第78話 2人の距離
出立まで残された三日間、ジェクスにアリシャからの誘いが届きます。
討伐隊の出立まで、三日間が与えられた。
王都の一角、船着き場では、大掛かりな魔法船の整備が進められていた。空に浮かぶ気球のような巨大な浮遊部の下、金色の意匠を纏った、木造の船体が、優雅に吊り下げられている。装飾一つ一つに彫り込まれた紋様が、夕陽を受けて鈍く輝いていた。
「――随分と、豪華な作りだな」カイドが、感心したように見上げる。
「元々は、貴族以上の身分の者が各国を訪問する際に使う、格式高い乗り物らしい」ジェクスが答える。「それを、今回の討伐隊のために転用したそうだ」
バスティアまでの長距離を、一気に飛び越えるための代物だという。
「バスティアを経由して、魔王の根城まで直行する予定らしい」ジェクスが答える。「今のうちに、できる準備は全部しておきたい」
各国から集まった選抜メンバーも、少しずつ王都に到着し始めていた。見覚えのある顔、初めて見る顔――五十名という規模が、じわじわと現実味を帯びていく。
その日の夕方、ジェクスが宿舎の廊下を歩いていると、アリシャに呼び止められた。
「――ジェクス。今夜、時間ある?」
「――何か、ありましたか」
「――ご飯、一緒にどう? ……その、ちゃんとお礼ができてなかったから」
その言葉に、ジェクスは、あの合宿での襲撃の夜を思い出した。
「――お礼なら、もう十分――」
「――足りないの、まだ」アリシャは、そう言って、少し照れくさそうに視線を逸らした。「助けてもらったのに、ちゃんとした形で返せてない気がしてて」
その様子に、ジェクスは小さく頷いた。
「――分かりました。喜んで」
***
夜、王都の一角にある小さな食堂で、二人は向かい合っていた。石造りの壁には、年季の入った木製の看板や、旅人が残していったらしい古い地図が飾られている。天井から吊るされたランプの灯りが、テーブルの上に柔らかな橙色の光を落としていた。奥の暖炉では薪が静かに爆ぜ、遠くの席から漂ってくる、煮込み料理の温かな匂いが、店内に満ちている。喧騒とは無縁の、落ち着いた空気だった。
「――こういう店、意外です」ジェクスが、店内を見渡しながら言う。
「――副団長らしくない?」
「――いえ、悪い意味じゃなく」
アリシャは、小さく笑った。
「――昔から、こういう静かな店が好きなの。……騎士団の仕事してると、なかなか来る機会もないけど」
料理が運ばれてくる間、二人の間には、これまでとは違う、穏やかな空気が流れていた。
「――改めて」アリシャが、グラスを軽く掲げた。「あの夜、助けてくれて、ありがとう」
「――何度もお礼を言われるほどのことじゃありません」
「――そう思ってないから、こうして誘ったのよ」
その真っ直ぐな言葉に、ジェクスは、少し面食らいながらも、小さく笑った。
「――それなら、素直に受け取っておきます」
「――そういうところ、素直よね、あなた」
「――そうですか?」
「――ええ。……あとさ」アリシャは、少し悪戯っぽく笑った。「そろそろ、その敬語やめてよね」
「――え」
「命を預け合う仲になるかもしれないのに、いつまでも他人行儀なのは、変でしょ」
その言葉に、ジェクスは、少し戸惑いながらも頷いた。
「――分かった。……これで、いいか」
「――うん、それでいい」
アリシャは、満足そうに笑った。
「――ええ。想定録がどうとか言う割に、いざという時は、理屈より先に体が動くタイプでしょう」
その指摘に、ジェクスは苦笑した。
「――バレてたか」
「――見てれば分かるわよ」
食事が進むにつれ、話題は、これから始まる討伐隊の話へと移っていった。
「――正直、怖くないと言えば嘘になる」アリシャが、静かに呟いた。「相手は、魔王そのものだもの」
「――俺も、同じだ」
「――でも」アリシャは、ジェクスの目を見つめた。「あなたが隣にいるなら、少しは心強い」
その言葉に、ジェクスの胸の奥で、何かが小さく波打った。
「――俺も、同じ気持ちだ」
その一言に、アリシャは、少し驚いたように目を見開いた後、柔らかく笑った。
「――出立まで、あと三日。……悔いのないように、準備しましょう」
「――はい」
小さな食堂に、二人の穏やかな時間が、静かに流れていった。窓の外には、出立を前にした王都の夜が、いつもより少しだけ、輝いて見えた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
魔法船の準備、各国からの選抜メンバー集結——出発を前にした緊張感の中、アリシャとの静かな時間を描きました。「敬語やめてよね」の一言で、二人の距離がまた一歩縮まったのではないかと思います。
出立まで、あと三日。次話もお楽しみに。




