第67話 魔王の両腕
メンブラ・レギスの「両腕」、カテナとイグニスとの本格的な戦闘をお届けします。
二体の巨大な気配が、ゆっくりと歩みを進めてきた。
一体は、鎖のように連なった刃を全身に纏う、異形の巨躯。もう一体は、燃え盛る紫炎を纏った、優美とも言える立ち姿をしていた。
「――名乗ってやる義理もねえが」刃を纏った男が、低い声で言った。「せっかくだ、聞かせてやる。俺はカテナ。魔王様が左腕にして、美の魔神――カテナ、とはこの俺のことよ」
その言い草に、隣のイグニスが鼻で笑った。
「――どこがだよ」
「――なんだと?」
「見ての通りの鎖まみれの図体で、よく美を語れるわね」
「――お前にだけは言われたくねえ」
「――私はイグニス」その掛け合いを断ち切るように、紫炎の女が艶やかな声で続けた。「メンブラ・レギスの中でも、魔王様の両腕――お前らごとき雑魚が、束になっても敵う相手じゃない」
その言葉に、隠しきれない格の違いが滲んでいた。
「――減らず口だな」ガレスが、剣を構え直す。「だが、そっちがその気なら、こっちも本気を出す理由ができた」
「――アクセルの分も、叩き込んでやる!」ロルフが、大盾を構えながら吼えた。
戦闘が、再び激しさを増した。カテナの鎖状の刃が、無数に襲いかかる。ドムならぬロルフの盾がそれを受け止め、ダグラスが死角へ回り込む。だが、刃の一本一本に、これまでの魔族とは比較にならない重みがあった。
「――くっ、重い!」
「油断するな! これが、両腕の実力だ!」ガレスが叫ぶ。
カテナの鎖が、ダグラスの剣に絡みついた瞬間だった。
「――離れて!」ネリアが叫んだが、遅かった。
鎖を伝って、ダグラスの魔力が、目に見えてカテナへと吸い取られていく。同時に、離れた場所にいたイグニスの紫炎が、呼応するように一段階、膨れ上がった。
「――なっ、繋がってるのか、二人!」
「――さあ、どうかしらね」
イグニスが、増幅した炎を、力を失いかけたダグラスへと放つ。
「――くそ、間に合え!」
ガレスが割って入り、辛うじて弾き返した。だが、その反動で体勢を崩す。
「――カテナが吸って、イグニスが放つ。単純だが、性質が悪い連携だ」ガレスが、歯を食いしばりながら呟いた。
一方、イグニスの紫炎は、触れた瞬間に対象を内側から焼き尽くすという、恐ろしい性質を持っていた。ネリアが多属性の魔法でその軌道を逸らそうと試みるが、炎はまるで意思を持つかのように、軌道を変えて追ってくる。
「――この炎、只者じゃない!」
「――ええ、その通りよ。私の炎は、逃げようとするものほど、追いかけたくなる性質があるの」
イグニスが、艶然と笑った。
フィンが、若さに任せた大魔法を放つが、あっさりと炎に呑まれてしまう。
「――フィン!」
「――大丈夫だ、まだ息はある!」シグルドが即座に駆けつけ、光を浴びせる。
戦況は、圧倒的に押されていた。ガレスとロルフがカテナを、ネリアとダグラスがイグニスを、それぞれ足止めするのが精一杯だった。
「――このままじゃ、埒が明かねえ」ガレスが、歯を食いしばりながら呟く。
その時、崩れた校舎の陰から、か細い声が聞こえた。
「――待って……」
ガレスに救出されたノアが、シグルドの回復を受けて、意識を取り戻しつつあった。
「――動くな、まだ本調子じゃねえだろ」
「でも……あの炎の魔法、対処法が……」
「――何だと」
ノアは、震える手で、地面に簡易的な魔法陣を描き始めた。
「――イグニスの炎、逃げようとするものを追いかける性質があるなら……逆に、こっちから飛び込めば、追跡の性質が働かない、はず……」
その言葉に、ガレスの目が鋭くなった。
「――理屈は分かった。だが、そんな危険な賭け、誰がやる」
「――俺がやる」
