第61話 戦闘の最中で
四天王・ヴェナトルとの決着回です。誰かを守るために飛ぶ空——ジェクスの想いも交えてお届けします。
盾に阻まれ体勢を崩したヴェナトルへ、オルグレンが斬りかかった。
「――あんたらだけに、いいとこ持っていかせるかっての」
フィーレが、軽口を叩きながらも、指先に鋭く圧縮した風を纏わせる。放たれた風の刃は、飄々とした口調からは想像もつかないほど正確に、ヴェナトルの動きを縫うように追い詰めていった。五年前、仲間を失った戦場で磨いた、無駄のない狙いだった。
「――しぶといな!」
ヴェナトルは、爪と拳で応戦しながらも、じりじりと後退を強いられていた。ドムの盾がその退路を塞ぎ、ジオの槍が側面を牽制する。数の圧力に、さすがのヴェナトルも防戦に回らざるを得なかった。
「――今だ!」
オルグレンが、渾身の一撃を叩き込んだ。ヴェナトルがそれを受け止めた、まさにその一瞬――完全に体勢が流れ、隙が生まれた。
「――カイド、今しかない!」
その声に、カイドは弾かれたように動いた。
「――終わりだ!」
鞘に魔力を溜め、抜刀の型に入る。狙うは、確実な一撃。
だが、放たれた居合が空を切った。ヴェナトルの体が、その一瞬で翼を得たかのように、宙へと舞い上がっていたのだ。
「――なっ!?」
「――今のは、まずいな」ヴェナトルが、上空から距離を取りながら、忌々しげに呟いた。「次元がどうとか知らんが、まともに食らえば、再生が間に合わん類の攻撃だ」
嘲笑ではなく、明確な警戒だった。その姿は、翼こそないはずの体で、まるで猛禽のような跳躍と滞空を見せている。
(――鳥、いや……獣の特徴を、丸ごとトレースしてるのか)
カイドの脳裏に、ふとガルドナーの言葉がよぎった。幻獣魔法の稽古の中で、幾度となく聞かされてきた話――獣は、追い詰められた時ほど、本能に近い動きを見せる。逃げ足の速さ、警戒の仕方、群れを離れた個体特有の孤独な用心深さ。
(――あの動き、猟犬から逃げる獲物の癖に似てる)
「――くそ、追えねえ!」
カイドの飛行は、まだ滞空がやっとの段階だった。上空で自在に動き回るヴェナトルに、追いつく術がない。だが、その動きの理屈だけは、不思議と読めていた。
「――まあいい。お前らと本気でやり合うのは、リスクが高すぎる」
ヴェナトルは、そう吐き捨てながら、片手を軽く振った。放たれた無数の魔弾が、カイドの周囲に降り注ぐ。
「――くっ!」
かわしながら、カイドは背筋に冷たいものが走るのを感じた。軽く放たれたはずの一発一発が、以前戦ったモレスタスの本気の一撃より、明らかに重い。
(――こいつ、格が違う……)
かわすだけで精一杯のカイドを尻目に、ヴェナトルは冷めた声で続けた。
「――雑魚に構ってる暇はねえんだよ」
視線が、地上のアリシャへと戻る。もとより、狙いはこの女一人だった。無理に戦い続けて消耗するより、目的を果たして退く方が、よほど賢明だった。
獣のような跳躍で舞い降りると、盾を展開する暇も与えず、その首筋に鋭い一撃を叩き込む。
「――アリシャさん!」
意識を失ったアリシャの体が、くずおれる。ヴェナトルは、その体を無造作に担ぎ上げると、再び宙へと舞い上がろうとした。
「――待て!」
ジェクスが叫ぶが、ヴェナトルは既に地を蹴っていた。
その瞬間、アリシャの手から、剣が滑り落ちた。
ジェクスは、迷わずそれを拾い上げた。反射の魔石は使われていない、ただの剣。だが、それで十分だった。
両手に、それぞれ剣を構える。自分の剣と、アリシャの剣。二本の刃に、優しい炎を灯していく。
その姿は、まるで翼を得た不死鳥のようだった。
「――空は俺の領域だ!」
ジェクスは、地を蹴った。ギフトによる飛行が、体を宙へと押し上げる。
(――誰かを守るために飛ぶのは、これが初めてだな)
これまで幾度となく飛んできた空だった。だが、今日ほど、その一羽ばたきに意味を感じたことはなかった。
ダンジョンの奥で背中合わせに戦った夜。闇ギルドの残党を追った、あの緊張の共有。積み重ねてきたのは、想定録に刻まれる記録だけではなかったらしい。今、彼女を追うこの速度に、そのことがどこか滲んでいる気がした。
想定録の棚に、新しい項目が一つ、静かに刻まれた。No.348――まだ言葉にならない、懐かしいような感覚。言葉にする余裕は、今はまだなかった。
「――ほう、追ってくるか」
ヴェナトルが、意外そうに振り返った。だが、その顔に余裕は消えていなかった。
