第25話 影の因縁
王都での大乱戦、いよいよ決着です。ガルドナーの本気、そしてジェクスと団長の連携――両方とも見どころのある回になったと思います。よろしければ最後までお付き合いください。
「――ここからは、俺たちも交ぜてもらうぞ」
ガルドナーの声に、支部長の表情がわずかに強張った。
「黒豹の、ガルドナー……」
「覚えてるようで何よりだ。この間は、まんまと逃げられちまったからな」
ガルドナーが拳を鳴らしながら、一歩前に出た。
「フィーレ、カイド、お前らは他を手伝ってやれ。こいつは――俺一人で十分だ」
「一人で、ですか」
「ああ。今度は取り逃がさねえ」
フィーレが小さく肩をすくめ、風を纏ったまま身を翻す。
「――了解。あまり時間をかけないでよ」
カイドも剣を構え直しながら、視線だけでガルドナーに頷いた。
「オヤジがそう言うなら、任せる」
二人が競売場の奥――カイル・ミア・セラの三人が手を焼いている方向へと駆けていく。ジェクスもまた、剣を握り直したまま、もう一つの戦線へ視線を向けた。バルド、リヒト、アリシャの三人が相手取る敵の方だ。
だが、ガルドナーの声が、ジェクスの足を止めた。
「――ジェクス、お前は違う。団長のところへ行け」
「団長、ですか」
「オルグレンの相手はまだ片付いてねえ。数の上では、あっちの方が薄い」
言われて視線をやると、オルグレンが単騎で屈強な男と切り結んでいる姿があった。援護が入っていない分、確かに他の二組より分が悪い。
「……分かりました」
ジェクスは頷き、オルグレンのいる方向へと駆け出した。
***
背後で、ガルドナーが支部長に向き直る気配がした。
「――さて」
黒豹の気配を纏っていた拳に、これまでとは比較にならない量の魔力が流れ込んでいく。輪郭が濃さを増し、獣の姿が、もはや幻ではなく実体を伴うかのように、はっきりと浮かび上がった。
「幻獣魔法、最上位――神獣化」
支部長――ガロンが、初めて明確な怯えを見せた。
「……な、に……」
「言っただろう。今度は、取り逃がさねえ」
ガルドナーの体を、黒く輝く獣の輪郭が包み込んでいく。もはや幻獣魔法という言葉の枠を超え、実体の獣そのものの重みを伴った気配だった。
「く、来るな……!」
ガロンが影を掻き集め、盾のように広げる。だが、神獣化した拳は、その防御ごと叩き潰した。
「――どうした。この間はもっと粘ったじゃねえか」
「く、そ……! なぜ、そこまでの力を隠して……!」
「隠してたわけじゃねえよ。今まで、出す必要がなかっただけだ」
ガルドナーの拳から放たれる衝撃波が、競売場の空気そのものを震わせる。一撃ごとに、ガロンが纏う影の濃度が目に見えて薄れていった。
「――終いだ」
最後の一撃が、ガロンの影を完全に打ち破った。膝から崩れ落ちた男は、そのまま意識を失い、動かなくなった。
ガルドナーが拳を下ろし、纏っていた黒い輝きが徐々に収まっていく。
「――ふう」
短く息を吐き、周囲を見渡す。他の戦線は、まだ決着がついていなかった。
「――さて、俺はこっちが片付いた。次は……」
***
その頃、競売場の別の一角では、ジェクスとオルグレンが苦戦を強いられていた。
相手の男――バルガス。他の支部長格とは一線を画す、鋼のように隆起した体躯。鍛え上げられた肉体は、それだけで並の冒険者を凌駕している。だが、異常なのはそこではなかった。
その全身を、淡い光の膜が覆っていた。
「――速い」
オルグレンが低く舌打ちする。剣速も、踏み込みも、先ほどまでとは明らかに違う。
「光属性――自己強化型か」
ジェクスが駆け寄りながら、想定録を高速で走らせる。
――バルガス。もともとの肉体強度が高水準。その上に光魔法による多重バフ。筋力、反射神経、柔軟性、思考速度――すべてが元の数値の三倍近くまで底上げされている。
「団長、援護に入ります」
「――ちょうどいい。一人じゃ、いい加減厳しかったところだ」
オルグレンが荒い息のまま、剣を構え直す。バルガスはその隙を見逃さず、二人まとめて薙ぎ払うつもりで踏み込んできた。
「――速いだけの敵じゃない」
ジェクスの剣が、バルガスの一撃を受け止める。だが、衝撃が予想を超えていた。
(――重い。ただ強化されているだけの動きとは、質が違う)
力任せに振り回していた旧市街の男たちとは、明らかに違う。踏み込みの角度、剣筋の変化、フェイントの入れ方――強化された肉体を、なお緻密に使いこなしている。
「思考速度まで底上げされてる……!」
「はっ――やっと気づいたか」
バルガスが初めて口を開いた。光を纏う瞳が、愉悦に細められる。
「俺の光は、力を貸すだけじゃねえ。頭の回転まで、三倍に引き上げる。お前らの剣筋、もう全部見えてるぜ」
