第24話 死と破滅の神
戦いの奥、この場を統べる者の正体に迫ります。
背中合わせのまま、ジェクスとカイドは押し寄せる敵をさばいていった。カイドの拳が一人の顎を打ち抜き、返す蹴りでもう一人の膝を折る。動きに、以前のような粗さはなかった。
「――随分、様変わりしたな」
「褒めてる場合か。まだ奥がいるぞ」
競売場の最奥、重厚な扉の前に、他の手下たちとは明らかに纏う空気の違う男が立っていた。
漆黒のローブに、顔を覆う仮面。手には何も持たず、ただ佇んでいるだけなのに、周囲の部下たちがその男を中心に、どこか怯えるような距離を保っている。
「――ようやく、頭が出てきたか」
オルグレンが低く呟いた。
仮面の男は、ゆっくりと拍手をした。乾いた音が、競売場に響く。
「見事だ。まさか、たった一夜でここまで踏み込まれるとはな」
声は、若くも老いてもいない、奇妙に平坦な響きだった。
「名を聞かせろ」
オルグレンの問いに、男は仮面の下で笑ったような気配を見せた。
「――レトゥス。あるいは、レトゥム。好きな方で呼べ」
想定録が、瞬時にその名を刻んだ。
――レトゥス。聞き覚えのない名だが、この場を統べる者を指す名として記憶する。
「死や滅びを意味する名だと聞いた覚えがある。物騒な名だな」
ジェクスがそう言うと、レトゥスと名乗った男は、初めてわずかに愉快そうな声を出した。
「よく知っているな、坊主。もっとも、その意味を実感するのは、お前らの方かもしれんが」
その言葉と同時に、男の周囲の空気が、目に見えて重くなった。
「――来る」
カイドが低く呟き、剣を構え直す、バルドが大盾を前に出し、リヒトが矢筒に手をかける。ノクスの気配が、闇の中でわずかに動いた。
レトゥスは、仮面の奥から一同を見渡し、静かに告げた。
「――さて。奴隷ごときの尻拭いに、これだけの手駒を揃えてくるとはな。王都の連中も、存外本気らしい」
「奴隷にされていた人たちを、ただの尻拭いとは言わせない」
ジェクスが剣を抜くと、レトゥスは肩をすくめた。
「感傷か。まあいい。……だが、今日のところは、退かせてもらう」
その言葉と同時に、支部長の足元から黒い影が噴き上がり、レトゥスの体を包み込んだ。
「――逃がすか!」
カイドが飛び出したが、一瞬遅かった。影はレトゥスごと、地面へと沈むように消えていく。
「舐めるなよ、小僧」
影に飲まれる寸前、レトゥスは薄く笑ったように見えた。その声を最後に、レトゥスの気配は完全に消えた。
競売場に、束の間の静寂が落ちる。だが、それも長くは続かなかった。
支部長を飲み込んでいたはずの影が、地面から再び盛り上がる。
「――お待たせしたな」
影の中から、支部長本人が姿を現した。白髪交じりのボサボサ髪、しゃがれた低い声。ジェクスの中で、想定録が過去の記録と瞬時に照合する。
――街外れの廃教会で戦った、あの闇ギルドの支部長。反射の魔石を奪おうとし、影に消えて逃げたあの男が、王都にいた。
主を逃がし切った安堵からか、先ほどまでの緊張は抜け、口元にはむしろ余裕すら滲んでいる。
「命拾いしたな。今のお前らじゃ、指一本触れられずに死んでたさ」
想定録が、瞬時に情報を組み替えた。
――支部長、影で対象を包み転移させる能力。自分自身だけでなく、他者ごと逃がすことも可能。レトゥスは実体としてこの場にいた。既に安全圏へ避難済み。
「――だが、俺との決着は、まだついてねえ」
支部長は、両手を掲げるように広げた。黒い靄が、再びその全身に纏わりつき始める。今度は、逃げるためではなく、戦うための構えだった。
「レトゥス様に指一本触れさせず守り切った。それだけで、俺は今夜、胸を張れる」
その声には、恐怖でも忠誠でもない、もっと純粋な崇拝の響きがあった。まるで、死そのものを神と崇めているかのような。