「――貴様如きが、俺の速度に――」
言い終わる前に、ジェクスは距離を詰めていた。三十三年分の想定と、この世界で磨いた技術。どちらも、今この瞬間のために積み重ねてきたものだった。
ヴェナトルの腕が、猛獣の腕へと変化する。得体の知れない魔力の波動――幻獣の力に似た、しかしどこか異質な気配が、その腕に纏わりついていた。
(――読む)
爪の一撃、羽ばたきの音、迫る殺気――全てが目まぐるしく襲いかかってくる中で、ジェクスはあえて、頭の芯だけを冷たく凪がせた。
(――こういう時ほど、慌てるな)
三十三年間、そう自分に言い聞かせてきた。激しい戦闘のさなかでこそ、想定録の棚は最も速く、最も正確に回る。ジェクスは、右手の剣――反射の魔石を宿した自分の剣に、意識を集中させた。ヴェナトルは、この剣の正体を知らない。だからこそ、これが効く。
爪に纏わる波動を、想定録No.214――「幻獣魔法の波長記録」に照らし合わせていく。
(――幻獣の力に、近い……いや、似てる、だけか)
完全な一致ではなかった。ガルドナーの幻獣魔法を、これまで何度も間近で浴びてきた経験がなければ、この違和感には気づけなかっただろう。似ているようでいて、根本の質が違う――トレースされた偽物の波動だ。
(――それでも、輪郭は捉えた)
似ているというだけの手がかりからでも、本質を絞り込んでいく。三十三年分の観察と、この世界で磨いた感覚が、噛み合っていく手応えがあった。
放たれた爪の一撃、その波動を、瞬時に見切る。剣先に、逆位相の波長を纏わせ、真正面から迎え撃った。
「――なっ!?」
反射された衝撃が、ヴェナトルの体を大きく仰け反らせた。
「――今だ!」
隙を見逃さず、ジェクスは左手のアリシャの剣を振り抜いた。優しい炎を纏ったその刃が、斬り込む瞬間、炎圧を一気に増す。ヴェナトルの胴を、深々と斬り裂いた。
「――ぐ、あああ……!」
悲鳴とともに、アリシャの体が、腕から滑り落ちた。ジェクスは咄嗟に飛び込み、その体を抱き止める。
「――くそ、まだだ……! 再生、すれば……」
ヴェナトルの傷口が、みるみる塞がろうとしていた。細胞レベルにまで作用するというギフトの力が、致命傷すら覆そうとする。
だが、その動きが、途中で止まった。
「――なぜ……傷が、塞がらない……」
アリシャの剣に灯った炎――それは、ただの炎ではなかった。
(――再生持ちの敵には、燃やし尽くすのが定石だ)
想定録No.019――かつて浴びるように見てきたアニメや漫画から拾い集めた、数えきれない「もしも」の一つ。再生する敵と戦うなら、修復できないところまで潰せばいい。理屈は単純だった。ジェクスが纏わせた炎は、傷口に触れた瞬間、細胞ごと一気に炭化させるほどの熱量を持っていた。再生とは、あくまで「残っているもの」を修復する力だ。だが、灰と化した部分には、修復すべき土台そのものが存在しない。
「――終わりだ」
ジェクスは、アリシャを片腕に抱えたまま、静かにそう告げた。
だが、ヴェナトルの体は、まだ完全に力を失ってはいなかった。落下しながらも、最後の力を振り絞るように、爪を振り上げる。
「――そこまでだ!」
地上から迫っていたカイドが、既に鞘へ手をかけていた。冒頭の一撃を外して以来、ずっと機を窺っていた二度目の抜刀。
抜刀。一閃。
夜空を落下していくヴェナトルの体が、次元ごと両断され、力を失った。赤黒い光の粒子が、静かに散っていった。
アリシャを抱えたまま、ジェクスはゆっくりと地上へ降り立った。
「――間に合った」
腕の中、アリシャの寝顔を見下ろしながら、ジェクスは静かに息を吐いた。誰かを守るために飛んだ、あの一羽ばたきの感触が、まだ体の芯に残っていた。
(――憧れてたのは、空だけじゃなかったのかもな)
その想いを、今はまだ、言葉にするつもりはなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
カイドの冒頭の空振り、ヴェナトルの本命への切り替え、そしてジェクスの二刀流初披露——アリシャの剣を借りるという、以前からの伏線をようやく回収できました。反射剣で波長を読み、もう一本で決着をつける連携も、想定録とガルドナーの稽古、両方の積み重ねが活きる形になったと思います。
最後は、カイドの二度目の抜刀でとどめ。二人の見せ場を両方描けたのではないかと思います。
次話もお楽しみに。




