第45話 2人の呼吸
黒い靄の群れを退けた後、ジェクスとアリシャは、しばらく無言のまま通路を進んだ。
「――さっきの戦い方、悪くなかったわ」
不意に、アリシャが口を開いた。
「そちらこそ。息を合わせたのは初めてなのに、随分とやりやすかったです」
「――買いかぶりすぎ。私はただ、隙を作っただけ」
「その隙の作り方が、絶妙だったんですよ」
軽口のようなやり取りだったが、事実だった。想定録に頼らず、目の前の一瞬に集中する戦い方は、初対面に近い相手との連携に向いていた。アリシャの太刀筋を読むというより、感じ取る、という表現の方が近い。
通路を進むにつれ、壁の紋様がさらに密になっていく。ジェクスは、時折立ち止まり、壁に触れて確かめた。
「――脈打ってる感覚、進むほど強くなってる気がします」
「私も同じことを考えてた。……この場所自体が、何かに向かって成長している、そんな感触」
その表現に、ジェクスは小さく引っかかった。だが、それが何を意味するのか、今はまだ言葉にならない。
「――アリシャさんは、こういう任務、慣れてるんですか」
「そこそこには。副団長になってから、表に出ない類の依頼を回されることが多くなった」
「表に出ない、というと」
「――国民を無闇に不安にさせないための、調査任務。今回みたいにね」
その口調に、責務としての重みと、どこか達観したような軽さが同居していた。
「――疲れませんか、そういうの」
「疲れるわよ。でも」アリシャは、前を見据えたまま続けた。「守りたいものがあるから、続けられる」
その一言に、ジェクスは既視感を覚えた。以前、彼女自身が同じような言葉を口にしていたことを思い出す。
「――守りたいもの、というのは」
「――今は、内緒」
アリシャは、悪戯っぽく笑った。その表情に、ジェクスは想定録の棚を辿ろうとして、やめた。この人の感情の機微を、道具に頼って読み解こうとすること自体が、どこか無粋な気がした。
通路の先、開けた空間に出た。中央に、これまでより一回り大きな、朽ちた石の祭壇があった。
「――これ、さっきの入口にあったのと、同じ意匠ですね」
「――ということは、ここが中心に近い、ってことね」
祭壇に近づこうとした瞬間、床の紋様が、一斉に赤黒く輝き始めた。
「――また、来ますね」
「みたいね」
剣を構え直しながら、ジェクスとアリシャは背中合わせに立った。示し合わせたわけでもないのに、互いの死角を自然に埋め合う位置取りだった。
「――息、合ってきましたね」
「――悪くない相性、ってことでいい?」
「――いいと思います」
祭壇の奥から、これまでとは明らかに気配の違う何かが、姿を現そうとしていた。
地響きとともに、祭壇の裏から這い出てきたのは、乗用車より一回り大きな体躯を持つ、蠍だった。全身を覆う外骨格は、鈍い黒光りを放ち、鋼よりも硬質な質感を纏っている。背には、毒々しい紫色に染まった尻尾が二本、それぞれ独立した意思を持つかのように、ゆらゆらと揺れていた。
「――二本、か」アリシャが低く呟いた。
「厄介ですね。片方を警戒してる間に、もう片方が来る」
蠍が、八本の脚で地を踏みしめ、こちらへ向き直った。二対の複眼が、赤黒く光っている。
ジェクスは、想定録の棚に浮かぶ空白を見つめながら、静かに息を整えた。
(――さて。ここからが、本題らしい)




