第36話 剣聖
A級への昇格を経て、ついにカイドの師匠——剣聖その人と、ジェクスが顔を合わせます。
穏やかな会話の裏に潜む緊張感、そして物語のスケールを一段押し広げる新情報も出てきます。よろしければ最後までお付き合いください。
A級証を受け取ってから、最初に受けた国境を跨ぐ依頼は、皮肉にも護衛でも討伐でもなく、ただの「訪問」だった。
「――ここが、マスターオブソード」
見上げた建物は、想像していたよりも簡素だった。石造りの道場然とした佇まいで、派手な看板の一つもない。名を聞けば戦う者なら誰もが知るギルドにしては、あまりに慎ましい外観だった。
「見た目に騙されるなよ」隣を歩くカイドが言った。「あの人、目立つことを何より嫌う」
扉をくぐると、稽古場の中央で、小柄な老人が木刀を振っていた。一振りごとに、空気が低く唸る。稽古場の壁際には、弓や杖を手にした門下生たちの姿もあった。剣だけを教えるギルドではない、ということが、その光景だけで伝わってきた。
「――遅かったな」
振り返りもせずに、老人はそう言った。
「手紙、届いたばかりですけど」カイドが苦笑する。
「届いた瞬間に来い、とは言ってない。だが、もう少し早くてもよかったんじゃないか」
木刀を下ろし、老人はようやくこちらを向いた。深く刻まれた皺の奥、目だけが異様に鋭かった。
「――お前がジェクスか」
「初めまして。カイドから、お話は伺っています」
「話も何も、大した内容じゃない。薪割りをさせた小僧の、成長具合を確かめに来ただけだ」
軽口めいた言い方だったが、その視線は油断なくジェクスの全身を這い回っていた。値踏みするような目。三十三年分の観察眼を持つジェクスから見ても、隙という隙が一つも見当たらない立ち姿だった。
「――なるほどな」
しばらくして、老人は小さく頷いた。
「型がない。それでいて、隙もない。カイドから聞いた通りだ」
「褒め言葉として受け取っていいですか」
「好きに取れ」
老人――剣聖は、木刀を壁に立てかけると、稽古場の隅に置かれた椅子に腰を下ろした。
「――本題に入るぞ。魔族の一件、聞かせろ」
その一言で、稽古場の空気が変わった。
カイドとジェクスは、順を追って説明した。ミスリルの枷に混ざっていた不純物。北の森で見つかった祭壇と、禍々しい石。ガルドナーが明かした、魔族・魔神・魔王の実在。
黙って聞いていた剣聖は、話が終わると、しばらく目を閉じたままだった。
「――時期が来たか」
「――時期、ですか」
「ここ数年、各国のギルドマスターの間で、妙な報告が増えていた。魔族の生息域から、人間の領域へ漏れ出す動きが、少しずつ活発になっている、という話だ」
剣聖は目を開け、二人を見据えた。
「今までは、辺境国の話だと思って聞き流していた。だが、お前らの街にまで届いてるとなると、悠長には構えていられん」
「――何か、知ってるんですか」ジェクスが尋ねた。
「知っているというほどのことじゃない。ただ、噂だけは耳にしている」
剣聖は、一度言葉を切った。
「――魔王の下には、四天王と呼ばれる腹心がいるという話だ。うち少なくとも一体は、この大陸のどこかで暗躍しているらしい」
「四天王」
「呼び方はどうでもいい。要するに、魔王直属の駒だ。闇ギルドとやらが、その駒の一体と繋がっているなら――」
「厄介事の規模が、想像より大きい、ということですか」
「その通りだ」
沈黙が落ちた。カイドの拳が、無意識に握られているのが見えた。
「――怖じ気づいたか」剣聖が、カイドに視線を移した。
「まさか」カイドは即答した。「むしろ、望むところです」
「言うようになったな」剣聖の口元が、わずかに緩んだ。「――半年前は、俺の稽古場で泣き言ばかり垂れてた小僧が」
「そういう昔話は、勘弁してください」
「事実だろうが」
軽口の応酬に、張り詰めた空気が少しだけ緩んだ。剣聖は立ち上がり、壁の木刀を再び手に取った。
「――ジェクス、と言ったな」
「はい」
「せっかく来たんだ。手合わせしていくか」
その一言に、ジェクスは背筋が伸びるのを感じた。想定録の棚には、この人物に関する項目が、ほとんど何もない。だからこそ、抗いがたい高揚があった。
「――お願いします」
稽古場の中央、二人が向かい合う。剣聖の纏う気配が、一段と鋭さを増した。
「言っておくが、手加減はしない。カイドを鍛えたのと同じようにやる」
「望むところです」
木刀を構えた瞬間、ジェクスは悟った。この人物の底が、想定録のどの項目よりも深いことを。だが、それでいい。
三十三年分の積み重ねが、また新しい壁の前に立たされている。その事実が、恐怖よりも先に、確かな喜びとしてジェクスの胸を満たしていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
剣聖という人物、寡黙で油断のない実力者として描いてみました。カイドとの気安いやり取りに、これまでの師弟関係の積み重ねが滲んでいれば嬉しいです。
また、今回新しく「四天王」という存在に触れました。闇ギルドの裏にいるのが、魔王直属の腹心の一体かもしれない——という情報は、今後の物語のスケールを大きく左右していきます。
そして最後は、ジェクスと剣聖の手合わせで幕引きです。想定録にほとんど情報がない相手との対峙——次話でその結果をお届けします。
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