第26話 名前も知らない相手に
王都での大乱戦が一段落し、後始末と後日談を描く一話になります。ガロンの尋問結果、ライガーの引き取り手続き、そして帰路につく前のジェクスの、少しだけ静かな一日です。
今回は、これまであまり深掘りできていなかったアリシャとの絡みも増やしています。よろしければ最後までお付き合いください。
競売場の後始末が一段落したのは、翌々日の昼過ぎだった。
解放された者たちは、王都の施設に一時的に身柄を移され、それぞれの故郷への手配が進められていた。ライガーは、ガルドナーが正式な後見人として届け出を済ませ、当面は王都に留まって手続きを終えてから、街へ連れ帰ることになっていた。
「――お前は先に戻れ」
宿の食堂で、ガルドナーがそう切り出した。
「書類仕事はまだ残ってる。カイドも、しばらくこっちで片付ける用があるらしい」
「一人で戻るんですか」
「一人ってわけでもねえだろ。ノクスの奴も、王都に用があるみてえだからな。……とはいえ、あいつの動きはお前の目にも映らねえだろうが」
軽口とも本気ともつかない調子で言って、ガルドナーは書類の束を鞄に押し込んだ。
「飛んで帰れば、半日の距離だ。急ぐ理由もねえが、長居する理由もねえ。適当に見繕って戻ってこい」
***
宿を出たジェクスは、その足で王城の外れにある騎士団の詰所へ向かった。目的があったわけではない。ただ、頭の中の書庫のどこかに、まだ整理のついていない項目が一つ残っている感覚があった。
――アリシャ。
想定録に刻まれた文字を、あらためて眺める。副団長という肩書きと、戦場で見せた振る舞い以外、彼女についての情報はほとんど何もなかった。
詰所の前まで来ると、当の本人が壁にもたれて空を見上げていた。鎧は脱ぎ、簡素な私服姿だった。
「――こんなところで、何を?」
声をかけると、アリシャは驚いた様子もなく、こちらへ視線を移した。
「戻る前に、少し頭を冷やしてただけ。……あなたも?」
「特に用があったわけじゃありません。ただ、まだ礼を言えていなかった気がして」
「礼?」
「倉庫街で、枷を壊してもらった時のことです」
アリシャは一瞬、意外そうな顔をした。それから、小さく笑った。
「そんなことで、わざわざ」
「そんなこと、ですか」
「――普通は、もっと派手な場面の礼を言うものでしょう。バルガス戦とか」
「あちらは団長への礼です。あなたへの礼は、あなたにしか言えません」
アリシャは、しばらく黙ってこちらを見ていた。何かを測るような、あるいは何かを懐かしむような目だった。
「――変わってるわね、あなた」
「よく言われます」
「褒めてるのよ、これでも」
壁から体を離し、アリシャは並んで歩き出した。目的地を決めたわけでもないのに、二人の足は自然と、城壁沿いの静かな道を進んでいた。
「あなたの力について、少し聞いてもいい?」オルグレンからは、遊撃で動ける実力があるとしか聞いてないの」
「大したものじゃありません。積み重ねてきたことが、たまたま役に立っているだけです」
「――積み重ね、ね」
アリシャは、その言葉を口の中で転がすように繰り返した。
「その言い方、なんだか懐かしい響きがするわ」
「懐かしい?」
「――ごめんなさい、気にしないで。ただの独り言」
はぐらかすような口調だった。だが、ジェクスの中で、想定録の反応が一瞬だけ跳ねた。分類できない、棚のどこにも収まらない感触――6話ですれ違った時、そして12話で騎士団の列を見た時に覚えた、あの違和感と同じものだった。
(――やはり、この人には何かある)
だが、それを問い詰めるつもりはなかった。少なくとも、今この場では。
「あなたは、なぜこの仕事を?」代わりに、ジェクスは尋ねた。
「――守りたいものが、あったから。それだけよ」
短い答えだったが、その奥に、簡単には触れさせない重みがあることだけは伝わった。ジェクスはそれ以上踏み込まず、ただ隣を歩き続けた。
城壁の切れ目から、王都の全景が見渡せる場所に出た。夕暮れの光が、屋根並みを橙色に染めている。
「――綺麗ね、この時間の景色」
「はい」
「明日には、あなたも街へ戻るんでしょう」
「ええ。ガルドナーさんの指示で」
「――そう」
アリシャは、それ以上の言葉を継がなかった。ただ、しばらくの間、二人は無言のまま夕焼けを眺めていた。
想定録には、この沈黙をどう処理すればいいのか、該当する項目が一つもなかった。それが、不思議と心地よかった。
「――また会うことがあれば」
先に口を開いたのはアリシャの方だった。
「今度は、私からも礼を言わせて。その積み重ねとやらに」
「楽しみにしています」
短いやり取りだったが、ジェクスはその一言を、想定録の新しい項目として、丁寧に書き留めた。
――アリシャ。まだ、分からないことの方が多い相手。
その事実を、悪くないと思っている自分に、ジェクスは気づいていた。
***
翌朝、王都を発つ前に、ジェクスはもう一度ガルドナーの部屋に顔を出した。
「――もう行くのか」
「はい。街のことも、少し気になりますし」
「そうか」
ガルドナーは書類から顔を上げ、少しだけ考えるような間を置いた。
「――一つ、耳に入れとく。ライガーを連れて帰ったら、しばらくお前にも面倒を見てもらうかもしれねえ」
「俺が、ですか」
「幻獣魔法の適性は、俺が見てやれる。だが、あの歳の子供に必要なのは、魔法の型より先に、信用できる大人の顔だ。お前、変に安心させるのが上手そうだからな」
「買いかぶりすぎでは」
「かもな。だが、頼れる奴には頼る。それだけの話だ」
軽い調子で言い残し、ガルドナーは書類に視線を戻した。ジェクスはそれ以上何も言わず、部屋を後にした。
***
王都の空へ舞い上がりながら、ジェクスは眼下に遠ざかっていく城壁を眺めていた。
この二十日と少しの間に、増えたものが多すぎる。剣。カイドとの再会。想定録に収まりきらない敵の存在。そして、まだ名前しか知らない、想定録の外側にいる相手。
(――積み重ねてきたことは、間違ってなかった。だが、それだけじゃ足りない場所も、確かにあるらしい)
風が頬を打つ。遠くに、見慣れた街並みの気配が滲み始めていた。
積み重ねてきた三十三年の先に、まだ知らないものが待っている。それを、ジェクスはもう恐れていなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
大きな戦いの後の、束の間の静けさを描いた回でした。アリシャとの短いやり取りの中に、想定録がどうしても読み切れない違和感を、また一つ仕込んでいます。この「分からなさ」が、今後どんな形で効いてくるか、楽しみにしていただけたら嬉しいです。
また、ガルドナーからの何気ない一言――ライガーの世話をジェクスにも頼むかもしれない、という話も、次回以降の伏線として拾っていく予定です。
次話では、ようやく街への帰路につきます。しばらく離れていた街の様子、そしてカイドの旅立ち以来の変化にも触れていければと思います。
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