第21話 S級の壁
王都の不穏な噂が、いよいよ現実の依頼として動き出します。
掲示板の前から宿へ戻る道すがら、ジェクスは頭の中で想定録を開いていた。
――闇ギルド。街の支部長は、あの時壁を破って姿を消した。あれが本当に影・暗闇の中を移動する力だとすれば、王都の別動隊にも似た系統の異能力者が紛れている可能性は十分にある。
だが、これはあくまで自分の観測から立てた仮説に過ぎない。あの一瞬の消失が、瞬間移動系の魔法だった可能性も、単に暗闇に紛れて逃げただけという可能性も、まだ捨てきれていない。想定録No.313「黒幕の消失、仮説A・影移動/仮説B・瞬間移動系魔法/仮説C・暗視能力を利用した単純な逃走」。どれか一つに絞り込むには、まだ材料が足りなかった。
――もし影移動が外れなら、対策の組み方自体が変わる。仮説ごとに動きを分けておく必要がある。
寄せ集めの組織にしては、動きに妙な一貫性がある。バラバラの欲望が集まっただけなら、こうも都合よく複数の街を跨いで連携できるものだろうか。あの黒幕がただの支部長だとしたら、その上――王都を仕切る誰かは、一体どれほどの実力者なのか。
想定録No.314「黒幕の戦闘スタイル」。剣を持ちながら一度も抜かなかったあの余裕。ガルドナーとカイド、自分の三人がかりでも仕留め切れず、取り逃がした相手だ。S級の中でも上位――それだけの実力者だったからこそ、あの余裕が成立していた。あれが"支部長"止まりの器だとすれば、頂点に立つ者の底は、まだ見えていない。
――行くなら、生半可な準備じゃ足りない。どの仮説が当たっていても、動けるだけの下地を作っておく。
そこまで考えたところで、ギルドの扉が見えた。受付の一人が、こちらに気づいて手を振っている。
「――ジェクスさん! ガルドナー様がお呼びです」
思考を一旦区切り、ジェクスは執務室へと向かった。
***
「呼んだか」
執務室に入ると、ガルドナーは険しい顔で書類を睨んでいた。机の上には、昨日ギルドの掲示板に貼られていたものと同じ紋章の書状が広げられている。
「王都の闇ギルド支部、活動が活発化――か。詳しい内容は」
「まだ全部は分からねえ。だが、複数のギルドに合同で応援要請が出てる。うちにも、腕の立つ奴を数名出せ、と」
ガルドナーは書状の続きに目を落とした。
「うちのA級三人には、もう声をかけてある。弓のリヒト、盾のバルド、それに斥候のノクス」
「三人とも、A級ですか」
「ああ。三人とも三十代半ばだが、実績は折り紙付きだ」
ガルドナーは指を折りながら続けた。
「リヒトは、雷を纏わせた矢一本で、鬼のような魔物を単独で仕留めた男だ。奴の出身地じゃ、今でも『雷神』なんて呼ばれてる。近々、S級への昇進話も出てるらしいぞ」
「バルドは、大型の輸送馬車ほどもある魔物の進行を、一人で食い止めたことがある。討伐はできなかったが、あの図体を止め切ったってだけで化け物だ。二つ名は『不動』」
「ノクスは、どんな人なんですか」
「あいつの仕事は、大抵表に出ねえ。暗殺の類がほとんどだからな。世間的な知名度はねえが、それは証拠一つ残さねえプロの証だ」
三人分の話を聞き終え、ジェクスは想定録に新しい項目を刻んだ。
――A級の基準、単独で災害級に近い脅威と渡り合える実力。
ガルドナーは書状を指で弾いた。
「あと一人、お前を出すかどうかで悩んでる」
「行かせてもらえますか」
食い気味に答えたジェクスに、ガルドナーは片眉を上げた。
「即答か」
「この街の旧市街で、闇ギルドの黒幕と一度戦っています。あの時取り逃がした相手です。王都の支部と、無関係とは思えません」
「――だろうな」
ガルドナーは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
「一つだけ聞かせろ。今のお前で、行って戦力になると思うか」
即答できなかった。剣に魔力を通せるようにはなった。だが、まだ「弾き返す」域にすら届いていない。想定録の中にも、これで十分だと断言できる項目はなかった。
「――正直、まだ足りない部分はあります」
「なら急ぐな」
ガルドナーの声は静かだったが、有無を言わせない響きがあった。
「合同の応援要請自体は、すぐに締め切られるもんじゃねえ。書状には、集合期限は今日から二十日後とある。焦って半端な状態で行くより、仕上げてから行った方が、結局は早い」
「――他の連中は、王都まで馬で何日もかかる。だが、お前は飛べる。半日で着く距離だ。その分、修行に回せる時間は誰よりも長い」
二十日。想定録が、瞬時にその数字を刻んだ。剣に魔力を通す精度、波長を見切る速さ、まだ埋めるべき項目は多い。だが、期限が数字として見えたことで、むしろ迷いが消えていく感覚があった。
「――分かりました。二十日で、仕上げます」
「フィーレにも話は通しておく。稽古のペース、少し上げてもらうことになるかもしれねえが」
ガルドナーは椅子から立ち上がり、壁に立てかけてあった自分の得物を手に取った。
「――それと、俺も稽古に混ざる」
「ガルドナー様も、ですか」
「フィーレは魔法の扱いを教えるのに向いてる。だが、剣術や体捌きは俺の領分だ。二十日しかねえなら、両方同時にやった方が早い」
「両方、同時にですか」
「フィーレが魔法を撃つ。お前がそれを剣で弾く。その最中、俺がお前の隙や重心のブレを叩き直す。三人でやりゃ、一人稽古の何倍も詰め込める」
ガルドナーはニヤリと笑い、得物を肩に担いだ。
「元S級の幻獣魔法遣いに、現役S級の魔導士。贅沢な稽古相手だろう。感謝しろよ」
「――ありがとうございます」
「礼はいらねえ。二十日後、ちゃんと連れて行ける状態に仕上げるのが、俺の仕事だ」
窓の外、夕暮れの空に、王都の方角を指す風が吹いていた。ジェクスは想定録に、新しい項目を刻んだ。
――王都行き、二十日後。条件、フィーレとの稽古の一区切り。稽古体制、フィーレ(魔法)+ガルドナー(剣術・体捌き)の同時進行。
積み重ねてきたものが、少しずつ一つの方向へと収束していく。まだ先は長い。だが、確かに動き出している実感があった。
王都への招集が、期限つきで決まりました。ガルドナーも稽古に加わり、いよいよ仕上げの追い込みに入ります。




