これくらいなら、何とかなる」


石組みは、ほとんど完成に近づいていた。だが、ジェクスの手が、ふと止まる。


「――一つ、頼みがあるんだが」


「――何?」


「――氷を、作ってほしい」


「――氷?」


「――水風呂を作りたくて。ただ、俺は氷を作る魔法が、あまり得意じゃなくて」


ジェクスは、少し照れくさそうに頭を掻いた。


「――お願いできないか」


アリシャは、しばらくジェクスの顔を見つめた後、小さく笑った。


「――いいわよ、それくらい」


「――助かる」


アリシャが、手をかざす。冷気が指先から広がり、傍らに置かれた大きな樽が、瞬く間に氷水で満たされていった。


「――こんなもの?」


「――十分だ。ありがとう」


「――でも、何でこんなこと、今更」


その問いに、ジェクスは、少し遠い目をした。


「――こっちの世界に来る前、大事な勝負事の前は、いつもサウナに入ってた。……体から、悪いものを全部抜いて、頭を空っぽにするんだ。験担ぎみたいなもんだな」


「――そう」


「明日から、いよいよ本番だ。……だから、今夜のうちに、済ませておきたくて」


アリシャは、その言葉に、小さく頷いた。


「――なら、頑張って」


「――ああ。……もし興味あるなら、いつでも入りに来ていいからな」


軽い調子で付け加えられたその一言に、アリシャは、特に気にする様子もなく、小さく肩をすくめただけだった。氷水を作り終えたことに満足したように、そのまま宿舎へと戻っていく。


その背中を見送りながら、ジェクスは、小さく笑った。


(――気づかなかったか)


誘ったつもりだった。だが、アリシャは、それを深く考えることもなく、ただ頼まれた通りに氷を作って帰っていった。


(――まあ、それならそれで)


ジェクスは、一人、組み上げたサウナに火を入れた。


熱気が、じわじわと肌に染み込んでくる。汗が噴き出し、余計な思考が、少しずつ溶けて流れていくような感覚があった。


(――明日から、いよいよ本番だ)


想定録の棚を、静かに辿っていく。これまで積み重ねてきたもの――三十三年分の想定、この世界で得た技術、仲間たちとの絆。全てが、今この瞬間のために積み上がってきた気がした。


(――デュオ・プロヴィーサ。トルメントゥム・イグニス。トルム・ウェネヌム)


新しく手にした力の名を、一つひとつ、頭の中で確かめる。まだ完成していない技術もある。だが、今持っているものだけで、できる限りのことをする――それだけだった。


熱に浸りきったところで、氷水の樽に、体を沈める。冷たさが、一気に全身を駆け抜けた。


「――っ、これだ」


かつて、現世で何度も繰り返してきた儀式。熱と冷、その落差の中で、思考が驚くほど澄み渡っていく。不安も、緊張も、余計な感情の全てが、その一瞬だけ、綺麗に洗い流されるような感覚があった。


サウナと水風呂を、幾度か往復するうちに、体の芯まで、静かな熱と落ち着きが満ちていった。


(――よし)


満足のいく仕上がりに、ジェクスは小さく頷いた。


自室に戻ると、剣――デュオ・プロヴィーサを、丁寧に手入れする。二振りの刃を、灯りに照らしながら確かめ、鞘に収める。明日からの戦いに向けて、準備できることは、もうやり尽くしていた。


(――あとは、寝るだけだな)


想定録の棚に、静かに蓋をするように、ジェクスは目を閉じた。三十三年分の積み重ねの先、まだ見ぬ戦いへの、確かな覚悟だけが、胸の奥に残っていた。


穏やかな眠りが、静かに訪れた。


***


その夜遅く、宿舎の自室に戻ったアリシャは、寝支度を整えながら、ふと今日の出来事を思い返していた。


(――サウナの後は、水風呂……)


その言葉の意味を、頭の中で、もう一度なぞってみる。


(――待って。あれ、もしかして――)


一緒に入らないか、という誘いだったのではないか。その可能性に、今更ながら思い至った。


「――え」


顔が、一気に熱くなるのを感じた。


「――何よ、それ……最初に言ってよ……」


誰に言うでもなく、アリシャは、枕に顔を埋めた。


出立前夜、静かな宿舎の一室で、一人分の羞恥心だけが、しばらくの間、行き場もなく燻り続けていた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

サウナと水風呂、現世の習慣を異世界で再現するジェクスらしい一幕でした。不器用な誘い方と、それに後から気づくアリシャ——二人の距離感が、また少し縮まったのではないかと思います。

決戦前夜、思考を整え、静かに眠りについたジェクス。次話はいよいよ出立の朝です。次話もお楽しみに。

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