第6話 炎を纏う剣
今回は戦いのない回です。ですが、後々効いてくるものに出会います。
依頼書には、こう書かれていた。
「薬品の配達。東区・薬師工房 → 北区・診療所。報酬・銅貨十五枚」
「……お前、それ受けるのか」
隣から覗き込んだカイドが、露骨に顔をしかめた。
「昨日オーク六体やった奴が、配達だと?」
「体を休める日も必要だろう」
「休みたいなら休めばいいだろうが」
実際のところ、理由はもう少し単純だった。
この街のことを、まだ何も知らない。
どこに何があって、誰がどう暮らしているのか。三十三年分の想定は、地球の常識の上に積み上げたものだ。この世界の「当たり前」を知らなければ、その多くは机上の空論に終わる。
――歩き回る口実が、欲しかった。
***
東区は、職人の街だった。
石畳は他の区画より狭く、両側の建物が迫っている。軒先には看板ではなく、その店の扱う品そのものが吊るされていた。鞣した革、束ねた薬草、乾いた木材。
金槌の音が、どこかから絶えず響いてくる。
薬師工房は、その一角にあった。
扉を開けると、鼻を突く匂いに思わず足が止まった。苦い薬草の匂いと、酸のような刺激臭。奥の棚には、色とりどりの液体が詰まった小瓶が整然と並んでいる。
「配達の依頼を受けてきた」
「ああ、これだ。割れ物だから、気をつけてくれよ」
差し出されたのは、藁で包まれた小さな木箱だった。
持ち上げると、中でかすかに液体が揺れる音がした。
***
北区へは、街を斜めに横切ることになる。
ジェクスはあえて大通りを外れ、細い路地を選んで歩いた。
洗濯物が頭上を横切る路地。井戸端で水を汲む女たち。石段に座って何かを削っている老人。子供が三人、棒きれを振り回しながら駆け抜けていく。
――水路は、北から南へ。
――人の流れが集まるのは、正午前後と夕暮れ。
――この通りは、夜になると灯りが一つもない。
歩きながら、頭の中に街の構造を叩き込んでいく。
想定録、更新。
三十三年間やってきたことと、何も変わらない。ただ、対象が現実の街になっただけだ。
***
中央広場を抜けた時だった。
視界の端に、一軒の店が入った。
武具店。
他の店より間口が広く、扉の脇に等身大の鎧が飾られている。
だが、足を止めたのはそれが理由ではなかった。
ショーウィンドウの奥。
一振りの剣が、台座に置かれていた。
***
近づいて、ガラス越しに覗き込む。
刀身は、やや幅広の両刃。
特別に装飾されているわけではない。柄も、鍔も、実用一辺倒の造りだ。
だが――刀身の表面に、微かな揺らぎがあった。
陽の光が当たっているだけではない。内側から、熱を持っているような。
じっと見ていると、刃の縁に沿って、細く赤い線が走った気がした。
「お目が高いね」
いつの間にか、店主が扉から顔を出していた。
初老の男で、片目を眇めるようにしてこちらを見ている。
「それはね、『Defensor Ignis』。炎を纏う剣だ」
「炎を、纏う」
「使い手の魔力に反応して、刃に炎が宿る。斬るだけじゃない、焼く。……まあ、見ての通り、売り物じゃないんだがね」
「なぜ」
「買い手がつかん」
店主は肩をすくめた。
「値段の話じゃない。この剣、扱える奴がほとんどいないんだ。炎属性の魔力を、それなりの量、安定して流し込める人間じゃないと、ただの重い鉄の棒だ」
***
ジェクスは、しばらく剣を見つめていた。
――炎を纏う。
自分の掌に灯る、あの橙色の塊を思い出す。
あれを、刃に。
想像した瞬間、頭の中で何かが噛み合う音がした。
斬撃と、燃焼。
打撃と、熱。
組み合わせれば、単純な足し算では済まない。切り口が焼かれれば出血も止まらないし、硬い外皮も熱で脆くなる。
――使い道が、いくらでもある。
「……これを打ったのは、誰だ」
気づけば、そう尋ねていた。
「王都の鍛冶師だよ。名前までは知らんが、変わった剣ばかり打つって評判の男らしい」
「王都」
「ああ。腕は確かだが、気難しいって話だ。金を積んでも、気に入らん依頼は断るとかなんとか」
店主は、そこで少し笑った。
「なんだ、あんた。自分の剣が欲しいのか」
「……いずれ」
ジェクスは、そう答えた。
今の自分には、素材も、金も、伝手もない。
だが。
――覚えておこう。
三十三年間、そうやって積み上げてきた。
いつか使うかもしれない情報を、その時のために、ただ蓄えておく。
***
診療所に薬品を届け終えたのは、夕方だった。
報酬の銅貨十五枚を受け取り、ジェクスは通りに出た。
西日が、石畳を長く照らしている。
帰り道、もう一度だけ武具店の前を通った。
窓の奥で、あの剣が静かに佇んでいる。
ジェクスは足を止めずに、ただ横目でそれを見ながら通り過ぎた。
――いつか。
その時、自分がどんな素材を手にしているのか。どんな鍛冶師に頼むことになるのか。
まだ、何も分からなかった。
お読みいただきありがとうございます。
配達依頼を受けた本当の理由は、街を知るため。想定録は地球の常識の上に積み上げたものなので、この世界の「当たり前」を知らなければ使い物にならない——という考え方です。
そして、ショーウィンドウの奥の一振り。今の彼には素材も金も伝手もありませんが、覚えておくことだけはできます。