「――第二ラウンド、ってわけか」
カイドが、剣の柄を軽く打ち鳴らしながら笑った
「望むところだ」
ジェクスは剣を構え直した。
――レトゥスとの決着は、まだ先だ。だが、目の前のこの男との決着は、今日つける。
その時になって、ジェクスは初めて気づいた。競売場の各所で、似たような黒い靄を纏う影が、次々と姿を現していたことに。
「――支部長格が、他に三人だと?」
オルグレンが舌打ちする。周囲を見渡せば、カイル・ミア・セラの三人が一人を、バルドとリヒトとアリシャの三人が別の一人を、それぞれ相手取っていた。
「――俺はこっちだ。他は任せる」
オルグレンが最も屈強な一人へと歩み出し、剣を抜いた。鋼の魔力が刀身に纏わりつき、一合ごとに相手の得物を軋ませていく。単騎で圧倒する姿に、ジェクスは想定録の隅へ一言だけ刻んだ。
――さすが、団長。
だが、感心している余裕はなかった。
「――俺たちは、こいつだ」
カイドが剣を構え直し、目の前の支部長を睨む。
「上等だ。俺の実力、しかと見せてやる」
体捌きと魔法を織り交ぜたカイドの剣戟と、剣に波長を通したジェクスの斬撃。二人の呼吸は、まるで最初から組んでいたパーティーのように噛み合っていた。剣が炎の波長を纏い、支部長の影の一部を焼き切る。カイドの一閃が、隙を縫って脇腹を斬り裂く。
(――こいつ、本当に化けたな)
刃を合わせながら、ジェクスの脳裏を過ったのは、王都に発つ前、風の噂で耳にした話だった。
カイドは修行の旅に出た後、故郷である「黒豹」の名も出さず、偽名で遠方の別ギルドの門を叩いたという。それ自体は規約違反でも何でもない――ギルドという組織は、どこも似たような仕組みで動いている。ただの新人として、一からクエストをこなし直したらしい。
その偽名で潜り込んだギルドの名は「マスターオブソード」。そこのギルドマスターは、剣一本でSS級にまで昇り詰めたと噂される、「剣聖」と呼ばれる男だった。カイドは正体を隠したまま、その剣聖に直接稽古をつけてもらい続けていたという。
――道理で、動きの質が変わっているわけだ。
そんな感想を挟む余裕さえ、長くは続かなかった。
だが、支部長も一筋縄ではいかなかった。
「――甘えな!」
影が盾のように広がり、致命の一撃をことごとく逸らしていく。追い詰めたと思った瞬間、影の中に沈み込んで間合いを取り直す。反撃の一撃が、ジェクスの頬をかすめた。
「――くっ」
「まだだ、押し込め!」
想定録が、無数の攻防パターンを弾き出す。だが、答えは出ても、それを実行するだけの体力と精度が、二人にはまだ足りなかった。あと一手。あと一撃。分かっているのに、その最後の一本が、どうしても届かない。
「――そろそろ、終わりにしようか」
支部長の影が、これまでで最も濃く、大きく膨れ上がった。ジェクスとカイドは、揃って歯を食いしばる。防御に回るだけで、精一杯だった。
そのときだった。
「――遅くなった!!」
聞き覚えのある声と共に、黒い影の塊が横合いから吹き飛ばされた。黒豹を纏った拳が、支部長の脇腹に深々とめり込んでいる。
「ガルドナーさん!?」
「悪い、到着がギリギリになっちまった」
その隣、風を纏った人影が、宙を舞うように着地する。
「――待たせたわね」
フィーレだった。杖の先から吹き荒れた突風が、乱れかけていた支部長の影を一気に引き裂く。
「二人とも、よくここまで持たせた」
ガルドナーが不敵に笑い、拳を構え直した。
「――ここからは、俺たちも交ぜてもらうぞ」
王都の闇ギルドを統べる者、レトゥスとの初対面でした。奴隷にされていた人々は救い出せましたが、本命は取り逃がす結果に。次回、この戦いの後始末と、新たな謎に迫ります。