ロルフが、大盾を構え直しながら言った。
「――守ることに関しちゃ、誰にも負けねえ。任せろ」
一同の視線が、ロルフに集まった。
「――頼んだ」
ガレスの一言に、ロルフは大きく頷いた。
ロルフが、恐れる素振りも見せずにイグニスの炎へと突っ込んだ。狙い通り、炎の勢いが一瞬、目に見えて弱まる。その隙を突き、ダグラスとネリアが立て続けに攻撃を叩き込んだ。
「――なっ、生意気な!」
「――今のうちだ、もう一度押し込むぞ!」
その成功に勢いづき、フィンが同じ要領で炎へ突撃した。だが、次の瞬間、炎は弱まるどころか、これまで以上の勢いで燃え盛った。
「――なっ!?」
「――フィン、下がれ!」
シグルドの叫びも間に合わなかった。膨れ上がった紫炎が、フィンの体を呑み込む。
「――ぐああっ!」
「――同じ手が、二度も通用すると思ったか」カテナが、鎖を絞りながら嗤った。「俺が吸い取った魔力を、あいつの炎に流し込んでやっただけの話だ」
その言葉に、ガレスの表情が険しくなった。
「――一度だけの、隙だったのか」
「――ええ。私の炎が弱まるのは、あくまで一瞬。すぐにカテナが埋め合わせてくれるもの」イグニスが、勝ち誇るように笑う。「両腕と言われる意味、分かってもらえたかしら」
シグルドが慌ててフィンに駆け寄り、光を浴びせる。息はあったが、深い火傷が全身に広がっていた。
「――くそ、単純な弱点じゃ、なかったってことか」ガレスが、奥歯を噛んだ。
戦況は、なおも五分と五分にすら届かない、厳しい局面が続いていた。だが、その事実に、イグニスが視線を巡らせた。
「――ちょっと。これ以上、身内が減ったら、魔王様が悲しむわよ」
「――お前が言うか、それを」カテナが、呆れたように鎖を巻き取る。
「――仕方ないでしょ、可愛い部下たちなんだから。……ま、今日はこの辺にしといてあげる」
イグニスは、まるで近所のコンビニにでも寄ったかのような、あまりに軽い調子でそう言うと、紫炎を静かに収めた。
「――逃げるのか」ガレスが、鋭く睨む。
「逃げるんじゃない、退くのよ。区別しなさいな」
イグニスは、優雅に一礼すると、カテナと共に、闇に紛れるようにして姿を消していった。最後に、その声だけが、戦場に残された。
「――次、私を目にした時は――それを死だと思いなさい」
その言葉を最後に、圧倒的な気配が、嘘のように消え失せた。
生き残った魔族たちも、主を失ったかのように統率を崩し、次々と姿を消していく。
戦場に、静寂が戻った。
学院を包んでいた黒煙の向こうから、朝日が差し込み始めていた。
一同は、しばらくその場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。生き延びた実感と、何かを失った予感が、入り混じった重い沈黙が、そこにはあった。
「――アクセルの、捜索を」ガレスが、ようやく声を絞り出した。
その声には、これまでにない疲労と、そして――誰にも気づかれないほど僅かな、確信めいた何かが滲んでいた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
「両腕」の名にふさわしい、離れていても連動する連携——一筋縄ではいかない強敵でした。ノアの機転、ロルフの捨て身の一手、そして手痛い代償を払いながらも見えてきた突破口。最後はイグニスの気まぐれな撤退で幕を引きましたが、「次、私を目にした時は、それを死だと思いなさい」という捨て台詞が、不穏な余韻を残します。
戦いは一段落しましたが、まだアクセルの行方が分かっていません。次話でその真相に迫っていきます。
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