第5話 突っかかってくる男
いきなりB級。それを面白く思わない男が現れます。
翌朝、ジェクスはギルドの掲示板の前に立っていた。
紙が、隙間なく貼られている。
薬草採取、下水道の清掃、荷馬車の護衛、行方不明者の捜索。魔物討伐の依頼もあったが、等級の高いものほど紙が古びていた。長く誰も受けていない証拠だ。
――報酬と危険度の釣り合いを見るか。
ジェクスが一枚に手を伸ばしかけた、その時だった。
「おい」
背後から、声がかかった。
振り返ると、長髪の若い男が立っていた。
年は二十代半ばくらいか。背は自分より高く、細身だが、肩と前腕の筋のつき方が明らかに剣を振る人間のそれだった。腰には、鞘の擦れ具合からして使い込まれた剣。
その目が、真っ直ぐこちらを睨んでいる。
「お前が、昨日のB級か」
「そうだが」
「――ふざけんな」
***
男は掲示板に手をつき、身を乗り出した。
「加入試験で、いきなりB級だと? 俺がそこまで行くのに、何年かかったと思ってる」
周囲の何人かが、面倒そうに視線を逸らした。いつものことなのだろう。
ジェクスは、男の顔を見た。
怒っている。だが、その怒りの質が少し違った。
嫉妬ではない。もっと切実な――自分が積み上げてきたものを、軽んじられたと感じている人間の顔だった。
「何年かかった」
「……は?」
「何年かかったんだ」
男が、一瞬言葉に詰まった。
「……六年だ」
「そうか」
ジェクスは、それだけ言った。
男の眉が跳ねた。
「そうか、ってなんだ。馬鹿にしてんのか」
「してない。六年続けたなら、それは相当だと思っただけだ」
男は、毒気を抜かれたような顔をした。
それから、舌打ちをして掲示板から手を離す。
「……気味の悪い奴だな」
***
「カイドだ」
男は、不機嫌そうに名乗った。
「言っとくが、認めたわけじゃねえぞ。B級ってのは、俺と同じ等級だ。つまり、お前は俺と同じ仕事をこなせるってことになる」
「そうだな」
「なら、証明してみろよ」
カイドは、掲示板から一枚を乱暴に剥がした。
「オーク討伐。森の浅い場所に群れが出た。――二人で受ける。逃げるなよ」
***
森は、街を出て半日ほど歩いた先にあった。
街道を逸れて木立に入ると、空気が一変した。
頭上を厚い葉が覆い、光が緑がかって差し込んでくる。足元は柔らかい腐葉土で、踏むたびに湿った匂いが立ち上った。
鳥の声が、遠く高いところで響いている。
それ以外は、静かだった。
「……お前、装備は」
道中、カイドが呆れたように言った。
ジェクスの腰には、街で買った安物の短剣が一本あるだけだった。
「これで足りる」
「足りるわけねえだろ。オークは体長二メートル超えだぞ」
「なら、そういう戦い方をする」
「……意味が分からねえ」
***
群れを見つけたのは、日が傾き始めた頃だった。
沢のそばの開けた場所に、六体。
緑がかった灰色の肌。突き出た顎。丸太のような腕には、粗雑な棍棒が握られている。
ジェクスは木の陰から、しばらくその様子を観察した。
――視線が低い。上を警戒していない。
――一体だけ、他より二回り大きい個体がいる。周りがそいつの動きに合わせている。
――風下。こちらの匂いは届いていない。
「おい、行くぞ」
カイドが剣を抜いた。
「待て。あの大きいのを最初に潰す」
「は? 一番強いのを先にやるのか」
「群れの統率が崩れる。残りは散る」
「……根拠は」
「野生動物の群れは、大抵そうなる」
カイドは怪訝な顔をしたが、それ以上は言わなかった。
***
カイドが飛び出した。
速い。
ジェクスが思っていたより、ずっと速かった。
最初の一体が反応するより早く、その懐に潜り込み、喉を斬り上げている。剣に風の魔力を纏わせているのか、斬撃の軌道に沿って空気が鳴った。
――六年、か。
確かに、積んでいる。
二体目が棍棒を振り下ろす。カイドは半身でそれをいなし、返す刃で腹を裂いた。
悪くない。むしろ、かなり良い。
だが。
――視野が、狭い。
三体目が、死角から迫っていた。
「カイド、右後ろ」
声をかけながら、ジェクスは地を蹴っていた。
***
跳躍。
オークの肩を踏み台にして、さらに高く跳ぶ。
視界が開けた。大きい個体の位置が、真下に見える。
落下しながら、短剣を逆手に持ち替えた。
狙うのは、後頭部と首の境目。
――四足でも二足でも、ここは変わらない。
体重の全部を乗せて、突き立てた。
巨体が、声もなく崩れ落ちた。
***
効果は、即座に表れた。
残る四体が、明らかに動揺した。互いに顔を見合わせ、統率を失い、ばらばらに動き始める。
そこからは、作業だった。
カイドが二体。ジェクスが二体。
最後の一体が沈んだ時、辺りはすっかり暗くなっていた。
***
カイドは、肩で息をしながら、倒れたオークたちを見回していた。
「……お前、何体やった」
「数えてなかった」
「数えてなかった、じゃねえよ」
カイドは剣を鞘に収め、それから深く息を吐いた。
「あの一撃、なんだ。跳んで、真上から来た」
「上から来る敵を、あいつらは想定していなかった。だから通った」
「……想定?」
「相手が何を警戒していないかを探す。それだけだ」
カイドは、しばらく黙っていた。
沢の水音が、やけに大きく聞こえた。
「……気に入らねえ」
やがて、そう呟いた。
「お前のそれ、才能じゃねえだろ。何かをずっと積んできた奴の動きだ。……それが余計に気に入らねえ」
ジェクスは、少し驚いた。
――見抜かれている。
「六年積んだ奴に言われると、悪い気はしないな」
「褒めてねえよ」
カイドは、そう吐き捨てて歩き出した。
だがその背中は、来る時よりも、いくらか軽く見えた。
***
街へ戻る道すがら、カイドがぽつりと言った。
「……次の依頼も、一緒に受けるか」
「認めたわけじゃないんじゃなかったのか」
「うるせえ。二人の方が実入りがいいってだけだ」
月が出ていた。
街道の先に、街の灯りが小さく見えている。
ジェクスは、口元を緩めた。
三十三年間、頭の中で無数の「もしも」を想定してきた。
だが「異世界で、こういう男と出会う」という項目は、どこにもなかった。
お読みいただきありがとうございます。
六年積んだ男が、初日でB級を取った男に食ってかかる——当然の反応だと思います。
ただ、彼の怒りは嫉妬ではありませんでした。自分の積み上げを軽んじられたと感じたからこその怒り。その質を、ジェクスは正しく受け取っています。
「数えてなかった」の一言が、また火に油を注ぐわけですが。