このまま剣で押し合っても、読まれ続ける。ジェクスは想定録を切り替えた。
「――団長、一分でいいので、時間をください」
「一分か。……分かった、任せろ」
オルグレンは剣を鞘に納めると、代わりに右手を掲げた。
「――速さで来るなら、こっちは数で押す」
手のひらから鋼の輝きが噴き出し、瞬く間に剣、槍、斧――形の定まらない鋼の刃が次々と結晶化していく。
「おいおい、援護は諦めたか?」
「諦めちゃいねえよ。ただの時間稼ぎだ」
オルグレンが腕を一閃すると、生成された鋼の武器が一斉に射出された。数にして十数本。バルガスへ向け、四方八方から殺到する。
「――速さ自慢のお前でも、全部は捌ききれねえだろう」
バルガスの光を纏った体が、目まぐるしく動いた。剣を弾き、槍をかわし、斧を蹴り飛ばす。三倍に増幅された反射神経が、次々と刃を捌いていく。だが、数を減らすことはできても、止まることは許されない。
「――ちっ、鬱陶しい……!」
「時間さえ稼げりゃ、それでいい」
オルグレンは再び手をかざし、次の鋼を生み出しながら、ちらとジェクスへ視線を送った。
その間に、ジェクスは目を閉じていた。
(――見る必要はない。感じればいい)
フィーレとの稽古で染み込ませた感覚。剣に流れる自分の波長を静め、外から来るものだけを拾い上げる。バルガスの光が、鋼の刃を捌くたびに、空気を伝って肌に触れてくる。
――速い。だが、規則的だ。強化された身体は、癖まで三倍に増幅されている。武器を弾く直前、必ずわずかに光が濃くなる。
鋼の武器が、最後の一本まで捌かれた。
「――もう終いか。案外、大した数じゃなかったな」
「――いいや」
オルグレンが薄く笑った。
「時間は、稼ぎ切った」
「……見えた」
ジェクスは目を開き、剣を構えて踏み込んだ。バルガスの剣が、返す刀でジェクスに襲いかかる。
(――波長、通す)
剣身に、相手と同じ性質――光の波長を、狙い澄まして流し込む。真正面から受けるのではない。相手の一撃の芯そのものに、同位相の波長を叩き込み、内側から食い破る。
刃が、バルガスの纏う光と同じ、白い輝きを帯びた。
「――反響破」
刃と刃が触れた瞬間、バルガスの剣に纏っていた光が、白い光に呑まれるように内側から乱れて弾け飛んだ。増幅されていたはずの一撃が、行き場を失って霧散する。
「……な、に……!?」
「三倍に増幅された力ってことは――乱されたときの反動も、三倍だ」
体勢を崩したバルガスの胴に、白い輝きを纏ったままの剣が、深々と斬り込んだ。
光の膜が消え去り、鍛え上げられていたはずの巨躯が、糸の切れたように崩れ落ちる。
「――終わった、か」
オルグレンが息を整えながら、立ち上がった。
「団長、大丈夫ですか」
「情けねえところを見せたな。だが――助かった」
ジェクスは剣を鞘に納めながら、周囲を見渡した。他の戦線からも、次々と決着の声が上がっている。
***
競売場に、ようやく静寂が戻ってきた。
フィーレとカイドが加勢したカイル・ミア・セラが拘束した敵、バルド・リヒト・アリシャが打ち倒した敵、そしてジェクスとオルグレンが仕留めたバルガス。既に神獣化を解いていたガルドナーが、倒れたガロンを見下ろしながら、静かに近づいてきた。
「――全員、片付いたか」
ガルドナーの声に、フィーレが風を纏ったまま歩み寄る。
「上出来ね。……レトゥスだけは、取り逃がしたけど」
「ああ」
ガルドナーは倒れたガロンを見下ろしながら、静かに頷いた。
「だが、こいつを締め上げりゃ、何か引き出せるはずだ」
奴隷にされていた者たちの解放と、この一件の後始末は、これから始まる。
***
翌日、ガロンの身柄は王都直轄の地下牢へと移送された。手足には、魔力そのものを封じる特殊な鎖が幾重にも巻きつけられている。影の能力を使わせないための処置だった。
「――尋問には、専門の冒険者を手配してある」
ガルドナーの手配で呼ばれたのは、拷問術に長けた冒険者だった。数々の頑固な口を割らせてきたという評判の持ち主だったが、その日、報告に戻ってきた顔は珍しく渋いものだった。
「――駄目だ。口を割らねえ」
「レトゥスの居場所も、闇ギルドの本拠地も、何一つか」
「ああ。痛みにも、恐怖にも、驚くほど動じねえ。レトゥス様への忠誠が、恐怖の閾値を超えちまってる。ああいうのは、下手に長引かせても無駄だ」
ジェクスはその報告を聞きながら、静かに息を吐いた。
「――だが、収穫はある」
冒険者は苦い顔のまま、手元の記録を差し出した。
「口は割らなかったが、能力の全容だけは、拷問の過程で嫌でも見えた」
そこには、ガロンの能力について詳細に記されていた。
