第5話 数えない男
【前書き】
お待たせしました、第五話です。
B級になったジェクスの、ギルドでの日常が少しずつ動き出します。
今回は新キャラも登場します。よろしければ最後までお付き合いください。
依頼書の並ぶ掲示板の前で、ジェクスは腕を組んだまま動かなかった。
薬草採取、荷物運搬、周辺の魔物討伐。B級の欄に並ぶ依頼を、もう三度は目で追っている。どれも受けられないわけではない。むしろ余裕すら感じる。だからこそ迷っていた。
(――目立ちすぎれば厄介事を呼ぶ。抑えすぎれば依頼が偏る。ちょうどいい塩梅を探すのも、案外骨が折れる)
「珍しいな、B級が依頼板の前でそんなに悩むのは」
振り返らずとも声で分かった。ギルドマスター、ガルドナーだった。
「悩んでるっていうか……選んでるだけです」
「ふん。お前、筆記の試験、剣術や体力は上出来だったが、街の地理や国の成り立ちに関する設問はほとんど白紙だったな」
図星だった。
「――辺境の村の出なので。恥ずかしながら、そのあたりは疎くて」
「別に責めちゃいない。放っておく理由もないだけだ」
ガルドナーは懐から一枚の依頼書を抜き、差し出した。
「街中の使い走りだ。金にはならんが、街を覚えるにはちょうどいい。……個人的な紹介だ。受けるかどうかはお前次第だがな」
「ありがとうございます。受けます」
手を伸ばしかけた、その時だった。
「――おい」
低い声が割り込んできた。振り返らなくても誰か分かる。同じ日にB級に上がった、あの長髪の男だ。
「さっきギルマスと話してただろ。何を吹き込まれたんだ?」
「別に。街の依頼を勧められただけだよ」
「……お前、ここに来て日も浅いくせに、ガルドナーさんに気に入られてるみたいだな」
声には棘があった。
(――養子として、死に物狂いで積み上げてきたんだろうな、この男は)
ジェクスにはそこまでの情報はまだない。だが、目の前の男が纏う空気――苦労の末にようやく掴んだものを、ぽっと出の新参者にあっさり並ばれたことへの苛立ち――は、言葉にされずとも伝わってきた。
「さぁな。俺が聞きたいくらいだ」
軽く笑ってかわす。本気で相手にするつもりはなかった。だが、そののらりくらりとした態度が、かえって火に油を注いだらしい。
「――上等だ。表出ろ。今ここで白黒つけてやる」
周りの冒険者たちが、面白いものを見るような、あるいは巻き込まれたくないような顔で距離を取った。
二人でギルドの外に出たところで、扉が勢いよく開いた。
「緊急依頼だ! 北の街道でオークの群れが発生! 討伐可能な者は今すぐ受付へ!」
「……仕方ねーな」
男は舌打ちしながらも、既に気持ちを切り替えていた。
「決闘はお預けだ。その代わり――倒した数で勝負だ。逃げんなよ」
一方的にそう言い残すと、さっさとギルドの中へ戻っていく。ジェクスは肩をすくめた。競うつもりなど元よりない。ただ、この世界のモンスター相手に、自分の力がどこまで通用するのか。それを純粋に確かめたい気持ちだけがあった。
北の街道に着く頃には、日はすでに傾きかけていた。木々の隙間から、緑がかった巨体がいくつも見え隠れしている。十や二十では利かない群れだった。
(――来た。本物のモンスターだ)
三十三年間、想像図鑑の中でしか見たことのなかった生き物が、今、目の前で牙を剥いている。
棍棒を担いだ先頭の一体が咆哮を上げ、他の個体が一斉にこちらを向いた。だが、想像していたよりも動きが揃っていた。
(――統率が、思ったより取れてる)
一体を叩けば散る、という読みが外れた。むしろ、逆に囲まれかけた。三方から棍棒が振り下ろされる軌道を見て、とっさに後方へ跳ぶ。一撃が肩をかすめ、鈍い痛みが走った。
(――甘く見た。単なる烏合の衆じゃない)
だが、そこからは、想定録よりも先に体が動いた。姿勢を低く落とし、間合いを詰めて一体の膝を払う。倒れ込む巨体を盾に、残る二体の視界を一瞬だけ塞ぐ。数の有利を崩されたオークたちの動きに、わずかな乱れが生まれた。その隙を突き、次々と足元へ沈めていく。
夢中になっていた、というのが正しいのかもしれない。三十三年間、頭の中でしか戦ったことのない敵と、実際に殴り合い、転がし、時には避けそこねてかすり傷を負う。そのひとつひとつが、想像とは違う手触りをしていて、ジェクスは気づけば口元を緩めていた。
日が完全に落ちる頃には、あたりにオークの姿はひとつも残っていなかった。
「どうだ、俺は十二体だ。お前は?」
戻ってきた男が、開口一番にそう言った。
(――二十くらいだったか)
頭の中で数えていた数字を、ジェクスは口にはしなかった。
「……あっ」
今更ながら思い出したように呟く。
「競ってたの、忘れてた」
「はぁ?」
男は片眉を吊り上げた。
「そういやお前、戦ってるとこ一度も見なかったな。……まさか、隅っこで隠れてたんじゃないだろうな」
図星を指されているのだが、その図星の中身がまるで見当違いの方向を向いている。ジェクスは表情を変えないまま、内心だけで小さく笑った。
「隠れてたつもりはないけどな」
軽く返すと、男は納得のいかない顔をしながらも、それ以上は突っ込んでこなかった。
「……名前くらい、聞いといてやってもいい。俺はカイド。ガルドナーさんの――まあ、色々あって養子だ」
「ジェクスだ」
「覚えとく。次は本気で数えろよ」
そう言い残して、カイドは踵を返した。その背中を見送りながら、ジェクスは肩の傷にそっと触れた。まだ、じんわりと痛む。
(――ちょうどいい。無傷で片付くほど、甘くはないってことだ)
懐にしまったままの、あの配達依頼のことを思い出す。街を知る。それは、この世界で生きていく上で、剣術よりもよほど大事な準備かもしれない。
ジェクスはそう考えながら、依頼書をそっと取り出した。
【後書き】
ここまで読んでいただきありがとうございます。
想定録という力が、初めて実戦でどう機能するのか――そこを一番書きたかった回でした。頭の中で積み重ねてきたものが、実際の戦いの中でどう活きるのか、楽しんでいただけたら嬉しいです。
次話では、ようやくガルドナーに紹介された依頼に向かいます。街を巡る中で見えてくるものも、少しずつ増えていく予定です。よければ引き続きお付き合いください。
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