――影の中を移動する能力。瞬間移動に見えるが、実際は影から影へと極めて高速に潜り抜けているに過ぎない。自身だけでなく、触れた対象を巻き込んで移動させることも可能。ただし移動先は、本人が事前に把握している影に限られ、完全な未知の座標へは移動できない。
「――なるほど。無から座標を選べるわけじゃない、ということですね」
ジェクスの言葉に、ガルドナーが頷いた。
「事前に把握してる影限定、か。だとすりゃ、逃げ道は無限じゃねえ。次に会う時は、多少なりとも読めるはずだ」
「想定録、更新――ガロンの能力、既知の影への高速移動。座標未知の逃走には使えない」
小さく呟く声を、フィーレが横目で拾った。
「相変わらずね、その癖」
「否定はしません」
「――念のため、鎖は解かせねえ。あの手の連中は、隙を見せた瞬間に何をしでかすか分からん」
ガルドナーの言葉に、冒険者も静かに頷いた。牢の奥、鎖に繋がれたガロンは、それでもなお、口元にうっすらと笑みを浮かべたままだった。
情報という土産だけは持ち帰れた。レトゥス本人の行方も、闇ギルドの本拠地も、依然として闇の中のままだったが――少なくとも、次に相まみえるときの手がかりは、一つ増えていた。
***
競売場の奥、鉄格子で仕切られた一室に、囚われていた者たちがいた。
薄暗い牢の中、怯えた目でこちらを見つめる者、疲弊しきって座り込んだままの者――その数は、想像していたよりも多かった。
「――もう大丈夫だ。ここは安全だ」
ガルドナーの声に、囚人たちの間に、わずかな安堵の色が広がる。だが、まだ完全に警戒を解けない者も多い。無理もない、とジェクスは思った。
想定録――こうした状況では、いきなり大人数で近づくより、少人数がゆっくり、時間をかけて信頼を作る方がいい。
牢を開け、一人ずつ外へ誘導していく。中には、衰弱のためにまともに歩けない者もいて、フィーレやアリシャが交代で肩を貸した。
その中に、ひときわ小さな影があった。
檻の隅、他の囚人たちからも少し離れた場所に、獣人族の子供が一人、体を丸めて座り込んでいた。頭には縞模様の入った耳、背には同じ模様の細い尾。虎とライオン、両方の血を引く、珍しい混血種だとひと目で分かった。
「――今日の、目玉商品だったらしいわ」
フィーレが、記録簿らしき紙を拾い上げながら呟いた。競売にかけられる予定だった品書きの中に、その子供の名が記されていた。
「珍しい血筋だから、高く売れると踏んだんでしょうね」
ジェクスは静かに膝をつき、子供と目線を合わせた。怯えた金色の瞳が、じっとこちらを見つめ返してくる。
「――怖かったな。もう、大丈夫だ」
言葉が通じているのかどうかは分からなかった。それでも、差し出した手を、子供はしばらく見つめた後、震える指先でそっと握り返した。
「――ほう」
その様子を、少し離れた場所からガルドナーが眺めていた。太い腕を組んだまま、しばらく無言で子供を見つめている。
「――ガルドナーさん?」
「……いや」
ガルドナーはゆっくりと歩み寄り、子供の前に片膝をついた。
「獣人族は、成長が早い。大人になるまで、人間の半分もかからねえ」
「それが、何か」
「幻獣魔法ってのは、己の内にある力と、外から宿した獣の力を馴染ませる術だ。獣人族の血筋なら、その馴染みも並より早い」
ガルドナーは、子供の頭にそっと手を乗せた。子供はびくりと肩を震わせたが、逃げようとはしなかった。
「――俺が、引き取る」
「本気ですか」
「ああ。這い上がった奴が、次の誰かを引き上げる。それでいいと思ってる」
ジェクスは、その言葉に何かが重なった気がした。ガルドナー自身、かつて誰かに拾われたことがあったのかもしれない。だが、今はそれを問う場面ではなかった。
「――ライガー、って呼ぶか」
ガルドナーが、そう呟いた。
「虎と獅子、両方の血が流れてるんだろう。ちょうどいい名だ」
子供――ライガーは、その名を、まだ言葉としては理解していないようだった。それでも、握られた手の力だけは、少しだけ緩んだ気がした。
想定録に、新しい項目が刻まれる。
――ライガー。獣人族の混血児。ガルドナーが引き取り、幻獣魔法の後継として育てる予定。
この日拾い上げた小さな命が、後にどんな意味を持つことになるのか――この時のジェクスには、まだ知る由もなかった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。今回はガルドナーの神獣化、そしてジェクスたちの反響破と、見せ場を詰め込んだ回になりました。レトゥス本人は取り逃がしましたが、支部長格四人を退けたことで、次に繋がる手がかりも得られたはずです。




